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眠れない夜は眠らない僕と

Lemonade #5「Bring it on」

#5 「Bring it on」

テロリストの襲撃を受け、深手を追う面々。遂にセントラルパークの解放戦が始まる。

 

 芝生の上に死体が並んでいた。

 硝煙の匂いが立ち込めている。遠くで屋台のガラスが吹き飛び、破片が煌めきながら散らばっていく。ベンチの板が傾いて割れた。

 荒廃した公園を駆けていたカイルとレニーは、遠く向こうに敵の姿を見留める。煙幕か火薬の残滓か、淀んだ空気越しの輪郭は朧気だった。

「行くぞ、レニー!」
「うん!オッケーだよっ」

 ――仲間を、罪のない市民を傷つけたアンタを、もう絶対に逃がさねぇ。カイルは心中で呟く。

「懲りないバカね。あんたらも!」
 向かってくる二人を見て、ティレシアは鼻を鳴らしてつぶやいた。

「ま、諦めの悪い子は嫌いじゃないわ。自分が雑魚ってことがアタマで理解できないなら、体で覚えるまで切り刻んで煮て焼いてあげ、るッ!」

 言うなり彼女は地を蹴った。

 その体を目掛けて銃を構える。鋭い音が響く。だが彼女は素早い足取りで、弾幕の間を縫うように接近して立ちはだかった。

「……なんでこんなことしてんだよ。アンタがどんなに辛い人生を送ってきたのか、オレにはわかんねぇ。でも、アンタが今やってる事は、かつてアンタを苦しめたテロリストと同じだろ!」

 彼女は一瞬呆けたような顔をした。だがすぐに嘲笑を作る。
「だからなに?」

 それでカイルは本能的に悟った。こいつは、オレのバディとは違う種の人間――純然たるただの悪だ。

「行くわよ」
 息さえ届きそうな至近距離で、義手の掌が明るく光った。

 ――撃たれる!

 カイルが覚悟したその瞬間、右側から鈍い衝撃を食らって視界が180度回転した。ティレシアの攻撃を食らったはずがなんの痛みもない――どういうことだ。彼がうっすらと目を開けると、そこには、

「……レニー!?」

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 隣にいたはずのバディが、ティレシアの前に立ちはだかっている。

 カイルは漸く状況が飲み込めた。ティレシアの攻撃が炸裂する直前、レニーがカイルを突き飛ばして庇ったのだ。彼は身を割かれる激痛に顔をしかめてその場に倒れ込む。

「レニー!」

 見ていられない。思わず一瞬足を止め冷や汗を流すカイルに、しかしレニーは微笑みを作った。

「なんで庇ったんだよ!」

 彼は途切れ途切れに、

「後がどうなるかなんて知らない……けど、僕がカイルを助けたかったから……助けただけ……」

 なけなしの力でジャケットをずらして負傷を隠し、笑う。それはひどい傷を受けた青年というよりは、陽だまりの中で遊ぶ子供のようにすら見えた。

 カイルの瞳は意図せず潤んでいた。責められない。だって、もし自分とレニーが逆の立場だったとしたら、自分も迷いなく身を呈してレニーのことを庇っていただろうから。

 いつも、他人のためなら自分は傷ついてもいいと思っていた。でも庇われる側って、自己犠牲の上に立つ側って、こんなに胸が張り裂けそうになるものなのか。

「ほら、……行って」
 わずかな力でレニーが絞り出す。カイルは頷き、敵影を見据えた。

 死ねば仮釈放だって叶わない。役得や名声が保証されているわけでもないのに、身勝手に我儘に自分を助けたいと思ってくれたレニーに対して、オレが返せるものは本当に少ない。

 強くてかっけえ人になるんだって決めた。レニーの想いを背負って、今は戦わなきゃならない。

 カイルは一瞬のうちに間合いを詰めてティレシアに手を伸ばした。彼女の義手がカイルの右手首を掴む。だがカイルはひるまない――はったりだ。次の瞬間、カイルは手の指を張って、右腕を締めて体に引き付け、重心を落とした。

「なっ――」

 ティレシアは体勢をぐらりと崩し、右肩から前のめりに落ちてくる。その隙をついて顔に一撃を穿つ。彼女は空いた左手でガード。カイルは相手の右腕を掴んだ。足を引く、全身を下に落とす。華奢な体がぐるりと回転し、彼女は勢いよく地面にたたきつけられた。極めてある腕を下に落とす。

 カイルはすかさず細い肩を押さえつけた。膝に体重を乗せて相手を押さえつけ、極めたままの腕をぐいと捻る。

「いった、っ!」

「確保!」

 敵の義手の、半端に生体に近い関節と筋肉のつくりが突破口だった。憧れの先輩に近づこうと一心に学び続けた体術が効いた。

「ランディ―! こっちに来て、義足のジョイント部分を破壊してくれ!」

 叫んで、カイルは彼女の顔面にもう一発食らわせておいた。敵の体力は奪っておくに越したことはない。

「お前がジョーンズだな」

「うるさーい」

 彼女は腫れたくちびるで唾を吐いた。

 ランディ―とカイル、大の男に取り押さえられてなおも暴れ続けていたティレシアだが、義足の膝から下が破壊されたことで戦意を削られたようだった。はあはあと息を乱しながらも、首をひねってNAPDメンバーを睨みつける。

 遅れて駆けつけたファインが懐からデバイスを取り出し、アイシャドウで彩られたまぶたを開いて網膜の血管を撮影し、本人証明を済ませていく。しかしカイルはその一連の流れを見つめながら、僅かな違和感を覚えていた。

 すでに取り押さえられているというのに、ティレシアの顔はどこか満足げにすら見える。挑発的な笑みを見て、カイルの背中になにか悪寒が走った。冷たい視線を向けるファイン、苛立ちを露にしたランディーと目配せをして、

「おい、アンタ。何か、隠してるだろ」

 

 

 NAの象徴・セントラルパーク襲撃の速報は、衝撃をもって迎え入れられた。後方ではチーフによって急拵えの指揮所が設けられ、サイが負傷者の応急手当、ヴァニタス・クリス・レナードが情報分析をそれぞれ行っている。

 野戦病院として確保された区画の隅では、救急車が着くまでの応急手当を施されたスタンリーが昏睡していた。

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 サイによれば、かれの脇腹と腕の負傷は酷い状況のようだった。防弾チョッキも装備もおまじないにしかならない程度の裂傷と火傷。銀髪は泥にまみれて乱れ、さまざまな管に繋がれて、血のこびりついたジャケットに包まれた胸が静かに上下していた。

 一方拠点の奥には、屋台のテーブルを作業机にしていくつかのPCが整然と並べられている。そこではNAPDのジャケットを着込んだ三人の男が静かにモニターと対峙していた。そのひとりはヴァニタスで、命じられた予測進路の計算・共有を既に終え、いまはテロリスト――ティレシアの身辺をさらっているらしい。

 隅に立っていた受刑者は、医療組と情報組の背中をサングラス越しに見比べ、それから蕾が花開くときのように口元を柔らかくほころばせた。

「そろそろ上層部からの援護が来るらしい」

「ハッ、ホシが確保されてから到着か。援護とやらがいったいどんな活躍をしてくれるのか楽しみだな」

「連中のやることなんざオレでもわかるね、下っ端からの手柄の横取りさ。しかしやっと面白くなってきた! 昔撮った警察ものの映画みたいだ」

「これは映画撮影じゃなく現実だぜ。俺のバディくん」とクリスは言った。「よく、やけに有能な治安維持組織が活躍するフィクション映画があるだろう。ああいう手合いは発禁にした方がいい。こういう現場に出る度に思う」

 クリスは不機嫌だった。一般市民に被害が及んだことに憤懣やるかたない思いを抱いているようだった。受刑者のほうはくつくつと忍び笑いを漏らして、

「セントラルパークを強襲したテロリスト。彼女の目的はNA市有数の観光名所であるこの公園で多数の死傷者を出すことだろう。でも、ばっちり装備を揃えてきたとはいえただ単独で大暴れなんて単純で効率が悪い――そう思わないか?」

 彼は自分の隣に立っているクリスに目配せして続ける。
「犯人はテロに巻き込まれて社会秩序への恨みを募らせていた。世間への復讐。……なぁダーリン、頭使ってみようぜ? あんただったら、この情報に何を見出す?」
 クリスは露出した方の瞳を細める。それはどこか苦々しい色を帯びていた。

「あの暴走は陽動か作戦の第一段階。次の手があってもおかしくない――本命は騒ぎが大きくなってきたところで、パニックに陥った市民や集まってきた警官を巻き込んで派手に爆殺、ってとこか」

 返事はない。だがクリスは、向かい合う男の薄ら笑いを肯定と捉えた。

「後衛も気が抜けないな。キッド、現場と協力して他に不審な点がないか調べてくれ」
「了解!」

 ヴァニタスはこくこく頷き、またデバイスを弄り始める。

 神はいない。いたとしても、奇跡など滅多に起こらない。信じられるのは今まで積み重ねてきた訓練と情報だけだ。様々な展開を想定し、ニューアトランティス市民の命と向き合った結果、司令塔は選んだ。戦うほうを。

 敵を凌ぐ必要に迫られたとき、NAPDは非情にも非道にもなる。だが自分たちはここにいる人間を誰一人、犬死にさせるつもりはない。

「……パパ……じゃなくてクリスさん、それにドクター!」
しばらくモニタと向き合っていたヴァニタスが声を上げた。

「推測通りだよ。記念碑の近くに不審なアタッシュケースがある」
「ハハッ、ビンゴだな。さて、あとは頼んだぜ――現場」

 

 

 ――お料理と実験はよく似ています。濃度98パーセントの硝酸を、三倍量の硫酸に、氷水で冷やしながら加える。次にグリセリンを一滴ずつ加えればニトログリセリンの完成。これに屑を混ぜればプラスチック爆薬のできあがり。

 ギルバートは、かつて本を読んでいる最中に掛けられた言葉をひたすら反芻していた。お得意の現実逃避だ。

 通信では役職持ちのメンバーたちがせわしなくやりとりしている。電波状況が悪いらしく、ひっきりなしにノイズが混じっていた。

『噴水より南、市民の避難が間に合った……フェニックス班、動きが止まってるけど大丈夫か!?』

『前衛に負傷者が出ま……た。カイルさんのバディが重傷です』

 通信から聞こえる声に、同じく副チーフであるファインが返す。同僚に負傷者が出るほどの混乱の最中とは思えないほど、完璧に落ち着き払っていた。

  そこへ割って入ったのは、指揮所で情報分析をしているらしいヴァニタスだった。

『あと十分で上からの援護が来る。後衛は引き続き公園周辺の警戒に当たって!』

『何かあったのか……ヴァニタス』

『被疑者は確保した。でも彼女の本当の狙いは騒ぎが大きくなってきたところで、パニックに陥った市民や集まってきた警官をまとめて爆殺することだったんだ。公園の避難経路のどこかに、時限爆弾が仕掛けられてるんだよ……』

 一息をおいて、

『さっき、時限爆弾の設置場所を割り出しました。ベル先輩たちのチームが一番近い! 処理して……さい』

 ベルが二言三言も交さないうちに、通信が切れた。

「い……嫌だ」
 反射的に、ギルバートの口から駄々っ子のような抵抗が飛び出した。

「……ギル。聞いてくれ」

 ギルバートの動揺に反して、ベルは落ち着いていた。彼はしゃがんだままギルバートに正対して口を開く。

「このセントラルパークに、さらに時限爆弾が仕掛けられているらしい。それもとびきりビッグなのが――おれは、それを処理しに行く」

「嫌だ! やっと仲直りできるって思ったのに、なんで、なんで……」

 ギルバートは聞き分けの悪い子供のように、ベルの袖を引いて縋った。そして口を開く。『今、伝えることができるのならば、好きだって全部全部伝えないときっと後悔する』――そんな言葉が、脳裏によぎったから。

「そばにいてよ、ベル。駄目なら俺もついていく、だって、バディなんだから……」

 ベルは頭をゆっくりと左右に振った。その真っ黒な瞳の中で、静かに闘志の炎が燃えているようだった。まっすぐ相手を見据える。

「……残り少ない時間の中で全力で走ってアタッシュケースを貯水池に放れば、爆発の被害を最小限に抑えることができる。走れるのは、『おれしかいない』んだよ、ギル」

 しんとした公園にベルの声が通った。すでに日は傾きかかっていた。木枯らしが周囲の落ち葉や瓦礫をさらっていく。

「おれにしかできないことなんだ」とベルはつづけた。「絶対、任務を成功させてくるから。待ってて」

 ベルはそっとバディに手を差し出した。

「おれはおまえを信じてる。だから、おまえもおれを信じて」

 瓦礫に隠れながら。血の気の引いた、細い手に熱を移すかのように、優しく指を組み合わせた。

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 光のない瞳とティファニーブルーの瞳がかち合った。ギルバートの手は震えていた。かすれた声で絞り出す。

「……信じてる。だから……絶対に、ぜったいに、帰ってきて。ベル……」

 言葉と、震える手指と、かすれた声と、それらを受け止めてベルは頷いた。決意の表れのように静かに口を円にした。罪をリセットするために先手をうって死ぬ――そんな言葉を交わしたあの夜にはできなかったことだった。

「行ってくる」

「ベル!」
ギルバートが名前を呼ぶその声が、ベルにとってはスタートのピストルの合図だった。ベルは立ち上がり、全力で地を蹴って走り出した。

 

 ――おれは、誰かの操り人形でいいと思ってた。

 陸上選手の夢をあきらめたのは、本当は姉のためではない。警官になれば犯罪者を捕まえることはできるだろうが、死んだ姉はもう帰ってこないからだ。おれが陸上選手として力を発揮できていたのは姉のマネジメントがあってこそで、それがなくなれば、もう自分には何もできない。

 姉が死んだとき、周囲はああだこうだと話したり泣いたりするばかりで、おれはいつも自分の苦しみを吐き出せる場所をさがしていた。あの頃、先の見えない真っ黒な世界の中で、ギルバートだけが色づいた道しるべだったと、後になって気づいた。

 警官になってからは無気力で面倒くさがりの警官として日々を過ごした。おれは何をしたいんだ。ずっと前から思っていたけれど、仕事をしていても休日を過ごしていてもモヤモヤしている。本当はおれはどうしたいんだ?  考え続けてそれでやっと答えが出てきた。

 結局のところおれは何もしたくない。どうでもよかった、すべてが。苦しい。もうなにも聞こえない、聞きたくない。心の支えを失ったベルは、同僚のルイーズに姉を投影して熱心に慕うことすらしていた。あなたに縋らないと生きてはゆけない、そうまでしてでも誰かの操り人形になりたかった。

 おれには御大層な英雄は似合わない。世界を救おうなんて思わない。おれなんかが多数の人間を助けられるわけないだろ。

 更生プログラムに飛ばされた今も、そう思う。でもそれでいい。多くは望まない。おまえだけ救えたらいいよ、ギル。おれが必ずおまえを救う。それがこのNAPDでやっと見つけた、おれのやりたいことだから。

 だから今は信じていて。 あの真夏の競技場のように、おれのことを、笑い飛ばして送り出してくれ。

 そうして事が終わったら、また一緒に帰って笑い合おう。

 

 後方拠点から送られてきた通信を確認。まだ不自然に整っている植え込みの中からアタッシュケースを引っ張り出した。ずっしりと重く、中からは何か駆動音が聞こえる。

 「っ、これだ!」
ベルはばね仕掛けの人形のように勢いよく、ジャクリーン・ケネディ・オナシス貯水池めがけて走った。もう時間は残り少ない。

 警告。爆破プロセス開始まで残り十秒。

 残り五秒。四秒。ベルはマフラーをたなびかせて走る。赤いスニーカーで地を蹴った。整ったフォームと気迫からは、普段の怠惰で無気力な面影は感じられなかった。

「くそっ……!」

 三秒。フェニックス班の前衛たちがベルの動向を慎重にうかがっている。

 二秒。南側で避難誘導に協力していたジョーカーは、ジョーカーは、ふと北側に目をやる。

 一秒。銅像の裏に隠れていたギルバートは、震えながら彼の無事を祈った。

 実行。

 アタッシュケースがベルの手を離れるか否かの瞬間。炎と熱風が空に炸裂し、セントラルパークはまばゆい光の中に包まれた。

 

→6話

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