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眠れない夜は眠らない僕と

Lemonade #10「Scapegoat」前編

前編

#10 「Scapegoat」前編
臨時的に指揮を取ることになったアルベルトとセス。一方、チームが留まるホテルには不穏な影が迫っていた。

 セス・ランドルフは冷徹な表情を崩さなかった。いつも彼がそうしているように、自分の使命を真っ直ぐに受け取った。彼なりに心を許していた人間が忌むべき『犯罪者』であったことは、多少なりとも寂寞とした出来事だったが、あくまで多少にすぎない。

 ちょうど部屋のドアが開き、アンデッドがちょこちょこと入ってきた。その後にサイとルイーズとジョーカー、続いてレナードとクリスが入ってくる。どうやらそれぞれ仕事を終えたらしい。

「保存食に生活用品は十分だな。それと、倉庫に旧式燃料がたくさんあった。ついでに部屋の暖炉も使えそうだ」

 アンデッドは不遜に部屋を見回し、
「辛気くせえな。通信復旧はどうなった?どれだけご大層な機械が進化しても、電気が通じなきゃタダの金属ってのはお笑いだな」

「まだ時間がかかりそうだ」とアルベルト。

「それと、みんな、聞いてくれ! 今から俺とセスがチームの指揮を執ることになった」
「はあ?」
「こいつは負傷しているから頼りにならない。今は俺たちの判断で動いて欲しいとのことだ」
 セスが答える。

「薄暗いうちに作業しても危険だ。今日はもう休まないか?」
「そうだね。倉庫を改めたり、地下室を保全したりするのは明日にしよう。危ないから単独行動はしないようにね」

 口々に疲労をねぎらいながら部屋に戻る面々を、セスは立ったまま見つめていた。きみも帰って休んだら、と部屋主に促され、セスはセオドアとともに部屋を出た。

 暖房が切れたからか不安からか、廊下はいやに冷える。ホテルの二重窓の外にはびっしりと霜が這っていた。時折風が吹きつけては古ガラスをぴしぴしと揺らす。

「……貴方が思うまま、貴方が尊ぶものに従うまま、私を見ていてください。信用なんて結構ですから。正しいと思うものに実直である様は、何より貴方らしい。私はそんな貴方らしさを信じています」

 その言葉こそ実直なものに思えた。薄暗い廊下を歩くセスは、自分の口元から漏れた吐息が白い靄になってほどけていくのを見ていた。ふと立ち止まって呟く。

「……正しいと思うものに実直、か。そう見えるか?」
 自嘲の混じった響き。あとを着いてくるセオドアが僅かに身じろぎするのが分かった。セスはゆっくりと後ろを振り向く。
「……お前が俺を、信念を貫く警察官と信じて慕っていたのは分かっていた。正しいのかどうか分からなくてもついてきたのは、自分を監視するための理想の警察像だったからだろ。……俺は逃げただけだ」
 セスはそう言い切った。

「昔、犯罪者に同情して市民を危険に晒したことがある。もう失敗は許されないんだ。だから余計な情を抱く前にどうにかして犯罪者から遠ざかろうとした。その姿がたまたまお前の求めた警察官だった、それだけの話だ」
 外では風が吹きすさぶ。

 自分も警官になってしばらくは、「犯罪者とて人間だ」と葛藤していた。けれど、かつて友人が立てこもり犯になった時、個人的な感情と役割を咄嗟に選択できなかった一瞬の迷いで人を傷つけてしまった。それが耐えられなかった。それなら「片方を捨ててしまえばいいのだ」と考えて、セスは人としてではなく警察として正しくあることを選んだ。『犯罪者に心を許してはいけない。警察官が手を差し伸べるべきなのは市民であって、犯罪者に寄り添うことは被害者たちの思いを踏みにじる行為に等しい』ということを何より大切にした。自分が個人的な感情を抱き犯罪者に歩みよったところで、傷つくのは何の罪もない市民だと身をもって知ったからだ。自分の感情的な部分を押し殺して、厳格な警察としての仮面を被っていれば少なくとも市民を傷つけることはない。間違って犯罪者に同情してしまわないように距離を保ち、言葉の鎧をまとう。犯罪者への憎しみはセス個人の感情としてあるが、少なくとも警察でいる間はそんな感情すらも押し殺し、ただ法だけを尊ぶ警官として生きることにした。

「貴方らしさを信じてるなんてよく言えたな。自分が正しいと思うものなんてはなから無い。俺にあるのは、間違えたくないという恐怖心だけだ」
 正しい警官でいることが、一度失敗した自分に残された唯一の道なのだ。

「プログラムが終わる時までは警察としてお前の期待に応えようと思っていた。例え相手が犯罪者であろうとも、求められたことにはその倍以上で返したかった」

 ……だけどお前から信頼を寄せられる度、どんどん自分の惨めさが浮き彫りになっていく気がした。これ以上欺き続けたくない。

 セスはもう、自分でも何を言っているのか分からなかった。堰を切ったように口からとめどなく言葉があふれてくる。ただ犯罪者が嫌いだからではなく、セオドア個人を思うがゆえの、これ以上ないほどの拒絶だった。

「安心してくれ、こんな話をしたからといってプログラムに支障はきたさない。体裁ばかり取り繕うしかない警官と、ただ自分を監視さえしてくれればいい犯罪者。ぴったりのバディじゃないか。お前だってずっとそれで満足できてたんだ、今までのように俺の外ヅラだけを見て勝手に信じてくれ」

 立ち尽くすセオドアを置いて、セスは大股でその場を去る。

「俺はお前とバディになんてなりたくなかったよ」

 深夜。暗い部屋の中で、暖炉が煌々と燃えていた。ぱちぱちと火花を散らしている。セオドア・ジェンキンスはそばの椅子にぐったりと体を横たえて、淀んだ瞳で呆然と火を捉えていた。

 セスは厳格な警官だった。口も愛想も悪く、犯罪者を信頼していないときっぱり言い切っていた。だからこそ、さっき冷えた廊下で内面を吐露された時、返す言葉も思いつかなかったのだ。驚きと同時に純粋に傷ついて、そして罪悪感を抱いた。彼が『犯罪者は更生できない、信頼しない』というかたくなな姿勢をとっていたのをいいことに、『信頼しています』という言葉の中にこっそり恋情を混ぜ込んでいた。

 ともあれ、恋愛感情以前にセスには信頼がある。あのときセスに聞かされた、『二度と間違えたくない』と言う言葉に共感した。セオドアには、セスとは同じ立場ではないけど 、その後悔はわかる。彼が『偽物』と切り捨てた厳格な警官としての姿だって、セオドアにとっては大事なセスの一部だった。彼が今まで守ってきた『警官』としての秩序を重んじる姿勢、例え彼自身がそれを肯定していなくても、その行動には価値がある。口だけの人間より余程立派だ。見捨てられないし見放せない。今までセスに寄りかかってきた癖に、あの吐露を聞いていきなり行動を変えるなんて愚かなことだとは分かっている。それでもセスに何かがしたい。

 自分に何ができるだろう? どんな言葉をかければいいんだろう?見当もつかないけれど。

 セオドアは目を細めて、燃え盛る暖炉にため息をつく。

 ことばは毒にも薬にもなる。――自分は幼い頃から人心に聡く、人の悪意を見抜くことに優れていた。人間に当たり前に備わった悪意が恐ろしかった。些細な嘘を、些細な怒りを、恐れた。だから、人を避けて勉学に没頭することで身を守った。時が経ち、明るくて朗らかで嘘の一つもないような女に出会い、愛し合って結婚した。妻を介して人を見てみると、どうしてだか人間は恐ろしいばかりではないと思えた。そして彼女に勧められてクラムスクールを開くことにした。あなたには人の痛みが分かる優しさがあるからと言われて。

 しかし十年も経たないうちにセオドアは逮捕される。生徒や生徒を含んだ少年のグループが、犯罪に手を染める事件が多発したのだ。万引き、通り魔、恐喝、殺人――全員がそれを犯罪だと理解していた。多発する少年犯罪の捜査に乗り出した警察は、講師だったセオドアに目を付けた。

 閉鎖的な取調室。時間と重圧をかけた刑事との会話でセオドアの精神が摩耗する。セオドアの罪状は『教唆』だった。

 ――人には少なからず悪意がある。良い人であるということは、生まれ持つ悪意に勝る善意を育てることに他ならない。だから、『人らしさ』を自分が摘むことは、生徒の情操教育にかえってよくない。ただ自分は彼らの前に教師としてあっただけなのだ。それが、『自分』の真実。それでも、人心に聡いはずの自分が他人の犯罪を誘発した可能性も否定しきれなかった。

 NA刑務所に収監されて一年が経った頃、セオドアのもとに事務的な書類が届いた。手紙のやり取りができないこの刑務所で、封筒を貰うこと自体が何か良くないしらせのように感じた。実際そうだった。

 中身は妻の訃報だった。自宅からそう遠くない雑木林にばらばら死体が投棄されていた。犯人は捕まっていない。信じられず、獄中の調達屋を頼って新聞を手に入れた。事件そのものと町の名前を疑ったが、事実は変わるものじゃない。

「つ、妻はどこですか。私の妻は……彼女はまた私に会いにくると約束をして……離してください……離して……」

 それからのことはよく覚えていない。何か意味の分からないことをずっと訴えていた気がする。以後、自分は精神薄弱を患い軽度の幼児退行を発症し、刑務所内の医務室にかかっていた。

 ……ことばで傷つき、人を傷つけてきた。だからこそ、人と関わるのは苦痛で恐ろしい。私のような人間は、生きていてもいいのでしょうか。私のような人間でも、誰かの隣で生きる未来を望んでもよいのでしょうか。

 翌朝はホールでみなが朝食をとることになった。自動室温コントロールこそ切れているが、非常用電源と休みなく暖炉を焚いているおかげで部屋はほんのり温かい。サイが温かいお茶を配っていた。蓄えてあった非常食はぱさついていて、薬品のようなにおいがする。だがこんな状況では贅沢はいえないだろうとパンをかじった。

 セスは隅に座って、アルベルトと二人できょうの行動計画を見直していた。本部を出る前に貰った資料と報告を突き合わせて様々な動き方を考えていると、アルベルトが宣言する。

「捜査を再開しよう」その目は不気味に据わっていた。ベレジナ渡河作戦でもやるつもりなのだろうか?セスは眉をひそめて反論する。

「今は動くべきではないと思います。本部には『捨て身の始末屋』扱いだとしても、市民を守る組織の一員としての責任があります。昨晩だけでもだいぶ指示系統が混乱しましたし、このままでは無駄に人員を消耗するだけです。装備を整えて出直すほうが良い」

「さっき、サイから伝言をもらったんだ。ヴァニタスのおかげで通信設備が復帰したらしい。救出まで時間はかかるけど、今頃本部組はもう気づいているはずだって」と押し切るアルベルト。

「シュヒはああ言っていたけど、みんなが危ないことや裏切りなんかするはずないと思わないか?昨日の殺人事件だって勘違いだってわかっただろう?」
 釈然としなかったが、彼らしくないはっきりした強い口調には有無を言わせぬ迫力があった。

「今俺たちが手を止めたせいで、市民に危険が及んだらどうするんだ」
 その言葉を聞いて、今までとは別の感情がじわりと滲み出てきた。

 不安は残る。だが、通信復旧も終わり連絡はついているという。だからここで反論して捜査を遅滞させる事は、かつて『自分が個人的な感情で躊躇したせいで市民を危険に晒した事』と同じような事では無いか?個人的な心情を排し、役に身をあずけることが、今まで行ってきた正義ではなかったか。

 懐の銃がいやに重く感じた。もしこの先で接敵した場合、引き金を引くのはやはりセオドアでなく自分でなければならないと考えていた。できるならもう二度と誰のことも殺したくないけれど、弱いものを守るためなら自分の心を押し殺すのが警官だ。誰であろうと躊躇なく撃てる。でも、何かに躊躇しないことと苦しまないことは、決してイコールじゃない。

(――なんて。ただの独り言だ)

 警官としてどうあるべきかというだけの話だ。自分の感情など、無垢な市民の安全に比べたら遥かにどうでもいいことだなんて、わかっている。

「……わかりました」

 セオドアを呼び出し、雪を踏みしめて外に向かう。無言の銀世界の中でシューズに押しつぶされた雪がしゃくしゃくと音を立てた。

 セオドアは心の弱さが目立つから、適当にきつい言葉を浴びせれば諦めるだろう、その程度の意思だろうと高をくくっていた。それまではせいぜい本人の望み通り、NAPDのために利用してやろうとそう考えていた。

 本気だからといってすぐに手を差し伸べるほど寛容ではないし、かつての経験もあり更生に希望を持っている人間ほど信じがたい。それでも――、彼の真面目さはプログラムに相応しいと思った。使い捨ての道具から、プログラムの一員として認めるきっかけだった。

 あのとき、死んでほしくない、と言われた時には驚いた。普段の自分の辛辣な対応からまさかそんな感情を向けられているとは思いもしなかったのだ。中途半端な気持ちでそんなことを言われたわけじゃないとはわかっていたけれど、突き放した。一つは任務のために、公正であること、『警察と犯罪者』という一線を大事にしていること。そしてもう一つは、自分はセオドアが言うほどできた警察官ではないと思っていたからだ。

 自分は作り物だ。信頼に値する人間ではない。
 後ろめたかったけれど、それでも必要としてくれる、誰かのためになれることが救いでもあった。

 浅い雪を踏みしめてたどり着いた先にはぼろのログハウスがあった。あれが、ヴァニタスたちが発見したという放棄された拠点なのだろう。セスは装備をあらため、人差し指で『静かに』のポーズを作り、ドア横にたたずんだ。倉庫のドアをそっと押す。きいと軋んだ音がして扉が開いた。

 一歩を踏み入れてすぐに、二人ははっと息を飲む。倉庫の壁一面にびっしりと、『自分たちの写真が貼ってあった』。街で仕事中の光景、寮で食事をとっているもの。そのほとんどは目線が合わないもので、相手が気づかないうちに隠し撮りされたものだと分かる。セス、ヴァニタス、ウェンズデー、アルベルト、ランディー……ほぼ全員分の写真とさまざまな図面や資料が床に無造作に散らばっている。

 倉庫の中を見回したセスは、機材の奥に古ぼけたマグカップが置いてあるのを見つけた。中のホットミルクはほんのりと湯気を立てている。背筋に嫌な汗が伝う。

 思い返してみれば最初からきな臭かった。『ヴァニタス』と『サイ』に、放棄された拠点があると教えられてここにやって来た。そして先程、サイから情報を得て、なぜか様子のおかしな『アルベルト』に半ば押し切られる形で捜査の再開を行うと判断した。しかし、それが”間違った情報”による”あやまった判断”で――自分たちは罠にかけられたのだとしたら。

 倉庫の奥がみしっと軋んで、誰かの足音がこちらに近づいてくるのが分かった。セスは焦燥をあらわに振り向いて指示する。

「――今すぐホテルに戻って、できるだけ人を集めて状況を伝えろ。捜査は絶対に中止、それと外部からの侵入者がいると。俺の言っている事が分かるな?セオドア!」

 瞬間、セスは顔の左側を熱風が通り抜け、肩に涼やかで心許ない感覚を得た。ふと目をやれば、左肩が大きくえぐれているのが見える。サイレンサーだろうか。
「走れ!振り向くな!」

 絶望も挫折も数え切れないほど味わってきたけれど、膝を着くことを自分自身が許さない。
 自分にとっては偽物にすぎない薄っぺらい信念でも、セオドアを生かして返せれば、ここで自分の役を果たせれば、本物として貫き通せる気がするのだ。

 セスは痛みに堪えながら倉庫の奥の人影と相対した。奥から出てきたのは白い服を纏った人間だった。その人影は一瞬で距離を詰めてきた。地に足をつけた兵士は、アッパーカットを目の前のセスの頭に打ち込み、バランスを崩してよろめく腹をつま先で穿つ。セスは雪を踏んで握った右拳を突き出した。腕を伸ばして顔を狙う一撃だ。速さがある。しかし軽い。セスがバランスを崩してよろけると、その体を飛び越して、首根を後ろから掴んで雪の上に引き倒した。セスは額に銃を押し付けられる。

「セス・ランドルフだな。抵抗するな」
 女の声だった。
「あなたひとりがくだらない時間稼ぎをしても、皆あのホテルで死ぬだけだ。あなたもチームを裏切ってわたしたちの側に付け。■■■■■■■のように」

 セスは荒い息のままで、押し付けられた銃口を見つめていた。雪をかけて走るセオドアの足音が聞こえた。幻聴かもしれない。――どうか幸運を。
偽物でも貫き通すと決めた。わずかに血しぶきのついた顔を歪めて、まっすぐ相手を見据える。

「市民は俺たち警察が守る。俺たちが掲げる正義を舐めるなよ!」

 直後、吹きすさぶ嵐のあいまでいくつかの銃声が響いた。赤と黒の鮮血が銀色の地面にぴしゃぴしゃと飛び散った。力を失った腕が、雪の上に投げ出されて跳ねた。

 それがセスの最期だった。

 

 

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