Lemonade #11「Pieta」

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■プロローグ
 ジュークボックスから、フランク・シナトラのホリデーアルバムが流れている。今夜はクリスマス。夜更け過ぎのダイナーでは、気軽な食事を楽しむカップルが数組談笑していた。店内の内装はところどころ剥げておりレトロな雰囲気である。肉の焼ける匂いがむっと充満し、客の食欲を刺激していた。
 往来に面した窓際の席に、店員が食後のコーヒーを運んでいった。男2人組の客がかけている。ひとりは溌剌とした印象の男前で、糊のきいた黒いシャツをまとっている。もう1人はいかにも不健康そうな雰囲気の青白い男だった。セーターに首までうずめている。
 既に会計は済んでいたが、客がチップを支払ったので、店員は愛想よく笑った。客――リトートは、角砂糖を十二個、コーヒーフレッシュを三つカップに投入している。シュヒはコーヒーの礼を言って、一口だけ飲んで、すぐにカップを置いた。
 ベルやレニーがそうだったように、狙撃された方の足は数日とたたず治って、とりあえずの退院を言い渡された。元々足が悪いため、歩行補助器具をくくりつけられている。
「快気祝いだ、もっと食え。足の怪我なのに入院食の薄味じゃ物足りなかっただろう」
 リトートは菓子の乗ったマイセン皿をサーブしてくる。長い付き合いの中で、これが彼なりの励まし方なのだとシュヒは知っていた。
「ありがとうございます。でも、最近あまりお腹が空いていなくて」
 その理由はわかっている。ホテルでサイとテロリストをみすみす取り逃がし、殉職者を出してしまったこと意外にない。
 シュヒは虚ろに微笑みながら口を開く。
「……ずっと考えていたことがあるんです。ホテルにいたのがぼくじゃなくてあなただったら、セス君は死ななくてもよかったんじゃないですか? ぼくのせいだ。ぼくが悪いんです。ぼくは、自分の罪で失われた人たちの命を、到底……贖いきれない」
「あの場の誰も予想できなかった。収穫はあった。慣れない土地で限られた条件の中仕事をしようとした、十分だ」
 今更皮肉や詰りを言ってもどうしようもないからだろう。慰めを聞いていた。焼却されかかった舘だったが、早めに応援が届いたことで、完全に燃え落ちる前に拠点を改めることができた。管理人の妻を救えた。無意味だったわけではないが、それでも甚だ不本意な結果ではあった。
 このプロジェクトが始まった時、誰も自分たちに期待していなかった。それどころか肉壁として野垂れ死ねばいいと思われていた。『所詮は罪人、肉壁として使い潰して構わない。そうすれば囚人の管理費の削減にもなる』。本部長からはこう言いつけられていた。9月から今日まで、NA市警では37人の警官が殉職し、15人が自殺している。寧ろここまで誰も死ななかったのが奇跡でもある。でも、だから、
「もう終わりにしませんか?」
 彼は呟いた。哀情の滲み出た声だった。
「どういう意味だ」
「あの子達のこと、刑務所に戻してあげたほうが良いんじゃないかと思うんです。本部長は元受刑者たちを『喋る防弾チョッキ』程度に扱っているでしょう? 地雷案件の最終処分場をやる限り、皆はこれからもずっと危機に晒され続ける。あの子達は今まで本当によくやってくれました。だからもう巻き込みたくないんだ……もう、誰にも殉職して欲しくない……」
 台詞の最後は消え入りそうだった。リトートは冷めた目で、向かい合う男を見つめている。
「きみは、心の底から本気でその選択を望んでいるのか? 負傷してなお尽力しているメンバーを前にして彼らの覚悟を踏みにじるような台詞を言えるのか。『プログラムで重ねた日々は、ランドルフを死に至らしめるだけの空虚なものだった。危険に晒された市民を放棄し、自由を捨て、ふたたび刑務所に帰りなさい』とだけ言って、自分だけは電気椅子に座って高飛びするつもりなのか?」
「っ、そんな言い方は……!」
 シュヒは薄い唇をきつく引き結ぶ。両手でカップを包むように持って、震える瞳でリトートを睨みつける。
「あなたこそ本気なんですか? 最初からきれいごとでみんなを騙して、自分の手柄と出世のために、死地に赴かせようとしているんじゃなくて!? なぜプログラムに固執するんです」
「おい」
 遮られた。
「そんなつもりはない。みんなの意思が気になるなら、確認しなおせばいいだろう。彼らは保護されるだけの無力な赤ん坊じゃない、最初から覚悟の上でここに来ているはずだ」
 シュヒはしばらく押し黙っていた。
 情が湧いたのだ。みんなのことがかわいい。準備期間から皆を見守っているうちに、誰も怪我してほしくない、死んで欲しくないというそれだけで頭がいっぱいになっていた。
 目の前の男が何を考えているのか半分も分からない。そもそも、自分達のような犯罪者を引きずり出して捜査人員に再利用するという考え自体が異端なのだ。リトートは野心家である。『ニューアトランティスを守るためには人員が必要だ。皆を刑務所に戻しても何かが変わる訳じゃなし、多少の犠牲は仕方ない』。屈託ない笑顔の下で、そんな冷血なことを考えてるんじゃないだろうか? 彼は今回の事態をどこまで想定していたのだろう?
「悲嘆に暮れていい加減なことを言うな。それは君の仕事じゃない」
 シュヒはおずおずと顔を上げて、相手を見やる。赤みがかったブラウンのつり目と視線がかち合う。リトートは目をぱちくりさせた。かれはおもむろにシュヒのカップをひっ掴んで、角砂糖をボトボト投入し始めた。
「つい口から弱音が出ちゃう理由を知っているか? 肉と甘いものが足りてないからだ。砂糖とミルク大事。ほら見ろよ見ろよ、甘くしてやるぞ〜」
「えぇ……や、やめてください……」
 シュヒは半眼で拒否した。二個、三個と立て続けに砂糖が入れられ、もはやコーヒー入り砂糖水になりつつある。飽和した糖が液面に浮き始めたところで、リトートの端末に着信音が鳴った。知った顔からの着信だった。かれは受諾ボタンを押して、眉を立てて報告に聞き入っている。
「――アネモネ? そうか――」
 リトートはウインドウを閉じた。そして一言呟く。
「おでましだな」
 リトートは立ち上がってジャケットを着る。シュヒはぽかんとしながらも、よろよろ足を引き摺って、覚束ない足取りでそれに続いた。
「本部に戻るぞ。休暇は終わりだ! ミーティングを開く」

 

■上
 控えめなノック2回。それに続いてセオドアは部屋に入っていった。部屋の中では、彼の友人――レナードが質素なベッドに体をあずけている。部屋の中は雑誌や教本が乱雑に投げ出されていた。
「こんばんは。調子はいかがですか」
「……夜分遅くに粋だねえ」
「退院したばかりなのに、部屋のあかりがついていましたから」
 セオドアはたどたどしい口調で応え、傍らのスツールに腰を下ろした。
 ホテルでの酸攻撃と火傷で、レナードの美貌は大きく損なわれた。優美なブロンドは抜けて高い鼻は溶け、頬の肉はこぼれ落ち、皮膚には痛ましいケロイドがありありと残った。熱気を吸い込んで大火傷を負った声帯は摘出された。
 彼の感じのいい振る舞いや観察眼は失われておらず、要望も整形手術と人工声帯である程度回復した。しかしかれが退院したあと、レナード自身を含めたみながうっすらと気づきつつあった。
 彼の心理操作の能力が衰えている。
 ダイヤモンドとキュービックジルコニアは別物だ。『美貌の元スター』から『容貌に大怪我を負った患者』になった以上、レナードに向けられる目は憐れみと同情を孕む。もはやレナードは、人々を狂わせる教祖ではなくなった。そこにいるのは、治療されるべき弱者であり、ひとりの元受刑囚だった。彼の遊び心が他人に付け入る隙はずっと狭くなった。
 ベッドの上のレナードは憮然としていた。 セオドアは、こちらを見ようともしない彼に穏やかに語りかける。
「レナード」
 洗脳を得意としていたレナードと、覚えのない教唆罪で収監されたセオドア。生まれてからこのかた、人心を踏みつけにして、屍の山の上で生きてきた二人。あの刑務所の中では、お互いこそが唯一友人と呼べる存在だったと思う。だがレナードは、その屍の山から一人で降りていってしまった。
「……こんなはずじゃなかった」
 レナードは低く呟いた。容貌を損傷したことについてなのか、クリスを巻き込んだ自殺が妨害され死に損なったからなのか、セオドアには分からない。
 ヴァニタスとアルベルトを人質に取ってクリスを脅迫するという自殺行為。その目論見も、ホテルの炎の中であえなく消え去った。人心の崩壊を生きる糧としていたレナードにとって、今の淡々とした日々はまさに地獄かもしれない。 
「私は、あなたが生きていてくれてよかったと思っています。生きていて欲しいんです。それはあなたの容貌が美しいから、人心の扇動に長けているからじゃない。あなたが私の友人だからです」
「……オレに生きていてほしい? そりゃあんたらしくない言い草だぜ、セオドア。筋が通ってなくて馬鹿馬鹿しいってことだ。オレが今更、『普通の人間』みたいに、当たり障りなく平凡に生きられるとでも思ってるのか?」
「いいえ。あなたの能力で、ヴァニタスさんやクリスさんに協力して記憶を取り戻してあげてほしいんです」
 サイに繋がるかもしれない手がかり、ヴァニタスを奮い立たせる記憶。衰えたとはいえ、レナードならばその鍵を開けられる。つまり言うなれば、
「ハッ、正義の味方か……」
 レナードは自嘲的に笑った。彼にとっては屈辱的な響きかもしれない。片頬を上げたのに合わせて、巻き付けられた包帯が歪む。セオドアは目を伏せて微笑んだ。
「私は強欲ですから」
 自分たちに課せられた罪が死刑でない以上、真っ当な道で息を吹き返すのが道理だろう。
 それ以前にセオドアにとって、レナードは愛おしい友人だった。レナードに、幸せであって欲しいと思う。自らに由って立ってこその自由だ。
 ピロンと着信音。セオドアは、支給された端末に着信が届いていたことに気づいた。メッセージの文面に目を通して、目を白黒させる。
 ファインが失踪したとの噂が入ってきたのだ。サイだけでなく、ファインまでも? 呆然としていると、また着信音が鳴る。今度は上官からの通達だった。二十分後にミーティングが始まるのだという。
 僅かな焦燥を胸に抱きながら、セオドアは顔を上げた。
アネモネさんが失踪したそうです。知っていましたか? これから全体でミーティングが始まるとか……」
「こんな深夜にミーティングか。さてセオドア、オレはここから一歩も動きたくない。手を貸してくれるか」
「ふふ、もちろんです。レナード、行きましょう」

 

■下
 例え聖夜であろうとも、休暇が与えられていようとも、NAPD本部はいつもと変わらない。メンバーたちに与えられた休憩室では、アルベルト・ハーヴァーがソファに体を預けていた。ローテーブルの上には差し入れのドーナツが鎮座している。キャラメルブラウン、ストロベリーピンク、はてはブルーやイエロー、カラフルな食紅がたっぷりあしらわれたクリーム。いつもなら直ぐに平らげられたはずのドーナツだが、未だ皿の上に山盛りになっている。
 とんとん、と入り口のドアを叩く音がして、アルベルトはそちらを見やった。そこには金髪の小柄な少年――いや、アンデッドが立っていた。
「ん? どうしてこんな夜更けにここまで来たんだ。今日は休暇中だぞ?」
 アンデッドはちょっと肩をすくめた。ただ単純にバディのことが心配だったというのは癪だったらしい。
「あの貧弱クソ野郎に言われて呼びに来た。二十分後にミーティングだとよ」
「そうか、ありがとう」
 アルベルトは少しやつれた表情で答えた。アンデッドはそれを睨めつけて、ずかずかと部屋に入ってきた。
「おい」
「リアム、どうした……?」
 返事とともに、アルベルトは微笑みを浮かべる。小柄な彼は両手を頭の後ろで組み、アルベルトの眼前に歩み寄った。ソファの向き合う位置に座る。くりくりとした瞳がアルベルトを見やった。かれの内なる葛藤を見透かしているようだった。
「言っておくがお前のせいだぞ。お前の判断で、お前の指示だ。誰に何言われたかまでは知らねえが、あの場で支持者として言葉発したのはお前だ」
「……わかってるさ。俺のせいなのは………。俺の指示でこうなってしまった。みんなを危険に晒し死傷者を出して、なにが副チーフだ、与えられた仕事もできないで……全部が俺のせいだよ」
 今までアルベルトは、レナードが自分の心の穴を埋めてくれたと思っていた。両親の死に沈んでいた時、彼の演技を見て勇気が湧いたのだ。直接会ってから与えられた甘い言葉や熱や思い出も、まざまざと思い出せる。自分にとってのヒーローだったと言ってもいい。けれどその蜜月は利用され、巡り巡ってこんな結果を招いてしまった。
 今回の一件を通じて知ってしまった。レナードがアルベルトとヴァニタスを利用して、クリスを脅迫し、ホテルを危険に晒していたことを。ヴァニタスは大事な後輩だった。クリスに至っては、両親が死んでからの親友で、さらには想いを寄せている相手でもあった。妻子の死に打ちひしがれる彼を見て、力になりたいと思っていた。しかし自分といえば、指揮を任されていたというのに、サイの掌の上でレナードの糸に操られ、メンバーを危険に晒してしまった。レナードは大怪我をしてセスは殉職、サイは失踪。平常心で居られるはずもない。
「だからこそ、これからどうするか考えてるんだ。いつもの小言なら後で聞くから今は放っておいてくれ」
「一度失敗したちいせえ脳みそで必死に考えても出るのは同じ結論だぞ。不足を分かってんなら補え」
 アンデッドは義足を大きく鳴らした。
「いつからてめえは何でも自分で出来るほどご立派になった」
「怒らせたのなら謝るよ、ごめん。言い方がよくなかったな」
 しょぼくれてうつむくと、ローテーブルに置かれたドーナツが目に入った。これも友人がアルベルトを心配して差し入れてくれたものだった。
「……そうだな、今の俺に足りないのは糖分なのかもしれない。思った以上に頭が働いていないんだ。一緒にドーナツでも食べながら、話聞いてくれるか? リアム」
 リアム、と呼ばれて、彼は小さくため息をついた。
「……ドーナツ以外の糖分を知らねえのか? そこから教育が必要か?」
「だってドーナツを食べるのが一番元気がでるからな! 特別な時以外でもドーナツを食べることができるんだ。なら食べない手はない! ドーナツはいいぞ〜」
 ほんのわずかだけ顔に生気が戻る。それを見たアンデッドも少し安心したようだった。
「まあいい、付き合ってやる。お安いおまじないで何より」
 安いってきみ、ドーナツに失礼だぞ! 頬を膨らましてみせると、アンデッドに笑い飛ばされた。
「よかった。きみなら付き合ってくれると思ってたよ」
「だったらなんで最初から誘わなかった? ん? 脳みそにも穴空いてんのか?」
 アンデッドの言葉が茶化しのトーンになった。二人は並んで掛けて、皿に山盛りになったドーナツを手に取る。夜食にはちょうどいい時間だった。
「なんで、って……今回のことは俺のミスもあるし、きみたちは悪くないだろ? 責任があるとしたら俺たちの方じゃないか。まんまと罠にハマってきみたちを危険にさらした。……ほんと情けないよ」
「その辺に関してはそうだなとしか言えねえが、その上で言ってんだよ。何のためのバディだと思ってんだ?」
「……そうだよな、こういう時に相談してこそ『バディ』だよな……。決してきみのことを信頼していないわけじゃないんだ」
「ハン、お勉強と練習が必要だな」
 アンデッドはドーナツを噛みちぎる。断面から白いクリームがとろりと漏れて、ほっぺについた。
「よし! 俺たちでなんとかしてロウ班の信頼を取り戻そう! 休んでる場合じゃないな」
 アンデッドは足を組みかえて鼻を鳴らした。
「信頼ねえ……クソガキはガキだがアホじゃねえぞ。本気で相手とる気なら気をつけるんだな」
「わかってるさ。けど彼女が俺たちを裏切っただなんて信じられなくて……。それに彼女にはヴァニタスの側にいてくれないと困る。まだこちらに戻れるのなら……俺は連れ戻したいと思っている。敵に回るというならそれなりの覚悟はあるよ」
「裏切り、ねえ。やる事やって出てっただけだろ。俺たちは元々犯罪者で、そういうやつだ。向こうで仕事してたんならそうなんだろうよ。だから、こっちにあいつを置きたいのなら"呼び戻す"じゃねえ。敵の一人と一から契約する気でかかれ。元仲間、なんて気でかかってたんじゃ寝首の一つじゃ済まねえ。あいつがあの世界に戻ったってんならな」
 神妙な顔でアンデッドの言葉を聞いていた。恐らく、このメンバーの中で彼女のことを最も知っているのは彼だ。沈黙の後、しかしアルベルトはハッキリと口にした。
「……いや、呼び戻すだよ。彼女は仲間なんだから。俺たちと過ごしたこの時間を彼女はどうでもよかったとは思ってないはずだ」
「そういう気で行け、って話だよ。二度目の『うっかり』を起こしたいか? 」
 アンデッドは一つ目のドーナツを平らげ、二つ目に手を伸ばそうとしている。細い指先が菓子の円を掴んだ。
「『本当はどう思っているのか』は彼女にしかわからない。だから俺は彼女と接触して気持ちを聞きたい。君の言う通り、彼女を呼び戻すのは俺の役目じゃない。けどそこまでの道のりぐらいは作ってやりたいかなって」
「いいか、俺たちは悪人……犯罪者として生きてきた。情一つで引き金引けねえアホならここに来る前に死んでる。気を引き締め直せ。甘やかすのは俺たちの役目じゃねえ。あいつに殺人の罪を背負わせたくねえならな」
「彼女は”いい子”だ。きっと大丈夫、ここに戻ってくる。きみもそのほうが嬉しいだろう? リアム」
 そう言われて、彼はふっと口端で笑った。
「別に。サイとは、今までたまたま進む道が近かっただけの関係だ。自分の理想と希望と欲押しつけて引き寄せる相手なんざ一人で充分だよ」
 知り合い。それが、二人の関係を表す言葉の全てなのだろう。
 ミーティングまでの限られた時間の間、ドーナツを啄みながらとりとめのない話を続けていた。やがて二人は立ち上がり、ブリーフィングルームへ向かった。
 『捨て身の始末屋』たちにとって、早朝深夜の呼び出しはよくあることだ。会議室にはサイとファインを覗いた全員が既に集っていた。退院して間もないレナードとシュヒは椅子に座らせられている。セオドアは何やら落ち着かない様子だった。寝起きを叩き起されたのかランディーはあからさまに不機嫌で、バディがいないんだから非番でいいだろ、さっさと寝かせろとぼやいている。
 『morphine』と『cyanide』――20人の中に紛れ込んだ明確な異物。ファインとサイがいなくなって、敵の情報はない。こんな状況のミーティングで、何を話すというのだろう。
 全員揃ったことを確認すると、定刻を待たずリトートが話し始めた。
「急な招集だったが、応じてくれてありがとう。まずホテルから帰還したみんな、ご苦労だった。ランドルフの件は残念に思う。勇敢な警察官だった。彼の犠牲に敬意を表する。彼は命をかけてホテルの人間を守った」
 リトートはちょっと眉を立てて、スクリーンの方に目をやった。
「先日退院したロウについては回復次第復帰、後方支援に徹してもらう予定だ。そして、アネモネについては……本人から話してもらう方が早いだろう」
 言葉と同時に、スクリーンに映像が映る。
『おや、きちんと入っていますね。お疲れ様です』
 画面に映ったのはファインだった。どこか薄暗がりにいるようで、声をひそめている。
「ファインはスパイだった。まあ――所謂二重スパイという立場だ」
 リトートがつづける。
 ホテルにあえてロウ班を赴かせた理由。それは、既にファインが密偵だと気づきつつあるサイからファインを引き離し、より真相に近づくためのアプローチでもあった。ファインのはたらきにより、こちらの残りメンバー側にスパイがいなかったことが確認できたから、今回彼の正体を伝えたらしい。
 とことん警察の犬じゃねえか、とランディーがぼやいた。ヴァニタスが一歩を進み出る。
「あのっ、サイはそこにいるんですか。彼女と話をすることはできませんか……?」
『彼女ですか』ファインは、手袋につつまれた手を顎にやり、はてと目を細める。
『同じ拠点内にいます。動向は探っていますが、今の状態で皆さんとお話をすることは難しいでしょう』
 刑務所からの移送直後に行われた身体検査の間、元受刑囚たちの手にはマイクロチップが埋め込んであり、アメリカ国内であれば足取りが追跡できる。ファインは、サイが同じ拠点のどこかにいることは知っていた。だが、どうやらレツィンクの拠点はここ以外にも複数存在し、市内に分散されている。うかつにサイに接触して正体が露見すれば、ファインは惨殺され、レツィンクは警戒を強めてつかみかけた尻尾を再度逃すことにつながりかねない。
『彼女がレツィンク側に付いた経緯も分かっていませんから』
「裏切った理由なんざ、とっ捕まえてから聞きゃあいい」
 アンデッドが言った。
「そうだな、サイの処遇についても話しておこう」
 それはアルベルトも気になっていたことだ。彼女のしたことは都市反逆罪だ。一人にとっては取るに足らぬ情報でも、どんな事情があったとしても、その行為によってニューアトランティス市民全員が危険に晒されるかもしれない。例えばレナードに強い睡眠薬が盛られ、ピンポイントで容貌を溶かされたのは、サイが彼を『要注意人物』として報告していたかららしい。
「ニューアトランティスに危機が迫っている今、かつての仲間だろうと生かして返せなどとは言えない。だからこそサイは必ず殺せ――と、お上からのお達しだ」ミーティングルームの雰囲気が一気に冷え込んだ。
「ま、待ってください。殺せ、なんて……ひどすぎます! サイのことを……殺したくない」
「ああ。まず、彼女は本当に自分の意志でレツィンクに従ってるのか確認しよう! 駆け引きすれば戻ってきてくれるかもしれない!」
 アルベルトは、横目でリトートを見やる。考えが甘いと叱責されることも覚悟していた。しかし彼は静かにうなずくだけだった。
「俺も同意見だ。公的機関による秘密裏の暗殺がレツィンクに露見すれば、大々的な武力衝突の口実にされかねない。リスクは少ないほうがいい。という訳で俺からはこう指示する。”生死は問わない”」
 それがリトートの、立場と個人の板挟みの間から滲み出た僅かな温情なのだろうと、アルベルトは考えた。
『雪山の拠点が焼け落ちる前にかろうじて手に入れた資料と、レツィンクの拠点から得た情報。それらを総合して、ある作戦の存在が分かりました。レツィンクは、ニューイヤーズ・イブに大掛かりなテロを計画しているようです』
 画面越しのファインの言葉によって、みなにわずかな緊張が走る。今は12月26日の深夜だ。大晦日まであと1週間もない。
『場所はミッドタウン、タイムズスクエアのカウントダウン会場。何も手を打たなければ、9.11レベル――それ以上の被害が発生するでしょう』

 タイムズ・スクエアのカウントダウンは第二次世界大戦後から始まり、9.11でも疾病流行の中でも行われてきた。莫大な経済効果を生み、世界中から注目される一大イベント。その警備は他ならぬニューアトランティス市警の仕事だった。
「イベント中止の方向で掛け合ったが、難しいだろう。何より、今回のゲストは国際連合事務総長と先代市長。警備人員は増やしてやるから、式典を無事に執り行い、NAPDと市長のメンツを潰すなと、本部長からのお達しだ」
 とリトートはいった。驚いた様子はなかった。内部分裂、面子の重視、人員の軽視、すべて今に始まったことではない。
 言葉を継いだのはシュヒだった。
「サイちゃんが向こうに行ってしまった以上、僕たちにとってはセントラルパーク解放戦よりも激しい戦いになるかも。先のホテル戦で不安定になったり、ぼくたちのことを信頼できなくなってる子もいるかもしれない」
 プログラムのメンバーは何度も死地を掻い潜ってきた。でも正規の訓練期間でいえば、一般人に毛が生えた程度だ。生還率は保証できない。
「ここで任務を降りたとしても止めはしないよ。元の職場、あるいは刑務所に戻るだけだ。お互いにね……」
 リトートはシュヒを無言で見つめていたが、やがて口を開いた。
「今一度問おう。君たちに覚悟はあるか。自由への渇望、贖罪への覚悟、あるいはNA市民を守るという大いなる使命のために、命を賭けられるか?」
 それからは互いに言葉もなかった。アルベルトは、傍らのアンデッドとメンバーを、じっと見つめていた。
「自分で選んでくれ」
 表情を変えぬまま、リトートは続けた。
「悔いのない方を」
 ずいぶんと長い間があった。沈黙にじりじりと焼かれるようだった。目を伏せたアンデッドがそっと身を寄せてくる。その瞬間に、アルベルトの脳裏には、いままで警官として過ごしてきた日々、周囲の人間から与えられてきた溢れんばかりの愛情と心遣いのことがよみがえってきた。
「――俺は、やりたい。ニューアトランティスを守る! 君もそうだろう、アンデッド」
 あえて、新たな名を選んで呼んだ。傍らの彼がふっと破顔した。傍らの彼がふっと破顔した。
「いい顔するようになったじゃねえか。付き合うぜ」
 クリス、レナード、ヴァニタス、仲間たち――アルベルトには絶対に守りたい人々がいる。だからこそ、隣に並び立つ小さな体に目配せして頷いた。たったひとり、背中を任せるべき男に。長い呪いから解き放たれ、過ちを正して自由になるべき男に。
「頼んだよ、『相棒』」

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■エピローグ
 ミーティングを終えて、それぞれが持ち場に戻っていく。足を速めて立ち去ろうとしていたセオドアだったが、後ろから声を掛けられた。
「セオドアくん。話がある」
「は、はい……なんでしょう」
 振り返る。やつれた青白い顔、重たい前髪からのぞく金色の瞳がぎらぎらと光っていて気味が悪い。なんとも物憂げな雰囲気である。チーフだ。
「さっきも聞いたけど、君は今後の任務にも参加するつもりはある? ホテルでのこと、セスくんのこと。気になっていると思って……」
 含みのある聞き方だった。
「上層部やお二人が決めた処遇がどんなものであれ、それに従うつもりです」
 処遇についてはいずれ聞かれると思っていたので、すらすらと言葉が出てきた。
 セスへの哀悼。ホテルでのことを忘れられたかと言えば嘘になる。「俺はお前とバディになりたくなかった」と言われたことも、雪の中銃声が聞こえた時に彼の死を予期したことも。やるせなくて、申し訳なさや罪悪感、虚脱感が心にこびりついている。ただそれ以上に、何気ない会話やふとした時の笑顔ばかり、脳裏に焼き付いて離れない。もっと話がしたかった。セスの内面を知りたかった。お互いの立場や価値観の関係ない場所で、なんでもない些細な会話がしたかった。感情がぐちゃぐちゃに縺れている。
 しかし、だからこそ、生きなくてはとも考えていた。立たなければならない。
「彼を殺した組織への復讐などは考えていません。ただ、個人的な気持ちとしては……セスが僅かにでも私を見込んでくれたのなら、その部分をセスがいなくとも役立ててほしいんです」
 彼の遺体は美しかった。愛しい人を失うのは何度経験しても慣れない。時間をかけて折り合いをつけていくしかないだろう。
 セス。私と向き合ってくれて、一緒に生きてくれてありがとう。どうか安らかに。いつまでも変わらず、あなたを愛しています。

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「プログラムに自分が貢献できる余地があるなら、ここに残りたいんです」
 セオドアの決意を聞いて、チーフははっとしたような顔をしていた。それから柔らかに瞳を細めて、小さくうなずいた。
「本当はね。君のことが心配で、参加を止めた方がいいんじゃないかって進言してたんだ。でも君は、ぼくが思っているよりもずっと強くてタフだったんだね……。これからは主に後方支援を担当してもらうと思う。心理的に堪えるなら適宜休みは与えるし、署内のセラピーも紹介するから、いつでも申し出てね」
 セオドアは頷いた。
「それともう一つ、セオドアくんに話しておきたいことがある」
 チーフはおもむろにそう言った。懐から端末を取り出して、電源をオンにする。ある女性の顔写真と、彼女がNAPDに来る前の経歴の追跡記録を映し出した。セオドアはしばらく困惑したような表情を浮かべていた。だが、シュヒが口にした情報を聞いて、目を見開いていった。
 一通り話を聞き終わって、セオドアは踵を返した。混乱と衝撃で足元がふらついている。
「……失礼します」
「うん。寮で彼女とゆっくり話してね」
 寮へ向かう道すがら、ちょうど『彼女』の後ろ姿が見えたので、セオドアは声をかけた。
「――ウェンズデーさん。少しいいですか、おはなしがあります」
 背後からの雰囲気を察してか、台詞が終わるより前に彼女は振り向いていた。
 フェニックス班所属のウェンズデー。確か、スラム街で殺し屋に育てられ、殺人の容疑で捕まったはずの無知な少女だ。彼女は、暗い色の瞳でセオドアをしげしげと眺めている。
「なんだ」
 ぼそっと呟かれた。緊張からか、セオドアは生唾を飲み下す。
 先ほど聞かされた。ウェンズデーと亡き妻に面識があったらしいということを。
 ――もうしばらく前のことだ。ジェンキンス夫人は大通りから道に迷ってスラムに来てしまい、スラム住民に絡まれて困っていたところ、ストリートチルドレンの少女が彼女の手を引いてくれた。彼女からしたら、せっかく身なりの綺麗なカモがいるので、自分が先に身ぐるみはがしてやろうという魂胆だった。だが夫人があまりにもまっすぐお礼を言ってくるのでそんな気になれず、鞄を奪おうとした手を大人しく引っ込めて大通りに案内した。
 その後、浮浪少女と夫人は誘われるままに大通りのキッチンカーで一緒に食事をとった。そして亡妻は名前を聞いたのだ。幼い少女は首を振った。名前という概念は知っていたが、自分に関係のあるものだとは思っていなかった。亡妻はそれを悟り、言った。
『私があなたの名前を考えてみてもいいかしら』
『ウェンズデーってどうかしら。私、一週間の中でも水曜日が好きなの。私の好きなもの、あなたにあげるわ。もう一度会いに来てもいいかしら?』
 ジェンキンス夫人の問いに、少女――ウェンズデーは断った。スラム街は危険だから。しかし夫人はつづけた。
『あなたはまた私に会いたいって思ってくれてる?』
『また会いたい』
 準備期間の頃、ウェンズデーから亡妻について聞かれたことがあった。その時はまだ彼女の死から立ち直れていなかったので話し合いを拒絶してしまったが、今やっと腑に落ちた。セオドアの存在をきっかけとして、ウェンズデーはジェンキンス夫人のことを思い出し、彼女の死亡事件について調べたのだ。
 ジェンキンス夫婦は子供に恵まれず、亡妻はウェンズデーを養子に迎えたいと思っていたようだ。亡き妻がつけた名前。義娘になるはずだった少女。それを思えばセオドアは、ウェンズデーのことがいっそういとおしく思えてくるのだった。
 経緯を説明すると、ウェンズデーはぽかんとしているようだった。セオドアは言った。
「もしプログラムをぶじに終えることが出来たら、一緒に暮らしませんか。家族として」
「……かぞく」
 ウェンズデーの黒い瞳がきらきら輝いていた。セオドアは柔和な笑みで頷いた。まだ意味を掴みかねているようだが、好奇心のようなものが感じられる。まだ、手は差し出さない。繋がない。それは、戦いの全てが終わってからで良い。
「寮に帰りましょう。明日もはやいですから」
 二人はどこか穏やかな雰囲気を纏いながら、寮への帰路についた。アーメン終止が聴こえてくるようだった。明け方にさしかかった空。暗い天球の東側に、金星がほんのりと輝いて、セオドアの背中をやさしく照らしている。新年を迎えようとするニューアトランティスで、それぞれが、自らのヒロイズムを叶えようとしていた。

 

12話

 

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