&party

眠れない夜は眠らない僕と

Lemonade #4「On your mark」

前編

ベルとギルバートの喧嘩騒動を受け、警官側でミーティングが開かれることに。

 

 兄弟とは仲良くしないといけません。

 お友達と喧嘩をしてはいけません。

 人を殺しては、いけません。

 

 開放的なデザインに清潔感あふれるNAPD本部棟の中で、更生プログラムの面々に与えられているのは執務室と共用の事務室、使い古しの寮くらいのものだ。そして、その執務室ではいま、十人の警察官が頭を突き合わせていた。

 『午前中の任務を警官のミーティングに置き換える』という指示が出たのは今朝のことだった。元受刑囚たちは寮で自習(といっても勤勉さはほぼ期待されていない)、警官たちは執務室呼び出しをそれぞれ言い渡された。執務室集合というのも、緊急の案件で運動場や会議室を押さえられなかったからだろうか。

 赤毛にそばかすの男性警官――セス・ランドルフは、タブレットを片手に、バディとの活動報告を読み上げている。

「……以上です。今のところ指示には大人しく従っており、総合的に見て、私たちのペアは問題なく任務遂行できていると判断します。まあ罪状が示す通り、私のペア相手は信用に値しませんが」

「相変わらずだな、ランドルフ。ありがとう。これでロウ班の報告も終了だな」

 上官の返事を受け、彼はグリーンの鋭い瞳で上官そのイチと周囲を見回した。

 セスにはある疑問があった。警官メンバー全員招集、と指示されたものの、執務室には上官を含めて警官は十人しか集まっていないのだ。仮眠中の上官そのニは除外するとしても、後輩の一人――ベルの姿が見えない。セスは右手を挙げて、

「質問失礼します。この緊急ミーティングの目的は何ですか。活動報告・元受刑者の経過観察は任務終了ごとに提出しているはずです。わざわざ呼び出してまでバディとの関係進展をヒアリングするということは、問題が起こったのでしょうか。ベル=ソニアの欠勤と何か関係が?」

 彼の問いはその場全員の疑問を代弁していた。上官は頷いて、

「その通り。ソニアとヴァレンティノは、きょう一日間の公務停止・自宅での謹慎処分になっている――昨日の業務終了後、ハックが『ソニアの姿が見えない、連絡にも応じない』と班担当チーフに相談してきた。そこで寮の空き部屋に備え付けてある監視システムを確認したところ、ソニアとヴァレンティノが小競り合いになっていた。その後、ハックたち三人で彼らを引き離してやったそうだ」

 セスがわきを見やると、名前を出されたヴァニタスがしょんぼりとうつむいていた。喧嘩の様子がよほど堪えたのかもしれない。

 本来なら同僚同士の喧嘩に懲戒なんかありえないが、今回は意図的に重い処分にしている。いかんせん元犯罪者とそのバディ。険悪な状態のまま出勤して市民に迷惑が掛かったらまずいから――。と上官は説明した。

「分かりました」

 セスは相変わらず憮然とした口調のまま返事をする。

「そして、昨夜こんなことがあったから、君たちの近況共有と注意喚起、それに事情聴取をかねて呼び出した。事情聴取というのは……肝心の二人が喧嘩の原因について口を割らないんだ。念のため同僚にも話を聞いておきたい。お前はどうだ? ソニアとは同期だろう。何か聞いていたか」

「っ……知りません。ベルサンのことなんて!」

 唐突に話を振られた女性警官は一瞬身じろぎしたものの、硬い口調で応えてぷいとそっぽを向く。

「ベル=ソニアが精神的に不安定な状態だったのは確かです」

 次に口を開いたのは、セスの隣に立つ女性警官――彼の従妹であるルイーズだった。彼女は慎重に言葉を選びながら、

「こんなふうにバディと喧嘩になるとは思ってはいませんでしたが……」

 沈痛な面持ちだった。周囲は顔を見合わせてぼそぼそと雑談を始める。プログラムが始まったばかりで、元受刑者との距離感を図りかねている警官も少なくない。そんな中での二人の謹慎処分はまさに地獄の一丁目だ。執務室全体に気まずい空気が流れていた。

 一方のセスは『自分とベルは超絶仲良し先輩後輩☆』と勘違いしているため、重苦しい空気を完全に無視して、ベルについていちおう考えを巡らせてみた。だがどれだけ考えてみても、セスの姿を見ながら怯えて震えているベルしか思い出せない。あんな後輩が、謹慎処分になるほど激しい喧嘩をするとは想像もつかなかった。

(もっとも、わざと名前を間違えると狂喜乱舞で興奮する変態後輩=ソニアの考えていることなど、俺に分かるはずがないな……もしかして、バディのギルバートがちゃんと『ナントカ=ソニア』と呼んでやらないから、不機嫌になったのかもしれないな。ベルは名前を間違えてやると喜ぶんだ。常識だぞ)

 勘違いを元に頓珍漢な想像を進め、満足気に頷くセス。彼には天然のきらいがあった。

 それにしても、と彼は息をつく。

「ギャーギャー騒ぐ犯罪者は檻の中に戻すべきだ。ベルの奴もバディとの上下関係をはっきりさせておくべきだったな。犯罪者が吹っ掛けてくるくだらん喧嘩に警官がいちいち付き合ってやっているようでは、プログラム完遂など夢のまた夢だ」

「セス、言葉が過ぎるよ。誰にでもトラブルはある」

「事実を言っただけだ」

 隣のルイーズの諫言もセスにとってはどこ吹く風だった。

「ソニアについては特に変わったことはないようだな。ではヴァレンティの方はどうだ? 彼は社交性が高く、刑吏や警官との交流も活発だと聞いていたが」

 警官たちがぽつぽつと口を開くが、やはり決定的なきっかけはないらしい。

「――特に言うべきことはありません。あれもよくいる犯罪者のうちの一人です」

 セスの答えも変わらず淡々としたものだった。 

 上官は、筋肉で引き締まった腕を組み合わせたまま難しい顔をしていたが、それからおもむろに口を開いた。

「わかった。ここで言いづらいことがあれば個人的に申し出てくれ」

「二人とも、早く落ち着いてくれるといいね」

 ルイーズが呟いた。

「……さて、知っての通り、このプログラムの主目的はNAPDの人員確保だ。だが、今期からは治療共同体をベースにした再犯率低下も売り文句のひとつになっている」

 治療共同体。その言葉は彼も警察学校で聞いたことがあった。

 精神疾患や薬物依存症などを和らげるために、似たような境遇の相手やカウンセラーとの対話・集団でのレクリエーションを行いながら共同生活を営む取り組みだ。アメリカでは1960年代に発展し、徐々に刑務所にも導入されている。巷では、犯罪者の再犯率が大幅に低下するとも言われているらしい。

 今回のプログラムでは、カウンセラーを警官・レクリエーションを任務に置き換えているとはいえ、元受刑者たちに新しい環境での成長を期待しているのだろう、とセスはあたりをつけた。もっともセスがその考えに賛同するかは別問題だが。

「治安が悪化して殉職者数が増えるにつれ、NAPDの捜査方法も過激になっている。暴力や自白剤を使用した取り調べを行ったり、ろくに職務質問もせず相手を射殺したり、冤罪をでっち上げたり……。このままではNAPDが掲げる正義・信頼・権威の全てが失われてしまう。君たちはくれぐれも理性的に行動し、慎重な行動・対話とこまめな報告を心がけてくれ」

 セスは眉を立てたしかめ面でその話を聞いていた。

 NA社会は厳しく不条理かもしれないが、程度の差こそあれ誰もがそれぞれの不幸と戦っている。大多数の善良な人間はその不条理を飲み下した上で真っ当に生きているのだ。暴力も射殺も、自分の愚行のツケを払っているだけではないか。

 というのも、過去、セスの旧友が、大量の人質を取って建物に立てこもる事件を起こしたことがあった。セスは市民のため、容赦なく旧友を撃ち抜いた。今でもセスは、彼を殺したことを後悔していない。きっとこれからもそうだろう。

 市民を守るために大切なのは、「旧友だろうがバディだろうが犯罪者には厳しく接する」という強い意志だ。殉職も日常茶飯事のNAPD。甘い意識で勤務していては自分も他人も傷つけてしまう。ベルとバディとの一件はその証拠だろう。

 ――どうかまともに働いてくれよ、ベル、それに『ベルのバディの犯罪者』。俺はお前たちを撃ちたくない。セスは心の中でひとりごちた。

 犯罪者を射殺するのにも、死体を処理するのにも、それなりの税金と苦悩が必要なんだよ。

 

 

 明かりの付いていない部屋の中で、ギルバートはうずくまっている。部屋の時計はそろそろ十六時を回る。窓枠からはスモーキーな空がのぞいていた。

 元受刑者寮は午前こそにぎやかで、ドア越しに友人達がからかいの声を掛けに来てくれていた。だが昼休憩の後は通常任務に戻ったらしく、周囲は足音の一つもなかった。代わりに、そばの第二運動場からわいわいとにぎやかな声が聞こえている。その喧騒を聞くたびに、一人ぼっちの自分が余計惨めに思えて仕方なかった。
 昨日の喧嘩の後、ギルバートは一人で事情聴取を受けた。上官には「懲戒にならないように説得してみる」となだめられたものの、結果は一日外出禁止。事前準備期間中、シュヒから『あの人はシビアだから下手なことはしない方がいい』と忠告されていたことを思い出す。それを思えば、刑務所に送り返されなかっただけまだマシ、というべきなのだろうか。ギルバートには分からなかった。

「……『バチが当たった』、んだ」

 ギルバートはぼそりと呟いた。寝起きからろくに水分をとっていないせいで涸れた声が、薄暗い部屋に鈍く反響する。それから目を閉じる。深い微睡みが彼を誘っていった。

 

 ギルバートには三つ上の兄がいた。幼少期の彼は、背が高くてなんでもできる兄にひっきりなしについて回ったものだった。おれ、兄ちゃんが大好き。兄ちゃんみたいになりたい! いつもそう思っていた。

 ほとんどの兄弟がそうであるように、二人が大人になるにつれて、関係性は変わっていった。成長した兄は家に寄り付かなくなり、ギルバートはその寂しさを読書で紛らわせるようになった。それに、彼にはほかにも大切な家族――母ちゃんと弟がいた。

 けれど、高校生になった彼は気づいてしまった。

 おれの兄ちゃんは、ろくでなしのギャングだ。

 途端に血の気が引いていった。親友のベルはちょうど、通り魔事件で姉を失って地の底のような苦しみの中にいた。おれの大好きな兄ちゃんは、ベルみたいな人を苦しめている。ベルのような誰かが、兄ちゃんを殺したいほど憎んでいる。そう考えると耐えられなかった。

「兄ちゃん、もう盗みはやめてよ」

「兄ちゃん、こんなことしてちゃダメだよ」

「兄ちゃん、……痛い……」

 諫めるたびに殴る蹴るの暴行を受けた。母は、お願いだからもうあの子はあきらめて、とギルバートを止めた。だが彼もあきらめるわけにはいかなかった――本当の兄ちゃんは優しくて家族思いなんだ。おれの頑張りが足りないからなんだ。根気強く向き合えば、兄ちゃんも変わってくれる。本の登場人物だって、苦難を乗り越えてからハッピーエンドになるだろう?

 そうやっていつものように暴行を受け、家財道具が散乱する部屋にぐったりと横たわる。口の中に鉄の味がした。四肢を放り投げて寝そべっている中で、ある考えが脳裏をよぎった。

(……おれ、この世界に必要なのかな)

 そして彼は受話器を取った。うちの兄ちゃんが犯罪をしています。

 震える声で電話すると、ほどなくして厳格そうな警官がやってきた。セス・ランドルフ。そう名乗った赤毛の警官は、あれだけ恐ろしかった兄をいなし、証拠物品を押収していった。お前は悪くない、犯罪者は逮捕されるべきだ、と慰めの言葉を残して。

 余罪まみれの兄は簡単に逮捕され、ギルバートはそのまま就職した。加害者家族としての肩身の狭さを感じながらも、彼の生活は上手くいき始めた。皮肉なハッピー・エンド。

 けれど本と違って、大団円を迎えても人生は終わらない。彼は自責をやめられなかった。

 おれが甘えていたから、兄ちゃんは負担を感じていたんだ。兄ちゃんもつらかったんだ。「自分の気持ちに、誰か気づいてくれないかな」って、そう思っていたに違いない!

 まもなくして出所してきた兄の、そのガラの悪いいでたちを見て、そして彼はまたもやものを手に取った。今度は受話器なんかじゃなく――凶器を。

 鮮血。

「……兄ちゃん、おれ、もう限界なんだ。ごめん兄ちゃん」

 四肢を投げ出して床に寝そべるのは、ギルバートではなく兄だった。喉から終始変な音が鳴っていて不気味で仕方ない。罪悪感は不思議となかった。ギルバートはただ、無心で血まみれの家族を見つめていた。

 いまわの際の兄は、「俺を通報したのはお前だろう、分かっていたんだ」とギルバートをののしった。イライラするんだよ、いい子ぶるな、と。

「……分かんねぇよ。なんで兄ちゃん、おれのことそんなに悪者にするんだよ。おれに、これ以上どうしてほしいんだよ!」

「ほら……そういうとこだよ。本当にうぜえ」

 ふっと兄は小さく笑った。

「マジでクソ野郎だよお前。大嫌いだぜ。地獄に堕ちろ、嘘つきバッティ」

 その言葉がいまだに耳からにこびりついている。嫌な記憶だ。

 おれはただ、優しくて家族思いの兄ちゃんを返してほしかっただけなのに。

 

 それからギルバートは自首し、NA刑務所へ収監された。

 独房の中ではまともに頭が働かなくて、この刑務所の中で一生を終えるというのが怖くて、とにかくどこか遠くへ行きたかった。兄を殺したことを後悔したくない。でも罪悪感からは逃れられない。

 友人であるレニー達に出会ったのはそのころだった。『罪を犯したからといってなんだというのか、自分が自分のことを好きならそれでいいじゃないか』。流されやすいギルバートは、やはり完全に感化された。

 おれは犯罪者! だから何? おれが何したかとか、どうだっていいだろ。後悔しねーから、おれ。何に対してもね!

 プログラムにもそうやって意気揚々と参加して、持ち前の要領の良さでちょちょっと仮釈放をゲットするはずだった。外に出れば、人生のつじつま合わせに自殺ができるから。

 だが、ここで青春を共に過ごしたベルや兄を逮捕したセスに再会して計画が狂った。元恋人は血相を変え、あの日の警官は「お前も犯罪者になったのか、失望した」とばかりに嘲笑をよこした。自分のしでかしたことの大きさを目の前に突き付けられ、刑務所で作ったはずのプライドは簡単に瓦解した。現実逃避をしたくても、逃げ場はもうどこにもない。

 そして、自分は悪だと大っぴらに開き直ることも完全に反省することもせず、どっちつかずのまま全てから逃げ回っている自分が、ベルのバディとして対等に隣に並び立つ資格なんか、あるはずがないと、うすうす気づいていた。ごめんなさい。あんたらが愛したり、守りたいと思ってくれた昔の俺は、もういなくなっちゃったよ。

 

 ……ギルバートはふと目を覚ました。
 あの夜眠れていなかった分を取り戻すように寝ていたのだろう、時計は朝の三時過ぎを指していた。窓の外ではうっすらと星あかりが光っている。
 もう謹慎の日は過ぎたのだから外に出ようと考えて、ギルバートは考え込んだ。

 サイには深夜抱えきれない弱音を吐いて、瓦解した精神を慰めてもらっていたが、こんな謹慎明けに彼女を訪問するわけにはいかない。彼女はもちろん、その「知り合い」を巻き込んで気まずくなるのはごめんだ。

「……喉乾いたなあ」
 ギルバートは食堂へ向かい、蛇口をひねって水を飲み干した。コップを洗ってから、涼しい風にでも当たろうと窓を開ける。

 それでギルバートは気づいた。朝練か何かだろうか、第二運動場の方から、誰かの足音が聞こえる。よく聞きなれた足音が。

 脳裏にかつての風景がよぎり、ノイズ混じりのアナウンスが再生される。

 

 競技場の熱く揺らめく蜃気楼の中にベルが立っている。緊張した面持ちで手足を伸ばしてはアップをしている。陸上選手らしく引き締まった胸板が鼓動と呼吸にあわせてわずかに動いた。気楽にいけばいい、汗にぬれた横顔を眺めながらギルバートはささやいた。アンタなら絶対に一位を獲れるって確信してるから、まわりのヤツらのコンディションなんか気にしないでいいよ。

On your mark

 足元のスピーカーから機械的な声が響く。ベルが身をかがめる。汗が結晶化したものか砂か、白くきらきらした粒を額にひっつけて、鋭い眼光でレーンの向こう側を見据えている。

「Set」

 無音。静寂。――パン!

 鳴り響くのはピストルの音。彼がスパイクで地を蹴って走り出せば、脂肪ひとつなく絞られた日焼けした体が光速で飛び出し、周囲をどんどん追い抜いて、あっという間に先頭へ躍り出る。着地した先から跳ねていく足、歓声すらかき消す灼熱の日差し、砂煙を巻き上げていくスパイク。ギルバートはそのすべてを目で追い、ベルをいとおしげに見つめる――。

 

 そこでギルバートは我に返る。 ベルがこちらを見ていた。いま、彼らを照らすのは数年前の灼熱の日差しではなく秋の星明かりだ。思い出の中よりすこし大人びたベルが、あの夏にはなかった窓枠越しにギルバートを見つめている。永遠に続きそうなほどの時間の中で、ギルバートの胸は熱い感情に締め付けられてやまなかった。

 完走後の陸上選手のように、ベルがこちらに手を振った。マフラーからわずかにのぞく口元が開く。

「おまえ、何から逃げてるんだよ。ほかの誰から逃げたっていい。いつだっておれが追いかけてやるから。だから、おれから逃げるなよ……!!」

 夜風に前髪を揺らし、星明かりに照らされながら、ギルバートは、ただまっすぐに頷くことしかできなかった。また明日会えたら、その答えを、直接ベルに伝えさせて欲しい。

 あんたが大事だよ、ベル。

 

 

後編

ベル達の謹慎が明け、ある警官も自分のバディと向き合い始める。
そんな中、セントラルパークには異変が訪れていた。

 朝の定例ミーティングを前にして、ブリーフィングルームはにぎやかだ。警官、スタンリー・ヴィシネフスカヤは、隅で縮こまるベルに声をかける。

「復帰出来てよかったですね、ベルさん!」

「ありがとう……ギルに言いたいことも言えたし、今日の任務が終わったらちゃんと話して、仲直りするよ」

 ベルはまぶしそうにスタンリーを見つめ、おずおずと頷く。彼は警察学校を卒業してから警官になるまで少し間が空いているため、ベルは「年下の先輩」にあたる。

 ベルはマフラーに顔をうずめながら、

「謹慎中、『おれは警察官として何がしたかったんだろう』って、自分の原点についてずっと考えてたんだ。おれ、実は高校までは陸上選手を目指してたんだよ。その時のことを考えたら、なんだか走り込みがしたくなってさ……。だから今朝は、ちょっと走ってた」

「自分の原点……! カッコいい!」

 感激していると、横の同僚が口をはさんできた。

「朝見かけたよ! フォームがきれいだったね。それにしても不審物かぁ~、この前のヘイフィールド小学校の事件を思い出しちゃうなっ」

「だね! あの時は二人とも楽しそうだったな〜。あ、そういえば、レオとグレイは仲がいいんだっけ? よく一緒に遊んでるよね」

「……あんたに関係ない」

 興味なさげにしていたグレイだったが、話を振られたとたんご機嫌斜めで噛みついてきた。その変わり身がおかしかったのか、隣に立っていたギルバートがけらけら笑う。

 グレイ・I・ジンジャーブレッドは元爆弾魔だ。いかにも『甘やかされて育ったお坊ちゃん』という風体で、子どもらしい動機で、子供向け映画の悪役のように船舶を爆破してお縄になった。

 グレイはスタンリーに微妙に関心を見せながらも、そのまっすぐさが気に入らないようで、普段から反抗的な態度を崩さない。というわけで現状、スタンリーが一方的にグレイにちょっかいをかけている状態だ。

 和やかに雑談をしていると、今度はカイルに声をかけられた。

「ベル、お疲れ。バディとの関係についてはまぁ、焦んなくてもいいと思うぜ」

 カイルも以前はバディの更生意欲のなさを気にかけていたが、ヘイフィールド小事件を通じて少し落ち着いたらしい。スタンリーは、カイルの励ましで自分の心まで軽くなるような気がした。

 

 やがて定刻を迎え、おのおのが自分の班のもとに固まって朝のミーティングが始まった。

 復帰したベル達は喧嘩の理由を報告したらしく、全体への言付けは簡素なものだった。寮に行く時やトラブルが起きた時の報告は正直に行ってほしい。それさえできていれば罵倒も喧嘩も大いに結構、と。

 簡単な事務連絡が終わると、話のテーマは直近の任務――セントラルパークの治安悪化に移る。前面のスクリーンがぱっと明るくなり、いくつかの写真が映し出された。前回の捜査の際、フェニックス班の面々が収穫してきた品物らしかった。三文記事の並ぶ新聞、ペンチ、こまごまとしたプラスチックや金属、ガラスの欠片。一見何の整合性も無いガラクタに思える。

「いいニュースと悪いニュースがある」

 声をあげたのはクリス・ラドフォード。ロウ班所属の警官で、先のヘイフィールド小事件でも活躍した爆発物のエキスパートだ。彼は、艶やかな長い銀髪を軽くかきあげて、

「いいニュースは、セントラルパークの不審物の正体、それを置いてった犯人がわかったこと。資料を見てくれ」

 まずは、ガティが発見したペンチ。これは去年ミシガン州の工場で300個ほど制作され、ニューアトランティスの小間物問屋の通販サイトで売られていた型だった。こっちは店にかけあって販売履歴を入手したらしい。

「次に、パークから回収したこの破片。所轄の鑑識と合同で分析したところ、これはNA市内では販売されていない軍事用ドローンの部品だとわかった。また表面から大量の化学物質が検出された。詳しい分析結果は各自の資料にあるが、注目は硝酸カリウムだ。付着のしかたからして、爆薬の原料だろう。俺たちの見方じゃ、これは爆弾を搭載したドローンの試作品の欠片だね」

「爆弾」

 静まり返ったミーティングルームにぽつりとつぶやきが漏れた。声の主は――グレイ。どこか目をキラキラさせている彼をちらと見て、クリスは話を再開する。

 そしてロウ班でペンチの購入者リストと破片に僅かについていた指紋の持ち主を照合したところ、一致する人間を発見したらしい。

「ティレシア・ジョーンズ、20歳。ニューアトランティス市内に住む、メイクアップアーティスト養成学校の学生だ。17年前、ミッドタウンのモールの爆破テロに巻き込まれて家族と四肢を失い、それ以来義肢で生活している。だがその義肢はどれも表市場で流通しているものではなく、以前から違法な輸出入を疑われていた。社会に恨みを抱えていたらしい」

 社会憎悪のテロリスト、といったところだろうか? スタンリーは目をぱちくりさせる。

 スクリーンの画面がぱっと切り替わり、不機嫌そうな若い女性が映し出された。ピンクブロンドのツインテールに派手なメイク。義肢。その写真を見て、さっと顔色を変えたのはベルだった。

「この顔、見覚えがあります! 一昨日セントラルパークで調査を行った時、この子に聞き込み調査を行いました」

「そうらしいな。で、ここからが悪いニュースだ。俺たちロウ班はこの女を重要参考人として引っ張ろうとしたが――公的書類の登録住所はまったく虚偽、友人への聞き込みで掴んだヤサも既にもぬけの殻だった。だが、本当にこいつが何かを企んでいるなら……根城のセントラルパークに再び現れるか、既に不審物を仕込んでいる可能性は高いね」

 

 クリスの考えの検証のため、今回、フェニックス班・ロウ班はともにセントラルパークに赴き、巡回・聞き込みと状況分析を行うことになった。

 だが遺留品こそ続々見つかったものの、重要参考人本人については手掛かりなし。よく利用していたというスケートリンクで張ってみた者もいたが無駄骨だった。

 これといった異変は見つけられないとの報告を受けたファインとアルベルトは、昼休憩にしよう、との判断をくだした。グループでランチボックスを囲むもの、バディや友人とともにファストフードの買い出しに向かうものと、それぞれがバラバラに解散する。

 残されたスタンリーは、グレイのほうをさっと振り返った。

「俺たちもお腹すいたね、グレイ!」

「勝手に俺の名前を呼ぶな」

「ところでグレイ、俺のおすすめのお店があるんだけど、一緒にランチ行こうよ! ひとくちサイズでカジュアルに食べられて短い休憩時間にもぴったり、メニューも豊富、炭水化物とDHAが補給できて栄養満点な食べ物なんだ!」

「スシ屋だろそれ。タタミにあげられて、卵焼きに挟まれたライスを食べさせられるんだ! タタミは嫌いだ。正座で足がしびれる」

「畳? 違うよ。いいから来てって!」

 なおも不満げなグレイの手を引いて、スタンリーは公園の外へ向かう。

 

 「……で、結局スシじゃん」

「前約束したじゃん?回転スシ屋行くってさ」

 連れて来たのは、グレイに馴染みのある畳敷きの高級寿司店ではなく、セントラルパーク傍の庶民的な1ドル回転寿司だった。最近NAでは養殖事業が好調で、寿司の価格帯も大幅に下がってきている。

 普段から突っ張った態度を取っているグレイだったが、今回ばかりは回転寿司が物珍しいのか好奇心が隠せていなかった。日本風の店内をきょろきょろと見回し、今にもレーンに身を乗り出しそうだ。

「さ、皿がぐるぐる回ってる……!」

「回転スシだからね!」

「座席についてるこの黒いボタンは何だ!?」

「手を洗うところだよ」

 グレイはカリフォルニアロールの皿を手に取り、それを恐る恐る口に含んで、きゅっと口を窄めた。気に入ったのかどうか、二人の目の前には空の小皿がどんどん積み上がっていく。

 ひとしきりネタを味見して、スタンリーは熱い茶を沸かしてグレイによこした。それから、好きなコーヒーの豆、2人のTシャツのセンスについて、などなど様々な話を振ってみたものの、グレイは落ち着かなさそうだった。

 見かねたスタンリーは笑顔で話しかける。

「俺たち、まだお互いのことをあんまりよく知らないと思うんだ。グレイのこと、いろいろ教えてほしい。バディなんだからさ!」

 湯呑を受け取って、一息ついてからグレイは口を開いた。

「――グレイ・イグナス・ジンジャーブレッド。男、23歳、172センチ。それなりに勉強して、それなりに学校へ通ってた。でも毎日つまらなくて、二十歳の時に両親の海運会社の船を爆破した。好きなものは大きな音、でもうるさいのはやだ。嫌いなものは香水と退屈な時間。ほら、これで僕のことわかっただろ。話おしまい」

「ワオ! 百科事典みたいな丁寧な説明ありがとう!」

「嫌味だよ。ばーか」

 嫌がらせが通じず腹立たしかったのか、グレイは子供のようにむくれる。

「それで……グレイはどうしてそんな犯罪を犯しちゃったの?」

「お前ら警官はそればっか聞くな。調書にでも書いてなかったかよ? 色々ウザかったから。それだけ」

 グレイはぐいっと茶を飲み干した。彼は空の湯呑みを机に叩きつけて、

「……バディだなんだって、いちいちうるさいんだよ。エライ人が勝手に決めた二人組に従うことがそんなに大事かよ。あんたらがよく言う正義とか、なに。ポエム? 宗教? さむっ。スタンリーサンたち警察官はそういう情熱を誇りにしてるんだろうけど、そういうの、僕にはどうでもいい」

「確かに、犯罪は許せないよ。でも憎しみあうのは悲しいから。だから俺は……できることならその傷に寄り添いたいんだ」

 グレイは吐き捨てる。

「偽善者どもの集まりを見てると虫唾が走る。誰だって心の奥に悪意を隠してるんだ。俺はやりたいことをやって、お前はやれてないだけ。お前だって俺とおなじ。所詮偽善者なんだよ」

 『偽善者』という言葉に、スタンリーは一瞬沈黙した。心の中の一番柔らかい部分を突き刺されたようで、すぐに否定できなかった。それでも彼は切り返す。

「人間、エスパーでもない限り他人が何を考えて生きているかなんて分かるわけないよ」

「へー。じゃあ俺の考えてること、はっきり教えてやるよ!」

 グレイは湯呑みを手にしたまま、人差し指だけでスタンリーを指さした。べーっと舌を出しながら、

「お前の考えには納得できない。お前なんかバディとは認めない」

「それじゃプログラムが終わらない。グレイだって一生刑務所から出られないままだよ」

「俺を従わせる方法を考えるのがお前の仕事だろ」

 グレイはふんと鼻を鳴らした。いつもなら気にもならないグレイの反抗的な態度が、今のスタンリーにはなぜか痛く感じた。

 

 寿司屋から出ても胸のつかえはとれなかった。原因はわかっている、グレイのあの言葉だ。『偽善者』。誰かを悪として誹るときには、相手の在り方だけではなく、自分自身の在り方も問われてくるものだ。

 11月を迎えたセントラルパーク。木々はすっかり紅葉し、小径には枯れ葉が積もっている。ら噴水そばの植え込みをがさがさとかき分け、スタンリーはベルにならって自問自答してみた。俺はどうして警官になったんだっけ? ――そう、あの子のためだ。

 彼には妹がいる。少し引っ込み思案でおとなしくて、でもかわいい妹。警察官を目指した時も、NAPDに入ることを心配しつつも応援してくれていた。彼女のことを思えば、スタンリーはいくらでも強くなれる。

 グレイは捜査もせずベンチで風にあたっていたが、――すぐに慌てた様子で口を開いた。
「なんか、向こうから……火薬のにお……」

 直後、ウェアラブルバイスから警報アラームが鳴り響いた。

『――スタンリーさん!伏せてください!』

 ファインの声だ。

 次の瞬間、地鳴りが二人を襲った。衝撃と爆発音が聞こえ、近くにあった噴水の柱が数本まとめて吹っ飛んだ。爆風で瓦礫が巻き上がり、いくつもの破片がぶつかる。乾いた銃声が断続的に響き、うっすらと火薬のにおいが漂う。

 そして白煙の中から現れたのは、ドローンを携えた四肢義体の小柄な身体だった。派手な爆発には不似合いなかわいらしい声が響く。

「どいつも、こいつも、クソつまんない」 

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 見覚えのあるピンクブロンド、義肢。グレイとスタンリーははっと目を剥いた。この女、噴水を破壊したのだ。

「君、ティレシア・ジョーンズだな! 君はセントラルパークの不審物事件の重要参考人として――」

「はぁ?ああ、アンタらサツじゃない! ハッ、邪魔よゴミムシ!」

 彼女はスタンリーの呼びかけを無視し、華奢な掌をかざす。そして次の瞬間――右手から炎とともに光が噴き出した。

 ――改造義肢!? でもあんな型、NA市内で流通してるの見たことない!

「ッ、うぐぁあっ!」

 避ける間もなく、熱が肉を穿つ。

「ゴミムシはゴミらしく、地面とキスでもしてなさい!」

 頽れるスタンリーを見て、ティレシアは唇をねじまげて皮肉な笑みを浮かべ、公園の奥へと去って行った。

 右腕と横腹が妙にひりひりしていた。どんな傷ができたかなんて理解したくなかったけれど、それでも反射的に傷口に目をやってしまう。彼女の銃弾は腕と脇の間を掠めていた。スタンリーの横腹は破裂し、右腕の皮膚から鮮血がこぼれていた。制御を失った肉が奇妙な方向にねじまがっている。止血しなければ長くはもたない、と彼は直感した。

 スタンリーは左腕と口を駆使し、持っていたハンカチで傷口をきつく縛った。そしてふらつく体のまま、よろよろと小径を進む。道沿いのあちらこちらで木々や屋台が燃えていた。開けた芝生の上では安っぽいドローンが飛び交い、男の子を連れた母親や太った男の骸が転がっていた。

 明らかに何かが、この公園で起こっている。止めなきゃいけない。どれだけ出血に耐えられるか、どれだけならあの女をとどめられるか。

「ばか。どこ行くんだよ!」

 後ろから追いかけてきたグレイが、焦ったようにスタンリーの肩を掴む。負傷しているスタンリーは簡単にバランスを崩したが、それでも地を掴み、立ち上がろうとする。

「……あいつを、止めないと……」

「お前、怪我してるだろ! そんな体で何ができるんだよ!」

 青ざめた顔の彼に、しかしスタンリーは微笑みかけた。右腕の感覚はもはやなくなりつつあった。

「さっき……『お前はやりたいことをやれてなかっただけ』『偽善者』って言葉に、……ほんとはちょっと納得してたんだ……俺、やりたいこと、やりきれてなかったからさ……」

 

 スタンリー・ヴィシネフスカヤには、五つ下の妹がいる――否、『いた』。彼女は既に死んでいる。俺が警察学校を卒業してすぐに、クラスメイトからのいじめを苦にして自殺した。

『ママ、パパ、お兄ちゃん。今までありがとう。私はとっても幸せでした。お兄ちゃんが私のヒーローだったよ。今度は別の人のヒーローになってね』

 頬に熱いものが伝い、遺されたメモにぽたぽたと染みを作った。俺は呆然とした。妹はもういない。妹の命を救うヒーローにすらなれなかった俺が、見ず知らずの他人を救えるわけがないじゃないか。

 それから数年間、妹の死が受け入れられなくて沈んでいた。カイルと警察学校の同期でありながら、警官就任時期がズレているのはそのせいだ。

 警察官を目指しておいて、一番近くにいた妹のSOSにすら気づけなかった俺は、『偽善者』なのかもしれない。家族を助ける誇らしい兄になれなかった俺は、『やりたいことをやれなかっただけ』の人間なのかもしれない。

 けれど、警官として働き始めた今はこうも思ってる。

 ――もしも、俺にも誰かを助けられるなら、頑張ってみようかな。そしたら、妹が天国で自慢できるでしょ? 見て、あのかっこいい人がお兄ちゃんなの! ってさ。

 

「……俺のやりたいことは、たったひとつ。妹の言葉通り、みんなを助けるヒーローになることなんだ。ひとりでも多くの人を助けられるヒーローに。だから、こんなところであきらめるわけにはいかないんだよ……!」

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 グレイは偽善者とも嘘つきとも言わなかった。いつも通り冷めきった、ふくれた子供のような目で、スタンリーを見つめていた。

「ヒーローなんか、いない。そんな体じゃ無理だ。不可能だ」

 グレイは、スタンリーの体を支えながら繰り返す。

「不可能だ」

 だがグレイの言葉に、スタンリーは食らいついた。

「――可能だ」

「妄想だ」

「理想だ」

 スタンリーはグレイをしっかりと見据える。

「詭弁だ」

「希望だ」

「綺麗事だ」

「未来像だ」

「逃げ出すだろ」

「踏ん張るさ」

「泣き出すぞ」

 グレイが詰問した。だがしかし、スタンリーはもう言い返さなかった。血塗れの体で、ただ台詞を紡ぐだけだった。

「いいんだよ。どれだけ涙に暮れたっていい。それを乗り越えた先にあるものが、俺の望む姿だから」

 その言葉を聞いて、グレイは――ふっと不敵に微笑んだ。

「……付き合ってやるよ。今だけな」

「え、グレイ……!? ありが……」

「犬のクソほど興味ない。静かにしてろ」

 グレイはスタンリーの傷口を見て顔を顰めながら、彼の返事をぴしゃりと遮った。

 ――グレイは元受刑者だ。グレイもティレシアも同じ爆弾魔なのに、殺されたのが見ず知らずの人なら「生まれ変われる」ってあっさり赦して、目の前の人なら憎しみをぶつけるってのはいびつな偽善だ、と自分でも思う。だから彼は口を開いた。

「勘違いするなよ、この爆音が耳障りだから止めたいだけだ。あんた、バディだなんだっていうくらいだから、僕の好き嫌いくらい覚えてるよな」

 その相変わらずの口調に、スタンリーは安堵からか失笑した。

「……覚えてるよ。大きい音が好きだけど、うるさいのは好きじゃない……香水と退屈な時間が嫌い……だろ?」

「合格だ。せいぜいテロリストより退屈させるなよ」

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 グレイは銃を構え、まるでシューティングゲームのようにドローンを撃ち落としていく。弾が尽きると、今度はスタンリーの銃と交換して左手に持ち換えた。

 ――その身体で確認しろ、スタンリー。僕がなにを好きで、なにを嫌っていて、どれだけ破壊に躊躇のない悪い子かどうか。ありのままの僕を知らないうちに、バディだなんて軽々しく言うな。いい子ちゃんじゃないグレイの全部をちゃんと頭に叩きこんだら、偽善も通用しないくらいのお人よしのあんたと、退屈しない時間を探しに行ってやってもいい。

 グレイは銃声を響かせながら、

「弾が尽きたらドローンに囲まれる! ティレシアが戻ってくる可能性だってある、そしたら今度こそあんた死ぬぞ。次の指示は? はやくしろ!」

「あいつを市民の方に向かわせないようにするんだ……! すぐに避難誘導をしてもらわなきゃ……」

 グレイの背中の熱を感じながら、スタンリーはがくりと頽れた。そして朦朧とする意識の中で、無線を付ける。

「噴水の北側で接敵。セントラルパークが……襲撃されています!」

 

 クリスが素早く無線に耳を傾けると、ノイズを割ってすぐに金切り声が聞こえた。

『――スタンリーサンが怪我した!メチャメチャ血が出ててメチャメチャ痛そうだ!』

 グレイだ。珍しく焦っている。「落ち着いて状況を報告しろ」と促すより前に、次はカイルからの通信が入った。

『15時37分、噴水東側で重要参考人を発見しました。彼女は拘束を解いて逃走、噴水を爆破し一般市民を襲撃しています。スタンリーとグレイは負傷、俺とレニーで追います!』

「遅かった――始まっちまったか」

 クリスは、自分の手指が僅かにこわばるのを感じた。

 合衆国には、平和のための血腥い戦いを請け負う人間が少なからずいる。SWATや所轄分署、NAPD上層部も警戒体制に入っているだろうが、こういう事件が起こればNAPDで真っ先に駆り出されるのは自分たちだ。なにせ構成員の半数が、仮釈放に一縷の望みをかける使い捨て前提の囚人。『NAPD更生プログラムはメンバー全員が捨て身の鉄砲玉集団と見なされている』。誰もが今、その真意をじわじわと実感しつつあった。

 一方クリスは、『噴水側から公園を北上する、不審な人物を目撃した』との通報を受けていた。人相も重要参考人――今やテロリストのティレシアと一致している。

 情報と上から送られてきた行動方針に目を通したらしく、上官から無線越しに連絡が入る。

『フェニックス班は前線へ。ロウ班! 状況把握・前線への指示、市民の避難を頼んだ』

間髪入れず、今度はファインからの指示が届く。

『了解しました。スタンリーさんは撤退。カイルさん! 噴水エリアからそのまま彼女を追ってください。そしてガティさん、ベルさん、私たちは別方向から彼女を追い詰めましょう』

『ロウ班のみんな! 俺とルイーズ、セスはそれぞれ避難誘導をして市民の安全確保に努めつつ、後衛を果たす。クリス、スタンリーのサポートを頼んだ。ヴァニタスはパーク内監視設備をチェックし、彼女の予測進路を前線に送信してくれ!』

 そして、

『いいか、ティレシアは軍事用ドローンと爆薬仕込みの改造義肢を携えている。全員、気を抜くな。必ずやつを押さえろ!』

 皆がそれぞれの通信機の向こうでうなずきを返す。そして遂に鬨の声が届いた。

『NAPD・更生プログラム諸君。出動だ!』

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→5話

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