Lemonade #10「Scapegoat」後編

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後編

#10 「Scapegoat」後編
ホテルの状況を懸念するある警官。本部の面々も異変に気づきつつあった。


 ファイン・M・アネモネは、朝礼に集まったメンバーをぐるりと見回した。今日のミーティングを仕切るのは彼の仕事だった。仕事熱心な方なので気にならないし、警察官たちの成長を見守るのは楽しくもあった。
 ホログラムをさして、後輩達に話を振っていく。
「パン屋連続襲撃事件の進捗はどうなりましたか?」
「はい。今回のガイシャは五番街にあるパン屋の店主。出入りしている卸業者が死体を発見。犯人は、遺体をバラバラに分解し、店の釜で人肉入りパンを焼いてから逃亡したようです。現在鑑識の調査待ち」
 隣に座る相方が、そりゃ不味そうだな犬も食わねえ、と吐き捨てた。椅子にふんぞり返る彼を横目で見ながら、ファインはミーティングを続行する。

「分かりました。調査が済んだら現場に戻ってください。今日のおもな予定は街の巡回です」

 怪我をしていたメンバーも調子を取り戻してきたので、そろそろ現場に復帰させて良い頃合いだろう。そのことを説明していると、最前席に座っていた女性警官がぴっと手を挙げた。二つに括った髪の毛をぴょこぴょこ揺らして、
「はい! ワタシ、気になることがあるのですが……」
 どうかしたのか、と促すと、彼女は口を開いた。ロウ班からの定期連絡確認を担当しているガティだが、しばらく通信がつながらないのだという。ファインは端末を立ち上げた。全権限を解放してメッセージ履歴をたどってみる。しかし誰からの着信もなかった。試しに旧友のクリスにかけてみたが、これまた音信不通だった。
「……異常ですね。チーフにこのことについて話してみます。最優先で対応を考えましょう」
 ファインはわずかに目を細める。その瞳はどこか濁っていた。一方のガティは、少し怯えを孕んだ顔で、ファインのくらい横顔を見つめていた。

 

 

 クリス・ラドフォードはゆっくりと目を開き、寝ぼけ眼を擦る。鳴らない電話。鈍痛と酩酊。

 いつから”こう”なったか――? きっかけは六年前だった。担当していた事件の捜査を終えて、別件の応援に向かった。銀行強盗がそのまま逃走し、付近のカフェで人質を取り立てこもっているという。パトカーで急行し、現場に到着した瞬間、追い詰められた犯人が自前のダイナマイトで人質もろとも自爆した。当然、現場は悲惨な有様で、遺体も一目見ただけでは性別はおろか個人を特定するのも難しかった。その後、ある通知がやってきた。遺品をもとに被害者の一人の身元が判明したという。死んだのはクリスの妻だった。もうすぐ子供を産んで、幸せな母親になるはずの、自分の妻だった。
 ――間に合わなかったんだ。出勤要請を聞いて彼女がよく行く場所だな、なんて思っていて。急いでほかのメンツとパトカーに乗り込んでな、現場に急行した。それで、着いた途端にドカン。デカい爆発音で耳が痛かったな。ごうごうと燃えてる建物がよく見知った店でさ、「ああ、彼女が好きだって言ってた店だな」そう思ったら自然と汗がだらだら出てきたもんだ。現場は犯人死亡、死者十数人、そのほか被害多数。必死な消防活動によって店内にようやく足が踏み込めてさ。酷いもんだぜ、まったく。ほとんどが人の形なんてしてねーんだからな。酷いもんだぜ、ほんとうに。なんで彼女が死ななきゃいけなかったんだ。子供もいたのに。なんでだよ。なんでだよ、なあ。なあ。

 

 服装を整えて部屋を出る。ホテルの状況に倦厭していた。ちっとも変わらない――外部から隔離された、森厳な静寂の水面下では、それぞれの思惑が渦巻いている。
 今朝、ほかのメンバーから「セスとセオドアだけが外の捜査に出発させられた」と聞いて耳を疑った。通信も復旧していないのに正気か? プログラムの失敗と崩壊を望むレナードが邪魔なセスを分離行動に仕向け、アルベルトを通して指揮権を握ろうとしているのだとすぐに気付いた。しかし、今すぐ彼らを呼び戻すわけにもいかない。
 というのも先ほど、ホテルの非常用設備を見直しているうちに居眠りしてしまい、レナードを見失ってしまったのだ。目を離せばそれこそ何をするか分からないため、彼を探すことがクリスにとっての最優先事項になっている。普段はともかくこんな状況で居眠りなどできるはずないのに、なぜだろう。最近ずっと気を張りつめていたからだろうか。
 弟と妻子を喪って、今度は絶対に親愛なる人びとを傷つけさせないと誓いを立てた。新たに守るべきものを背負って、決意と祈りを胸に秘め、自分は強くもなったが、同時に弱くもなった。例えば今まで育ててきたヴァニタスが、謀に巻き込まれて生死の縁をさ迷うと思うだけで、ぞっとしてしまう。
 義理の息子、親友、同僚や後輩。レナードは、クリスが今まで大切に守ってきたものを、すべて壊したいと企んでいる。誰にも頼れない。気丈であろうとしても、真綿で首を絞めるように、心労は着実に彼を蝕んでいた。最近はものを食べても味の濃さがわからないほど疲れ切っている。『このホテルはオレの思いのままだ。最高の舞台だと思わないか?』あの忌々しい”大スター”が、クリスの脳裏で手をひろげ、ざまあみろとばかりに笑う。
 くちびるがいびつにゆがんだ。自分さえよければ他はどうなってもいいだとか、他人が滅びていく以外に楽しいことがないだとか、そんなのは精神の未熟な子供の言い分だ。その代償が、どんな形で返ってくるかも知らない癖に。
 それに――と仄暗い心情を続けようとして、やめた。自分の言い分が正しかったとしてもレナード達がそれを聞き入れるわけがないし、周囲を巻き込んで騒ぎ立てても無駄に事態を悪化させるだけ。ただの個人同士の好き嫌いなら歯に衣着せぬが、プロの警官として任務を円滑に進めるためなら、話はべつだ。
 ”自分はもう子供じゃない”、ヴァニタスの声が蘇る。
 もし、これ以上仲間達によからぬ干渉をするのなら、罪のない人々を傷つけるなら……。廊下を歩きながら、静かに息をつく。その時は俺がアンタを地獄に送ってやるよ。

 

 心が晴れないまま廊下を歩いていると、前方からセオドアがやってくるのが見えた。

「――そんなに急いでどうした?」

 肩にはうっすらと雪が積もっていて、顔は青ざめている。細い体でいっぱいに息を切らして、何だか切羽詰まっている様子だ。二人に良くない事が起こったのかもしれないと、不吉な想像が脳裏をよぎった。そして、嫌な予感はだいたい当たる。
「おい……大丈夫か?」
 肩を貸そうとするが、セオドアはそれどころではなさそうだった。
「今……すぐ、皆さんを集めていただけませんか。ここは危ない……!」
 セオドアの話を要約するとこうだ。分離行動を言い渡され、外に出向いたセスとセオドアだったが、そこでレツィンクの配下らしき人物と遭遇した。”このホテルのどこかに罠があったのではなく、ホテル自体が罠だった”。セスはこの情報を一刻も早く伝えろと言付けて、セオドアをこちらに寄越したのだという。
 二人はホテル中を巡ってメンバーに声をかけ、銃などの武器を回収した。ルイーズとジョーカー、アンデッドとアルベルト、チーフはホールで仮眠をとっていたのですんなり見つかったが、残りのメンバーは姿が見えない。
「レナードとヴァニタスはどこに行ったんだ?」
「ヴァニタス君なら、部屋で通信の復旧作業をしてたと思うけど」
「サイちゃんも姿が見えないね」
 聞いてみるも、みなはやはり知らないという。特にレナードは朝から姿を見ていないという。全員の顔に憔悴が薄ら見て取れた。
 ふと喪った弟や妻の顔がよぎった。ヴァニタスや、サイの後姿も。神経を内側から引っ搔くような耳鳴りがする。嫌な予感は当たるものなのだ。

 肩越しに振り向くと、ホテルが煌々と火の手をあげ始めるのが見えた。セオドアの忠告は正しかったらしい。
 ――俺は”また”、大切なものを失うのか?

 

 

 そのころ。ヴァニタスは、カーテンが閉め切られた光のささない部屋の中で、ゆっくりと目を開いた。
 通信復旧作業には全く手ごたえがない。疲れ果てて腰を下ろしたところ、ふと眠気に襲われてうたた寝をしてしまった。目の前では同じくレナードが、横たわって眠っている。寝顔さえも艶やかだと思った。
 クリスは拒否していたけれど、レナードとの対話で記憶を取り戻したかった。彼の干渉を受けて自分自身とはなんなのかと思索を重ねる時間は無駄ではないように思える。声を受け取るたび頭痛の中にちらつく思い出。届きそうで届かない。
 また、張り合いのない復旧作業に戻るべきだろうか。椅子に座ってぼんやりしていると、ドアが軋む音が聞こえたので振り返る。廊下に立っていたのはメイド服姿の女――サイだった。ヴァニタスが名前を呼ぶより先に彼女は、
「早くここに入って」

 とだけ言ってヴァニタスの手を引いた。クローゼットの中に無理やり押し込められる。
「時間がない。もうすぐあの人たちが来る。絶対に喋らないで」
「どういうことなの、何言ってるかわからないよ! 説明して!」
「静かに――ヴァニタス、私が守るから」
 彼女は低く押し殺したような声でつづける。そのまま、クローゼットの扉を閉めた。わずかに開いた扉の隙間に目を押し当てる。
 クローゼットの中で身動ぎひとつせずに息をひそめていた。すると奥からこつこつと足音が聞こえて、ドアが乱雑に蹴破られた。やってきたのは長身の兵士だった。白い装備で固められた全身が返り血にまみれていて、ひどく不気味に映る。
「急ごしらえの対策部隊とは、NA市警も粋なことをするものだ。ランドルフの方は処理した。ほかの全員にも薬を飲ませたのか?」
「――はい」
 一呼吸おいてサイが返事をした。どうして? どういうこと? ヴァニタスは混乱しながらも、二人の会話を盗み聞きする。
「長らくの諜報、偽情報の提供による撹乱、睡眠薬の導入。本当によく働いてくれた。山上の拠点は放棄し、この館は焼却する」
 兵士は部屋一面を睥睨して、頽れるレナードの姿を見留めた。睡眠薬の影響か、レナードはぴくりとも動かない。兵士はつかつかと歩いて、その顔を抱き上げて、何か液体をかけた。液体が触れたそばから彼の貌の肉が溶けていく。何の匂いもしないことがかえって不気味だ。

「わたしたちはこれよりニューアトランティス中心部の拠点に戻る。あなたにも着いてきてほしい。指定日、計画を実行する」

 サイは一瞬、クローゼットに視線を放る。コンマ数秒だけ投げかけられた目線に何の意味があるのかヴァニタスにはつかめなかった。兵士に見守られながら、サイはモロトフ・カクテルに静かに火をつける。それが放られた瞬間、部屋はばっと炎に包まれた。思わず叫び出しそうになって、ヴァニタスは口を覆った。

 二人分の足音が遠ざかったことを確認してから、ヴァニタスはクローゼットから飛び出した。
「ドクター! ドクター!」
 酸をかけられたのだろう、どろどろに溶けた顔面はぴくりともしなかった。完全に意識を失っている。ぐったりして動かないレナードに肩を貸し、引き摺って歩く。廊下に戻れば兵士に鉢合わせするだろうから脱出するなら窓だ。
 しかし一歩を踏み出したその瞬間、足裏にずんと重い衝撃が届いた。同時に建物がぼろぼろと崩れる音。進もうと思っていた方向に燃えた家具が落ちてきて身動きできない。
 逃げ場が見つからない。息をするたびに熱気が肺を焼こうとするので、口を押さえる。ああ、ここが俺の人生の終着点なのか、と諦念が心を覆う。最期まで役立たずでごめんなさい。
 途方に暮れて立ちすくんでいると、天井から煤が落ちてきていることに気づいた。どん、どん、と何度か鈍い音がして一気に天井の装飾が崩れ落ちる。天井の穴からわずかな光がさす。よく知った顔が見えて、ヴァニタスは目を見開いた。

「キッド。迎えに来たぜ」
「……クリス……」
 差し伸べられた救いの手にヴァニタスはしがみついた。いつ準備していたのか、非常脱出用の麻ロープはガサガサしていて何度も掴みなおさなければならず、手袋が脱げ落ちそうになった。屋根まであと少しのところでクリスに抱き上げられた。
「怪我はないか?」
「う、ん」
 張りつめていた緊張がほどけ、体重を全て預ける形になる。

「無事でよかった。……とんだやんちゃ坊主だな、まったく目を離す隙もない……」

 煤まみれのヴァニタスは、やれやれと笑うクリスに抱きしめられる。ヴァニタスはそこで、養父の身体がわずかに震えていることに気づいた。指先もすっかり冷え切っていた。ハグに込められた想いが痛いほどに理解できて、強く、強く抱き締め返した。
 レナードは意識を失っていたため、救出には人手を要した。ひどい怪我だったが、応急処置のおかげで一命は取り留めたようだった。燃えさかるホテルに救援がやってくるまで数時間もかからなかった。本部組から指示を受けたカイル、スタンリー、ベルら六人が合流。間もなくロウ班メンバーはデアンハロップ・ホテルから脱出した。

 

 

 ホテルの事件終着から数日が経ち、メンバーには年末休暇が与えられていた。サイは失踪、チーフとレナードは入院。セスの葬儀はしめやかに行われた。希望者はカウンセリングの予定を組んでもらえるらしいが、それがどれだけ役立つかは人によるだろう。NA市警において殉職は日常茶飯事。クリスも覚悟はできているつもりだったが、やはり複雑だった。
 クリスは煙草をふかす。ホテルでレナードのことを救った理由は、ただのヒロイズムではなかった。レナード・レインの悪事について、その行為に至るまでの想像はできても、同情も理解もする気はない。レナードの挑発や煽りは腹立たしかったけれど、”憎める人間が出来て嬉しい”とも思った。弟を失い、妻子を失い、その原因の犯人すら失いつづけてきた人生。その中でレナードは、被害者面のまま一方的に殺意や憎しみを向けられる対象だった。

 憎いけれど、生きて呪われてくれないと困る。死なれたら、お前が憎いと伝えられない。

 ふうと紫煙を纏う。それとほぼ同時に電話が鳴った。
『あの、クリス……? 時間ある? じつは、付き合って欲しい場所があって』
 ヴァニタスだ。
『クリスマスマーケットに行きたいんだ。……せっかくのホリデーだから、家族と過ごしたい』
 感傷的な響きだった。普段部屋にこもりがちな彼が外に出たいというのも珍しい。ベルあたりに、気分転換しろとアドバイスされたのかもしれない。断る理由もないので、クリスは頷いた。
 サンクスギビングデーが合図だったかのように、ここ最近は一気に冷え込んだ。かきいれ時のホリデーシーズン、ミッドタウンの大通りは人の波でごった返している。ヴァニタスの手を引いてやりたいくらいだったけど、彼からしたら、その気持ちはお節介かもしれない。

 ハヌカーや中華の屋台が道に多国籍な彩りを添える。奥では、巨大なクリスマスツリーが聳え立って、マーケットが開かれていた。

 客たちはホリデー商戦のグッズでNAの誇る最先端技術に触れ、世界においてのアメリカの優越を確認して、満足感を抱きながら帰っていく。移民の国において統制をとるためには、国という共同体に憧れを抱かせる他ないのだ。このマーケットは、そうした愛国心の醸成場としても機能していた。
 クリスはツリーを見上げる。今から十六年前、ここである子どもと出会った。粗末な身なりの女の子と他愛もない話をして、玩具の指輪を贈ってあげた。懐かしい記憶として時折思い出していたそれは、質量を持って現在にやってきた。成長した彼女は元犯罪者”サイ”としてチームにやってきたのだ。彼女がどういう意図で犯罪者になり、そして去っていったのか。
「……サイと、一緒に来たかったな……」
 傍らのヴァニタスがぽつりと漏らす。クリスと同じことを考えていたらしかった。

 サイ。腹のうちの読めない彼女こそがレツィンク内通者のうちの一人だった。

 彼女は準備期間から敵に情報を提供していたらしい。今回の一件ではまずヴァニタスに誤情報を見せてホテルに誘導した。次に、停電の隙にチーフを切りつけて行動不能にして指揮を混乱させる。代打のアルベルト&セスに『通信が復旧した』と嘘をついて分断。その後睡眠薬入りのお茶を盛って敵を導いた。レナードの思惑もあり事態は悪化し、犠牲者が出てしまった。

「サイは俺にクリスマスプレゼントを用意してたって聞いたんだ……。あのホテルで、あの子はチームを裏切った。でも、サイは別れ際に俺を庇った。それにあの、お茶に混ぜてた睡眠薬――やろうと思えば、もっと強い薬や毒を混ぜて俺たちを完全に行動不能にすることもできたはず。なのに、サイはそうしなかった」
 なんでだろう、とヴァニタスは呟く。

「さあな。それは俺には知りようもない」

 ヴァニタスは唇を噛みしめていていた。鼻筋と耳が赤く染まっている。
「仲の良かった2人にどうしようもない溝が出来てしまった。笑いあった時間もただの作り笑顔だったのかもしれない。でも俺にとってサイは失いたくない親友だった。サイが今どこにいるのかは分からないけど、同じことを感じてくれてるといいなって……思ってる」
 セレモニーの時間が近づいてきた。ツリー前に聖歌隊がずらりと悩んでいる。天使を模した白い服の少年少女がステージに並び、祈りの言葉を紡ぎはじめた。

「天にまします我らの父よ。願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ」

「我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。我らを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ」

「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン」
 キャロルが何重にも響いて、セレモニーはクライマックスを迎えようとしていた。ヴァニタスはツリーを見上げる。すみれ色の大きな瞳にイルミネーションが映りこんで光っていた。心なしか目が潤んでいるように見える。
「……クリス。この前は喧嘩しちゃってごめん。でも俺、やっぱりこのままじゃ終わりたくない」
 ヴァニタスがぽつりとつぶやいた。

「俺は、記憶を全部思い出して、自分を取り戻したい。サイのことも――俺を守ろうとしてくれた親友のことも取り戻したいんだ」

 元受刑者たちが選ばれた基準は、本人の意欲の他、犯罪の性質や動機と計画性、結果の重大性や遺族の処罰感情、社会的影響、前科などと彼らのスペックを照らし合わせたということになっている。だがクリスはレナードに、弾丸としてのスペック以外を見いだせなかった。彼はホテルで硫酸攻撃をうけ、火傷で容貌を損傷した。だが、かつて学位を取った心理分野についての知識は健在だろう。ヴァニタスの記憶を取り戻すのにレナードが必要だというなら、自分が側にいるべきだと思う。

 街に雪が降り始めていた。行先は簡単な道のりではないだろう。NAを――大切な人たちを、守りきることができるだろうか。クリスは目を伏せ、傍らの青年の背中を優しく撫でた。
 世界は様々な事件を乗り越えて歴史を作ってきたが、聖なる日だけは何世紀も不変だ。その濫觴からヴァニタスが死ぬまで、きっとこの日は商業的、宗教的な意味を失うことがないだろう。

 永遠の平穏なんてどこにもないかもしれない。それでも今宵だけは、平穏に。

 

 

 

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