&party

眠れない夜は眠らない僕と

Lemonade #3「Stand by me」

 「お前みたいに無気力な指示待ち人間が、何のためにわざわざ警察学校を出て殉職者の多い職場にいるのか、私は理解に苦しむね。ちょうどお誂え向きのプログラムが始まった。お前も一緒に更生して来い」。そうやって上司から異動を命じられた時、ベル=ソニアは頭をぶん殴られたような心地がした。

 神は死んだし正義も死んでいた。プログラムのコンセプトにまったく共感できない。元受刑者が更生してニューアトランティスのヒーローになる? 奉仕活動の代償に仮釈放? ふざけんな、ふざけるな、ふざけんなよ! バカも休み休み言え! 被害者の命を守れなかった警察が、加害者なんかの未来を保証するなんてどう考えてもおかしな話だ。おれの■■■は、お前らみたいなのに命を奪われたんだぞ。元受刑者なんかが、誰かの未来を奪ったやつらなんかが、のうのうと自分の未来を語る資格はないはずなんだ。

 罪を犯した人間は、青春時代も大人になってからも誰かに恋をするときも親になる時も、自分は殺人犯なんだと底知れぬ闇と引け目を背負って死んでほしい。更生なんかしなくていい。おまえにおれの痛みは分からない。まともなおれ達の知らないところで、できるだけみじめにひっそり死んでくれ。

 気休めにマフラーの裾をきゅうと握る。異動のためにデスクを片付けながら、彼は唇を嚙みしめていた。

 

「……ぱい、ベル先輩! 朝ごはんできましたよ。起きてください」

 聞き慣れた声。それで彼は、数か月前の光景をそのまま夢に見ていたことに気づいた。彼は寝ぼけたままで、

「おれ休む……」

「えっ!? ほ、ほんとにですか……? 一緒に出勤できると思ったのに……」

 再びベッドにこもろうとすると、シェアメイトがしょんぼりと声を漏らす。その声があまりにいじらしく、ベッドにこもっていた青年――ベル・ソニアは、布団から寝ぐせ頭の残る顔を出した。

「……行く……」

 ベルとヴァニタスは警察学校時代からの仲良しで、現在はNA市内でルームシェアをしている。今朝も簡単な朝食を取り、とりとめない話をしながら一緒に出勤する、いつも通りの光景だった。ベルの顔が、更正プログラム参加以前よりずっと曇っていることを除けば。

 NAPDについてすぐ、仕事前の一杯とばかりに二人は自販機に向かう。ベルはコーヒーが好きだった。朝に飲む真っ黒なコーヒーが、しみったれた仕事に彩りを与えてくれると信じていた――それがインスタントであっても。

  近くの壁には何やら張り紙がしてあったが、ベルはそれには目もくれず自販機に硬貨を投入した。どうせ下らない業務連絡だろう。取り出し口に落ちてきた紙カップにコーヒーが満たされていく。それを横目にヴァニタスが、

「今日のロウ班は内勤なんです。お昼は班メンバーみんなで食堂に集まって親睦会をするんですよ! 副チーフのアルベルトが発案してくれたらしくて!」

 喜色満面。この更生プログラムに参加してからというもの、ヴァニタスは生き生きとしていた。同じチームのメンバーやバディともそれなりに仲良くやっているらしい。

「先輩たち……フェニックス班は何をするんですか?」

「セントラルパークの捜査、だってさ」

 投げやりな口調だ。

「アップタウンにある自然公園……セントラルパークに落書きが増えたり不審物が見つかったりしているらしい。管轄部署から応援要請が来たんだって」

 ヴァニタスのように、正義感に燃えるとかメンバーと仲良くなんてとんでもない。そもそも彼は前の上司に無理やりここに連れてこられただけだ。班分けでは仲の良いヴァニタスと分けられ、代わりに居るのは犬猿の仲の同期。直属の上官は暑苦しそうで苦手なタイプ。おまけにバディは――。そこまで考えて、ベルは思考を止めた。

 自販機から電子音が鳴り、ドリンク準備完了を告げる。ベルは紙コップを取り出し、その中で揺れる真っ黒な液体を見つめていた。

「……そろそろミーティング開始時間だな。じゃあまた帰りに、ここで待ち合わせな」

 そこまで言ったところで、ベルはコーヒーを飲み干そうと口に含む。だが直後、口の中の液体を勢いよく噴き出した。

「ぶっ!」

 口元を必死で拭いながら、悲痛な顔で叫ぶのは、

「このコーヒー、泥水入ってる!」

「あ、ほんとだ。ここに調整中って書いてありますね……!」

 ヴァニタスが壁の張り紙をしげしげと眺め直した。

 

 ニューアトランティス市民の憩いの場所、緑溢れる自然公園・セントラルパーク。ここでの楽しみ方は楽器を演奏したりペットと遊んだり日光浴をしたりと、人それぞれ。狭い部屋では日頃できないことを思う存分楽しめる、都会のオアシスだ。

「公園内での行動は各自の裁量に委ねます。何か共有したい事項があれば、無線を使って連絡を取ってください」

 告げたのは、フェニックス班副チーフ・ファインだ。優しげなアンバーの瞳でメンバーを見渡している。

 歳若い青年警官や元受刑者メンバーたちが入口にまばらに集まっている。セントラルパークの地図を端末で共有しつつ、各々雑談やストレッチをして捜査の計画を立てていた。

f:id:yes108:20210516010401j:image

 ベルはその輪から少し離れたところで、自分のバディとともに佇んでいた。

「だってさ。ギル、行くよ」

「おう……」

 ベルのぶっきらぼうな言葉に、傍らに立つ黒髪の青年が応えた。何に気後れしているのか垂れ目を細め、曖昧な苦笑いを浮かべている。それから落ち着きなく周囲を見回して、

 「うわ、おれ久しぶりに来たわあ。やっぱ自然っていいなー……あー、パトロールだっけ。プロに任せるよ」

 「おれが決めていいの? ……どうしようかな。 噴水あたりなんか人多いだろうし、南側の方がいいよな」

 ギルバートも納得し、二人の青年は並んで歩きだした。

 ギルバート・ヴァレンティノ。彼はベルの近頃の悩みの種で、更生プログラムのバディで、NA刑務所に収監されていた殺人犯で、……ハイスクール時代の元恋人だ。

 ベル=ソニアは、学生時代に実姉を通り魔事件で殺された。姉がマネージャーを務め、弟は走る。苦手な早起きをして、太陽の下でひたすら風を切った。そうやって姉弟で陸上選手を目指していた。――その矢先の、殺人だった。そうやって、今までの人生で一番辛い時期を共に過ごし、愛情を分かちあった相手がギルバートだった。

 バディ発表の時、ベルは密かにギルバートがバディであってほしいと密かに願っていた。気まずさからか、ぎこちない仲の今でも変わらない。こんなおれでも、ギルバートの更正を助けられたなら。

 そんなことを考えながら歩いているうちに、二人はいつの間にかこの公園のランドマークである噴水に辿り着いていた。中央に天使の像がそびえ立ち、その下では小さな子供たちのオブジェがある。

「意外、誰も居ないもんねえ。平和ってことかな」

「……あれ。ほんとだ。ごめん、ミスったかも」

 その声が聞こえたのかどうか、ギルバートは水色の瞳で噴水をぼんやり眺めている。ベルはそれを追うように、周りをキョロキョロと見回しながら噴水に近付いた。ギルバートがおもむろに口を開いた。

「水とかってずっと見てられちゃうんだよな、おれ。やべ、仕事中なのに時間忘れちゃうわ」

「べつに……いまはおれしか見てないし。いいよ、ちょっとボーッとしよ」

「優しいね、ありがと。おれ帰っても寮だからさ、新鮮なんだ」

 ギルバートは屈託ない笑みを崩さず、しかしどこか不安げな口調で続けた。

「……なんかこういう静かなとこ、落ち着くんだよなあ。ベルは?」

「おれは……どうだろ。ちょっとうるさいほうが落ち着くかな……。ほら、あのさ。放課後の学校には誰もいないけどグラウンドに人いる感覚。あれすき」

「高校ん時は毎日楽しかったなあ」

  二人は目を細めて笑う。いつものぎこちなさが掻き消えたようだった。

「そっかー、もう8年も前なんだよな。 ……大人になったな、お互い。 ああ、そうだ。警官になっておめでとう、ベル。おれちゃんと言えてなかったから。……って、今もサボっちゃったね」

「いいよ。バディとのコミュニケーションも大切。だろ?」

 ベルはスッと右手を差し出した。ギルバートは一瞬あっけに取られたようだが、すぐにその手を取った。

「そっか、おれたちバディだもんなあ」

「……ん」

 ベルは、ギルバートの手を満足そうに握り締めた。つないだ手から体温の熱が伝わってくる。それだけで、自分たちはこれからともに真っ直ぐ歩んでいけるのだと、そう信じられた。

 二人はギルバートの提案でスケートリンク場に向かった。秋の終わりから春の初めまで、期間限定で営業しているアイススケート場で、親子連れやティーンエイジャーがスケートを行っている。ギルバートはスケートリンクの賑わいを眺め、僅かに元気を取り戻したらしい。へらへらと笑うギルバートにベルはクスリと笑い返し、スケートリンクを見回した。

 有名な観光名所であるため周辺には人が多いようだ。ただ、そのまま入るには入場料が少し高すぎる。割引券があれば中にも入れそうなのだが、ベルは生憎財布をパトカーに置き忘れていた。

 「……出てくる人に話聞くか。すいません」

 ベルはちょうどスケートリンクから出てきた若い女性に声を掛けた。ツインテールに括ったビビットピンクの髪がよく目立つ。小柄な体で露出度の高い派手な服装を着こなした、いかにもトレンドに敏感な女の子という印象だ。そこでベルは、彼女の両肘から先が機械義肢であることに気づく。彼の仲間が使っているようなタイプではなく、より重厚で生体に近い造りだった。

 彼女は、いきなり声を掛けてきた男性二人組に戸惑っているようだった。

「なによ?」

「……こんにちは。ちょっと時間もらっていいですかね……。 ニューアトランティス市警所属、ベル=ソニアと申します」

 彼女は差し出された警察手帳を一瞥し、それから鼻を鳴らす。

「フーン。警察ね……ああ、そのジャケット。NAPD更正プログラムでしょ?聞いたことあるわ、人殺しを犬みたいに使役してるって。あんま近づかないでね」

 その言葉にギルバートが身じろぎする。ベルはつとめて淡々と、

「今パトロール中でして、最近このあたりで何か起こってないかとか。話だけ聞かせてもらいたいなと思ったんですけど……いかがです?」

「何も変わったことなんかないわ」

 女性はきっぱりと吐き捨てた。

「クソ普通の、クソつまんない公園よ」

 

「クソつまんねェ公園だな」

 長閑な自然の中で、強面ドレッドヘアに口輪のランディーは完全に浮いていた。褐色の肌に日光を受けながら大きく欠伸をする。

 いっぽう、バディでありフェニックス班副チーフでもあるファインは、ランディーとつかず離れずの距離を保ちながらセントラルパークを見渡す。普段は温厚な笑みを絶やさない彼だが、更生プログラムトップクラスの凶悪犯を前にすると気が引き締まるようだった。彼は落ち着いた口調で、

「今日の仕事はこの場所のパトロールですが、くれぐれも勝手な行動はしないでください、何かあればまず報告を。──いいですね?」

「へーへー、わァってるよ面倒くせえな。警察様の真似事させていただきますよって」

 ランディーは上着のポケットに手を突っ込み適当な返事をする。そこでファインは、彼の目線が北側を眺めていることに気づいた。

「この公園は広いですから、南と北で分けて巡回をすることになっていますが……僕達は北側を回りましょうか。……パトロール、ですからね」

「いちいち理由付けすんのたりィなあ」

「理由付けではありませんよ、事実遊びに来たわけではありませんから」

「……ケッ。たしかにお前と外遊びに駆り出すなんてことあるはずねェもんな。仕事って括りのがマシだ」

 ランディーは口ではぶつくさ不満を漏らしながらもついてくる。ファインはその気配を感じながら、公園の北側へ向かった。

 次に二人が足を止めたのは、道中にある貯水湖の辺りだった。ジャクリーン・ケネディ・オナシス貯水池。小さな湖にはいくつかボートが浮かんでおり、カップルが楽しそうに船を漕いでいる。船着場では中年の管理人が暇そうにスマホをいじっているのが見えた。

「……あー……? あー……平和ボケだ」

 船を漕ぐカップルを眺めながら、ランディーが何ともつかないぼやきを漏らす。周りの緑と水とを見比べるように視線を動かしていた。ファインは相手の様子を窺って沈黙していたが、ランディーがいきなり湖から立ち去ろうとしたのを見とがめて声をかけた。

「待ってください。まだ聞き込みもしていませんよ。勝手に行動しないよう言いましたよね」

 視線で牽制され、ランディーは不満を漏らしながらも振り返った。ファインはそんな彼をよそに、中年の管理人に聞き込みを始めた。

「こんにちは。私、ニューアトランティス市警・警官のファインと申します。少し、お時間よろしいでしょうか?」

 ファインは警察手帳を見せて管理人に話しかけた。管理人はビール腹を擦りながら、

「はあ。警察官さんがうちになんの用でしょう」

「最近この辺りで落書きが増えたり、不審者が出たりしているとお聞きしたので、パトロールをしているんですが、何か心当たりがありますか? 例えば、怪しい人物を見たとか。些細なことでも結構です」

 依然穏やかな口調だ。管理人は警察手帳とファイン達の姿を見比べて小言を言ったが、聞き込みには応じてくれた。

「最近公園のあちこちで、機械の部品みたいなものが落ちてるそうですよ。うちでも先日予備のモニターが盗まれました」

「機械の部品……ですか、それに盗難……、盗まれたというモニターはひとりで運べる大きさでしたか?」

「ちょっと重いね。女子供には無理じゃないかなあ。台車や義肢を使えば不可能じゃなさそうだけど」

 ランディーはボヤッと空を見上げたり欠伸をしたり、あるいはファインに茶々を入れたりしている。もとより彼は、こういった堅苦しいやりとりを苦手としていた。ファインはバディの雑な態度を軽く流し、管理人との会話を続ける。

「台車や義肢ですか、なるほど。義肢が出てくるということは、何か心当たりがあったり……そういう人物をこの辺りで見たことがあるのでしょうか?」

「なんでもサイバネティックスが流行ってるらしいよ。若い子の考えることはよく分からんねえ」

サイバネティックス……ですか。ご協力ありがとうございました、あなたもお気をつけて」
 ファインは礼を言い、聞き込みを切り上げた。

 

 

 夕刻になって、無事にフェニックス班の任務が終了した。

 元受刑者達が寮へと戻されるのを見届けてから、警官側メンバーがパトロールと捜査で得た情報を報告していく。ガティ達は公園内で錆びたペンチを見つけ、カイル達は、更生プログラム参加中の元テレビ・スターについてあることないこと書かれた安雑誌がコーヒースタンドで売られているのを見つけたらしい。ただ、爆発物や不審者に遭遇した、といった事案はなかった。

「君たちが集めた情報は、管轄部署と照らし合わせて分析に回す。犯罪を未然に防ぐのは地道な捜査と情報収集だ。次回の任務に備えて、今日はゆっくり休息をとるように。解散」

 上官の総括を聞いて、ベルは安堵の息をついた。犯罪、厄介ごと、刀傷沙汰。そういったものはないに限る。

 そこでベルは思い立った。

 元受刑者寮の夜間警備システムが始動するまでまだ少し時間がある。先ほどギルバートと穏やかに話ができたのだから、なぜ殺人を犯して収監されたのかを聞き出すことはできないだろうか。会って、話がしたい。ベルはその思いだけで元受刑者寮を尋ねることにした。

 寮の周りは不気味に静まり返っていた。ロウ班・フェニックス班どちらも任務が終了したからか、窓にはぽつぽつと明かりが灯っている。

 中に入ると、リビングを兼ねた食堂でサイが拭き掃除をしている最中だった。

「あの、ギルはいますか?」

「ギルバート様ならお部屋にいらっしゃいます。ただいま呼んで参りますので、ベル様はこちらで少々お待ちくださいませ。キッチンにコーヒーが用意してあります、お待ちの間ご自由にお飲みください。淹れたてですからお気を付けて」

「本当ですか? ありがとうございます!」

 彼は今朝泥水を飲んで(自業自得とはいえ)最悪な気分になったばかりだ。サイに案内された通りコーヒーを用意して、入口近くのソファに上機嫌で腰かけようとした瞬間。ベルは、食堂にいきなり入ってきた元受刑者と勢いよくぶつかった。

「あァ?」

「あぁっ!」

 不意を突かれたベルは床に倒れ込む。カップが宙を舞い、ベルのマフラーと元受刑者の上半身をコーヒーでぐちゃぐちゃに濡らした。ぶつかってきた元受刑者……ランディーは、謝りもせずベルを睨んでいる。

「床にへばってんじゃねぇ、邪魔だからさっさとどけ。つうか上着が濡れたじゃねェか」

「おまえの方からぶつかって来たんだろ! どこ見て歩いてんだよ! 気をつけろ!」

 ランディーはその言葉に機嫌を悪くしたらしい。眉を詰め目を細めた次の瞬間、口輪の向こうでニッと笑みを作った。獲物を見つけた野犬のような笑みだった。彼は煽るような口調で、

「……テメエのバディはギルバートだったな。仲良くやってんのか」

「は?」

 なぜ、ここでランディーがバディの話を持ち出してくるのだろう。意図が読めず、ベルは無言で相手を見つめていた。ランディーはやれやれとばかりに、

「あいつの心情も知らねぇで『バディ』か。相変わらず警官様はおめでてェな。脳みその治安が良さそうで何よりだ」

「何が言いたいんだよ……おまえに関係ないだろ」

 ベルはランディーを睨みつける。彼は口輪越しに歯を剥き出しにして笑った。

「お前のバディ、オレに『自分を喰い殺してくれ』って頼んできたぞ」

「――は?」

ベルの背筋を冷や汗が伝った。ギルバートが? どうして?

「お、おまえ、ギルに何したんだよ!?」

「何もしてねェよ。ギルバートの方から『自分を食ってくれ』って頼んできたんだよ。自殺願望に付き合いたくねェって断ったんだが、犯罪者が喰えないままプログラムが終わって、それであいつが生きてたら喰ってやってもいいって約束したんだ。……可哀想だなあ。バディに何も話して貰えねェで」

 そこへ足音が近づいてくる。食堂にやって来たのは、サイに呼びだされたギルバートだった。不穏な雰囲気に気圧されたのか、落ち着かない様子で二人の顔を見比べている。

「な、なに?どうしたの、ベルもディーくんも」

「ハッ。死ぬために生きてろよギルバート。その方が目一杯楽しめそうじゃねェか」

 ひとしきり警官を嘲弄して気が済んだランディーは、鋭い目つきで二人を睥睨し、ひらひらと手を振りながら寮の奥へ去って行った。ベルはその背中を睨みつけてから、目の前のギルバートの手首をつかんで彼の部屋へ引きずり込んだ。絶対に逃がさないとでもいうように。

「痛いって、ベル! なに!?」
抗議の声にも聞こえないふりをする。乱雑に扉を閉め、すぐにベルは切り出した。

「おまえ、元受刑者に『自分を殺してくれ』って頼んでたらしいな。なんでだよ。勝手に死ぬとか言うなよ!」

 ギルバートの顔色が青ざめて、無理に掴んだ手から血の気が引いていく。

「なっ……サイちゃんから聞いたの?」

「は? なんでサイさんの名前が出てくるんだよ? サイさんにも話したのか?……まさかおまえ、サイさんにも、自分を殺してほしいって……頼んで……」

「あっ、ちがっ……」

 墓穴を掘ったことに気づいたのだろう、ギルバートはひどく狼狽していた。その態度を見て、ベルは先ほどのランディーの発言が事実だったのだと気づく。

 ベルは深呼吸して、いったん手を放してギルバートを見据えた。

「なんで殺してくれなんて頼んだんだよ。話してくれよ、バディなんだから。――高校を卒業した後、どうしておまえが殺人犯になったのか、おれは、何も聞いてない……」

 ギルバートは、震えながら切り出した。

「……おれは、自分の兄ちゃんを殺した」

 そして、

「おれは自業自得なんだよ。見ただろ、セントラルパークで会った女の子の、軽蔑するような怖がるような顔……あれが普通なんだよ。被害者と加害者がいて、おれは……罪人側なんだ。姉ちゃんを殺されて苦しんだベルが、兄ちゃんを殺したおれを助けようなんて思っちゃいけないんだよ」

「だからって、死ぬなんて……」

「じゃあ、どうすれば良かったんだよ!」

 ベルの反論を遮ってギルバートが叫んだ。

「おれは、兄ちゃんを殺したことを後悔したくない。おれの兄ちゃんは前科者で、家族と世間に迷惑かけてばかりのギャングだった。あいつがいなくなればもっと自由に生きられるはずなんだって、そんな幸せな夢が覚めないままでいたかった。でも現実は刑務所、おれは犯罪者、かつて姉ちゃんを殺されたベルがバディだ。そんな状況にけじめをつけたいなら……おれには、もう死ぬことしか、できないだろ……」

 ベルは数秒の間何も言えないでいた。『犯罪者なんか大嫌いだ。絶対に許さない。死んで欲しい』。姉の死を告白した時、何度この言葉をギルバートに吐いたか分からない。かつての自分の切実な呪いが、時間を越えて最愛のギルバートの魂を蝕んでいた。

 一方のギルバートはうつむいていた。

「……怒鳴ってごめん。バカしたわ。そう、おれはバカなんだよ。だから人とか殺してもこんなふうにヘラヘラできんの……ベル、アンタは良いやつだよ。……俺たちは親友だった。でも俺はアンタに、人殺しになった理由も、ずっと抱えてた殉職願望も明かせなかった。それだけなんだ」

 ベルはギルバートに言い返したかった。小さく萎れたその身体を怒鳴りつけたかったし縋りたかったし、抱きしめてやりたかった。それでも乾ききった喉から漏れ出るのは、ギルバートを傷つけかねない強い言葉か嗚咽しか思いつかなかった。

「ベル、ごめん分かってよ。もうアンタと同じじゃねーよ」

f:id:yes108:20210516013008j:image

 沈黙が二人を隔てている。かつて艱難辛苦と愛を分かち合った、初々しい高校生たちの面影はない。犯罪者と警官が、質素な部屋の中に向き合って立っていた。

 そんな空気を切り裂いたのは、ベルでもギルバートでもないか細い声だった。

「先輩……」

 気弱そうな、しかし芯の強い穏やかな声が響く。ふいに部屋のドアが開き、顔をのぞかせたのは――ベルの後輩、ヴァニタスだった。紫色の瞳を潤ませている。その背後の廊下では、腕組みしてわざとらしく不機嫌を表すシュヒ、神妙な顔のルイーズが立っていた。

「今朝、一緒に帰ろうって約束してたじゃないですか。フェニックス班の任務は終了したって聞いたのに、先輩の姿だけ見つからなかったので、執務室に残ってたチーフに頼み込んでこっちの寮に入れてもらったんです……。そしたら二人が……喧嘩してて……」

 ヴァニタスは歯切れ悪く返した。彼は不安な気持ちを押さえようとしているのか、唇を真一文字に結んでいた。不健康そうな顔がさらに青ざめて見える。ルイーズも続けて、
「みんな心配してたんだよ」

「ベルくん、ギルバートくん。こんな時間に申請なしで元受刑者寮に赴いて、その上バディ同士で喧嘩を起こしたとなれば、僕の立場上見過ごすことはできない。事情を説明して。そうすれば、リトートさんに報告する時懲戒処分にならないように便宜を図ってあげられるかもしれないから……プログラムはまだ始まったばかりなのに、こんな所で辞めるつもりはないでしょ」

 懲戒処分、という言葉にギルバートは観念したらしい。バディから目をそらして声を絞り出す。

「……仕事はちゃんとやるよ。だからもうほっといて。おれ怒りたくねーよ」

 

 「君はベルくんをよろしく。僕は元受刑者寮に残って事情を聞くから」と上官に送り出され、ヴァニタス達は帰路に着いた。二人の重苦しい雰囲気を見て、ヴァニタスもずいぶん落ち込んでいるようだ。

「先輩、きっと疲れてたんです。今日は先輩の好きなメニュー作りますから、熱いお風呂入って寝ましょう。ね?」

 後輩の気遣いも、今のベルには上の空だった。唇から弱音が漏れる。

「……おれにはやっぱりだめだ。……おれなんかが人を救うなんて、できるわけがない」

「大丈夫ですよ。先輩ならできますよ」

 細い声だったが、今はその言葉が何より胸にしみた。 

 姉を喪った後ベルは警官になって、更生プログラムに所属し、様々な犯罪者と出会った。そして最近はギルバートを何とか救いたい、元犯罪者であってもいつか彼とやり直せると考えていた。でも、いつかってなんだ? その『いつか』は、おれが生きてるうちにやって来るのか?

 ベルは手を握り締める。その手はわなわなと震えていた。

 ――おれは、だれを信じたらいい?

 

 

→4話

andparty.hatenablog.com