Lemonade #15「Imagine」

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 それは女の形をした暴力だった。
「あなたたちには分かるだろう? この都市の腐敗が。わたしはこの都市を壊すためにここに来た」
 暗い廊下の向こうを睨む。ゆらめく灯りの向こうで敵がきゅっとブーツの音を鳴らした。びしっと手袋をはめなおした。ドアが、床が、静寂の中で僅かに軋む音が聞こえていた。
 ランディーが聞く。もういいか?
「おそらくは」ファインは答える。「静かに。――来ます!」
 一瞬だった。敵影は一気に距離を詰めていきなりがつんと『殴りかかった』。ランディーが一瞬で飛びのくと、拳は壁のど真ん中に当たり、壁がめりめりと音を立てて崩れた。無数の粉塵が舞い風穴があく。一部のランプが破損して冷えた廊下が更なる薄暗がりに包まれた。
 その隙をみはからって、研ぎ澄まされた銃口で女の胸のすぐ上をねらった。女は軽々と銃弾の雨をくぐりぬけ、それから足元めがけて飛びかかり靴の踵をめり込ませようとする。すんでのところで避ける。轟音、直後床に穴が開いた。コンマ数秒前まで自分が立っていた場所は、重い蹴りを叩きつけられたことで抉られ、妙な形に凹んでいた。
 意図せずつぶやきが漏れた。「――建物もろとも壊す気ですか」
 身をひるがえした際に打ち付けた脚を押さえながら、未知の領域に足を踏み入れたという事実をかみしめた。そして自分がまだ生きていることと、この戦いが終わってそれでも生きているかということを考えた。
 魑魅魍魎うごめくニューアトランティスで長いこと警察官をやっていると、徹底的に恐ろしい事件でないと頭に残らなくなってくる。そんな自分にとっても、眼前の人間は間違いなく異様だった。なるべく長く時間稼ぎをする必要がある。最低でも応援が来るまでの間。銃器に頼らず破壊力抜群のステゴロでかかってくるというのは、吉凶どちらに捉えるべきだろうか?
 飛びかかってくる敵を今度は床に転がって避けた。勢いのまま追撃が来る前に起き上る。背筋から迫ってくる殺気を肌に感じながら引き金に手をかける。
「――遅い」
「ッ、上……ッ⁉」
 女は音もなく跳躍して、『既にファインの上方にいた』。冷たい目がこちらを見下ろす。鋭い視線に射すくめられ、回避に出るのが遅れた。
「おい!」
 ――駄目だ。間に合わない!
 予想通りだった。空間を切り裂いて躍り出る女体の拳がファインを襲った。喉元から胸にかけて鋭利な痛みを感じた。叫びが僅かに漏れる。耳鳴りの後一瞬聴覚が完全に機能しなくなって、視界が赤に染まって、それから生理的な涙が滲んできた。衝撃で体が吹っ飛んで起き上がれない。重症ではないが、体が痛む。
 敵がブーツの足音を立てて歩み寄ってきた。
「もういい加減あきらめろ。一度は仲間だったじゃないか? あなたもわたしの理想に殉じてくれ」
「くそ……」
 傷口を押さえて酷く浅い呼吸をする。視界が歪んでいる。傷口が熱を持ってじくじくと痛んだ。
 女がこちらへ向かってくるそばで、目の前に人影が目の前に仁王立ちになった。逆光に包まれた彼は、いつもと変わらぬ品の悪い笑みを浮かべてしゃがみ込み、
「立て」
「誰が……」ファインは言った。「お前の救けなど……」
「はっ、違ェよ」
 ランディーは低く吐き捨てた。それから自分の頬を――否、頬に括りつけられた口輪をつついて見せた。癪だが、と前置きして、
「コレが邪魔だ。お前にしか外せねェ」
 毒を以て毒を制す。毒を食らわば皿まで。そんな句がふと脳裏によぎった。荒い息を整えることもせずに、目の前に立つ男を見つめていた。戦うのも死ぬのも自分一人だった今までとはわけが違う。”一番底まで落ちなければ救済されようがない”。”破滅を経て初めて蘇ることができる”。かれは観念したようだった。
 ファインは天から差し伸べられた手を取った。体重をかけてよろよろと立ち上がった。そして冷徹な瞳で言い渡す。
「――口枷の解除を許可します」
 ファインの声とともに、口枷から電子音が鳴る。それはこぼれ落ちて、足元で転がってからんと音を立てた。
「さあ、暴れましょう!」

 全てのしがらみと拘束がほどかれて、あらわになった口元は妖艶ですらあった。ランディーはその口元を皮肉にゆがめた。
 女は襲ってこない。見れば、僅かに息を荒くしているようだった。
「やっぱこっちのほうがやりやすいぜ」ランディ―はそういって歯を剝く。「で? どうする?」
 口では尋ねてはいても、ランディ―は返答の内容を感づいているようだった。ファインはその予感を肯定するように、短く答えた。
「殴ります。あとは指示に従って」
 残弾は心許ない。敵の先ほどの身のこなしを思えば、足場も視界も不安定なこの空間での発砲は躊躇われた。
 二人は一気に標的に向かって走り出した。敵もそれを確認し、こちらへ目掛けて走ってくる。お互いスピードを一切緩めず激突すると思われた寸前――ランディーは軽い身のこなしで支柱に両手をかけて、空中へ身体を投げ出して、大柄な体を回転させた。勢いのまま相手の身体へ飛び蹴りを食らわせる。靴底の重い蹴りを食らい、敵影は一瞬揺らいだ。ファインはその瞬間を見計らい、掌底、掌底、流し打ちをしゃがんで避ける、足払い。相手は時折二人の四肢をもぎ取ろうと鋭い攻撃を繰り出すが、先ほどと比べて格段に遅い。肌に生傷を増やしているようにすら見えた。
 それもそのはず――先ほどの膂力を前にして、近接戦は難しいと悟ったランディー。かれはあえて、手に入れた毒を”直接”使うことはやめた。そして敵が殴りかかってきたとき、避けるついでに小道具を投げ、壁や家具と同時に刃物を破砕させた。彼女は自ら砕いた破片を浴びて、そうとは気づかぬうちに毒で弱体化していたのだ。
 それぞれが自らの正義を証明しようとしていた。ランディーと敵の削り合いは、思考の賜物というよりほとんど反射に近かった。その隙を見計らい、ファインが冷静な指示出しとカウンターを狙う。
 瓦礫の破片が肌を掠めてわずかな血を切り出す。それにも構わず一歩床を蹴ると、先ほどまで無類の怪物のように思えていた女との距離が縮まる。ファインの意識は鮮烈な現実感を取り戻した。
 かれは体術を得意としていた。体重を軸足に集中させて体の安定を確保――足裏の指の付け根に体重を乗せて素早く蹴る! 蹴りは無防備な頸椎に命中。その隙にランディーは彼女の背中を捉える。ファインも跳躍し、そして同時に――女の身体へ、両脇から蹴りを捻じ込んだ。
「ッ――」
 二人分の蹴りをまともに食らい、しかしまだ彼女は立っている。ファインは一歩を下がり、最後のとどめとして足に銃弾を撃ち込んだ――念入りに数発。それで彼女は沈黙した。
「――久々に面白ェ戦いだったぜ」

 ランディーが背後で笑う。
「殺さねェのか。なんなら食べてやってもいいぜ」
 殺してしまえば過剰防衛とみなされる。そんなことはするわけがないが、これは彼の望む答えではないだろう。先ほどの救けの対価として、自分の感性を試されているようだと思った。長い沈黙ののちに、血と瓦礫で染まった黒い手袋を見ながら、落ち着いたトーンで切り出した。
「人間を裁くのは人間ではなく法です」と返した。「……私は犯罪者が憎い。だから秩序を統べる警察官になりました。私刑は秩序を破壊する行為です。私の望むことではない」
 ファインは、見つめていた手を緩やかに握って拳を作り、それを腰の横に下ろす。
「大した正義漢だな」
「あなたにはそう見えるのですね」
 それだけではないのですよ、とばかりに微笑んだ。
 目の前で頽れている女も、この都市を手中に収めることこそが正義だと信じて数多くの犯罪者を唆し、ティレシアに義手を与えた。こちらからしたら理解しえぬ思想で、数多くの死者を出した絶対悪であっても、彼女は理想を胸にこの都市を破壊しようとしていたのだろう。彼女を肯定するつもりはない。正義と凶器はよく似ていて、自分の生活に使う分には便利だが、未熟なものに扱わせるべきではないし、他人に向けて翳した時、簡単に人を殺せる狂気となる。
 ファインは床から口枷を拾って、今度はこちらの番とばかりにランディーに尋ねてみた。
「あなたはなぜ、人を殺したのですか?」と聞いた。
「今でもまだこの人を食べるつもりなら、口枷を嵌めなおしてもらわなければなりません。彼女は捜査の鍵となりますから」
 ランディーは沈黙していた。瞳でこちらを眺めて、ぶつくさ憎まれ口をたたきながら口枷をひったくった。そしてそのままサルエルパンツのポケットに入れた。
「テメェとは真逆の理由だよ」
 ランディーの手や頬には無数のかすり傷がついている。いまの彼はファインの目には、凶悪な犯罪者というよりも、戦いで深く傷を負ったひとりの青年として見えるのだった。
 せめて先ほどの共闘を労おうとして、自分は今の彼にかけられる言葉をなにも持っていないことに気づいた。持とうともしていなかった。だから絞り出すように、
「――先ほどはありがとうございました。ゆっくり怪我を癒しましょう」
 かれは少しの寂寞と、ぐったりした疲れを感じていた。ファインは目を伏せた。"疲れるのと豊かなのとは違う。それでも多くの場合、そのふたつは見分けがつかないほどそっくりだ"。
「証拠物件は先にこちらで確保済みです。上層部もこちらに向かっているそうですから、出迎えましょう」
 そう言ってふたりはフロアを後にする。フロアには無数の瓦礫と沈黙が残っていた。
 ランディーといえば、先ほどのファインの台詞を何度も反芻していた。自分の中にはけして消えない深い傷と後悔と恨みがある。人間への不信感が心の中を覆っている。やさしくされることが怖い。自分の内面に踏み込まれることが怖い。それはファインのような、強固な信念とは真逆のものだ。自分自身がいかに傷ついてきたかということを考えた。その痛みを実感を伴って理解しながら、自分がいかに多くの人を殺め傷つけてきたかを考えた。今日の戦いは、謗られるような形ではなく――あまつさえ礼を言われたことも。
 それから――今頃ヴァニタスはどうしているかとも考えた。どうせなら拠点をぶっ潰してお友達も取り返して、オレに目に物見せてほしい。
 今日は少しだけ希望が見えた気がしたのだ。この諦観で凝り固まった人生を、息苦しい狭量な世界を、偽善に満ちたお綺麗な夢物語でめちゃくちゃにぶっ壊してほしい。自分の生きてきた薄暗い泥沼の向こう側に、愛や友情というものは確かにあったのだということを証明してくれ。
 この絶望をどうか殺してくれ。

 おそらくエレベーターは使い物にならない。ヴァニタスは体重をかけて非常階段扉を開いた。外では仄かな星明りのもと、上階から瓦礫のかけらが炎と熱を纏って崩れ落ち、破壊された窓から黒煙がたなびいていた。通りで立ち尽くす野次馬の頭上に拳大の砕片が墜落。爆発。終止。
 破片が流星群のように崩れ落ちる間を縫って、ヴァニタスとサイは階段を駆け下りていた。彼女が右手を庇うようにしているのが気になった。一歩を踏み出すたびに、足元の金属階段がカンカンと音を立てる。
 弱々しく優しいヴァニタスを見慣れたサイには、まるで別人に見えるほど堂々とした歩き様だった。彼女は前をゆく親友の名前を呼んでみる。合流する前に、尋ねたいことがあった。
「ヴァニタス。――どうして私を助けに来てくれたの?」
 ずっと頭に残っていた。自分は都市を危険に晒した裏切り者で、殺されても仕方が無い。本来、ヴァニタスはメカニックを得意とする支援班のはずだ。それがどうして前線に来たのか。生死を問わないと言われていたから?
 ヴァニタスは少し驚いたような表情だったが、すぐに「うん、それはね」と答えた。
「親友だから。それに、人を助けるのが俺の仕事だから」

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 アメコミみたいなヒーローに憧れてたんだ、とヴァニタスは続けた。夢見る少年のようなセリフだったが、その目は本気だった。サイは、こんなにも真っ直ぐに人を助けられる人とはじめて出会った――ううん、二人目かもしれない。
 ヴァニタスは、どんな相手であっても人を助けることは正しいと心の底から信じている。そしてその信念に従ってサイを助けた。彼女の胸はじんわりと熱くなる。恋愛のような甘酸っぱい感情ではない。けれど、こういって微笑んでくれる人のことがかけがえなく好ましいと思った。
 一階に到着して、視界が開けていく。外では消防車と車が列をなして止まっていた。見上げれば建物からはわずかに火が出ており、煙が薄く立ち込めている。外の風にあたると、ハンバーグやステーキのような匂いが漂っていることに気づいた。
 こちらの姿を見つけて、上官と消防士が寄ってきたので事情を説明する羽目になった。同時にパトカーが減速して路肩に停止する。そこからクリス、それと助手席のルイーズが見えた。どうも迎えを寄越されたらしい。
「……本当にありがとう。俺は皆に助けられてばっかりだね……」
「おいおい、何言ってんだ。ヴァニタス、ベイビー、拠点を探し出して突入して、サイを助けに行ったのは誰だ? 他の誰にだって、こんなことできやしなかった」
 彼はこともなげに笑って、
「大きくなったな、ヴァニタス。お前は俺の自慢の息子だよ」
 ヴァニタスは礼を言った。埃と掠り傷にまみれた顔を四方八方のネオンが暖色に照らしていた。その隣では、サイがちょっと俯きながら、
「本当に……申し訳ありませんでした。あの……今はもう少しだけ、お傍にいてもいいでしょうか」
 クリスは何も答えなかった。その代わりに手が差し伸べられて、労わるように微かに握り返された。サイの華奢なそれよりも骨ばって大きな掌。その懐かしい温かさを感じて、彼女はささやかな微笑みを浮かべていた。

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「お疲れ様です」
 後ろから声がかかる。ファインとランディーだ。どちらも満身創痍の様相だった。ランディーはヴァニタスたちの様子を見て、驚愕と安心が混ざったような顔色を浮かべている。
「彼女には銃弾を九発も打ち込みました。当分は起きてこないでしょう」
 ルイーズは怪我に応急処置を施しながら市警の動きについて話した。今ここにいる四人は手当されるか救急車に乗せられることになるだろう。ほかのメンバーは『このビル周辺に』回されていたとのことだった。
「ティレシアだ」クリスが言った。「あのいかれたお嬢ちゃん」
 彼女は、ファインたちに拠点があらためられたことを悟ったらしい。少なくとも彼女の目的はNA市民と市警への復讐だ。律儀に約束の日を待って息をひそめるより、こちらへの攻撃行動に出た。
「――でももう大丈夫。ちゃんと撃った」

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 その言葉を引き継いだのはウェンズデーだった。ヴァニタスはびっくりして振り返る。一点透視の六車線の道路の傍ら、闇夜に紛れていたので気づかなかったのだろう。
 ともあれ、無事に捕縛できたなら何よりだ。拠点をあらためれば、彼らの計画の全貌も掴めるだろう。
「……じゃあ」
 ヴァニタスはおずおずと口を開く。
「うん。私たちは、ニューアトランティスを守ったんだよ」

 12月31日、NA市のタイムズスクエアではニューイヤー・カウントダウンが行われる。その目玉が、新年の訪れと同時に巨大な旗竿『タイムズスクエア・ボール』を落とすイベントだ。プログラムメンバーは、負傷者を除いて警備に駆り出されることになっていた。
 世界が憧れる無数のショータウンの中心地で、市長とゲストがそれぞれスピーチを行う。スピーチが終わると、かわりに有名バンドたちがスクリーンに映し出され、ジョン・レノンの『Imagine』を生演奏し始めた。これもカウントダウンの定番。
 ガティ・ジルスタは仕事の傍ら、演奏に合わせて陳腐なスタンダード・ナンバーを口ずさんでみる。想像してみよう、みんながただ今を生きているって。
 隣に立っていたウェンズデーは、喧騒を見上げながらぽつんと呟いた。
「……これが終わったら、自由がいい、とそう思っていた」
 誰かを殺しても、何かを痛めつけても自分はいなくならない。遠い国で戦争が起こると言われてもお腹は減るし、スラム街で一斉駆除が起きても眠気はやってくる。罪を犯しても裁かれるとは限らない。今日も明日と変わらない。そのはずだった。
「自由になるって、大変だ」
 相変わらず素朴な言い回しにガティは失笑する。
「そうなんですよ」
 立ち並ぶネオンと街を埋め尽くす群衆。そのずっと向こう側に大通りがふんぞり返っている。交通整理や迷子の世話に翻弄される仲間たちが見えた。どこもかしこも賑やかで、猥雑な街だ。
「……でも、綺麗でしょう?」
 地味で退屈で平和な日常を守るために、みんなが大変な思いと努力をしている。そして、自分たちも本当に頑張った。そう思うと、このなんてことない街が何より尊い夜景に見えてくる。
 カウントダウンと大歓声とともに、時計は0時を回ったらしい。空に派手な花火が上がって眩しい。周囲から新年を祝ういくつもの声が聞こえてきた。
「Happy New Year!」
 ガティは微笑む。そして、大都市ニューアトランティスの摩天楼を見渡しながら、傍らの少女に微笑んだ。

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「ハッピーニューイヤー……です、『ウェンズデーサン』」
  苦しくても楽しい日々でした。素敵な日々がこれから、アナタに訪れますように。