&party

眠れない夜は眠らない僕と

Lemonade #9「Last Supper」

謎の組織の噂を追い、ロウ班は不審な死体が散発的に見つかるスキー場を調査しに行くことに。

雪に閉ざされた中で、ある赤毛の警官が暴走をはじめる。

 純白の山岳の澄み切ったつらなり。車内の曇った窓にはうっすらと水滴が張り付いている。壮年の男は、皺の浅く刻まれた目元を外に向けて、延々と広がる銀世界に見入っていた。

 ――スキー場行きは唐突に言い出されたことだった。ドラッグ売人の元締め、引き出した証言により、上層部は目下の課題を見出した。ニューアトランティスの治安を見出し都市転覆を図る、『レツィンク』という謎の組織。そんな中、ヴァニタスとサイがひとつの情報を掴んできた。「ニューアトランティス郊外のスキー場で変死体が散発的に見つかった」。近辺には不審な外国人がよく出入りしていたらしく、放棄されたレツィンクの拠点が山中にあるのではないかという推論に辿り着いたのだ。フェニックス班のメンバーは一部が療養中ということで、ロウ班がスキー場へ向かうことになったのだった。

 車内は静かだった。NAPDを出発してすぐはあちらこちらからぽつぽつと談笑の声が聞こえていたが、次第に早起きの疲れからか眠りに落ちたり本を読み始めたりと、各々が自由な時間を過ごしている。

 男性――セオドア・ジェンキンスは、ふと脇をつつかれて車内に目を戻す。バディであるセスはきつい瞳でこちらを見ていた。

「何か話せ」
「私の話にご興味があったんですか貴方……おかしな人……」
 セオドアはつぶやいた。バディの天然さも無茶振りも未だに慣れない。

「そうだな。近所の猫からどうにも懐かれないんだが何故だ」
 その言葉にセオドアははにかんで笑う。
「いきなり頭を触ろうとしてはいけませんよ、手を下に出して彼らが近寄ってくれるのを待たなくては……」

 雪で覆われた長い山道を抜けると、奥にぽつんと洋館が建っているのが見えた。ハンドルを握るアルベルトは、洋館のエントランス前に車をつける。マイクロバスは、排気を白い湯気のように吹き出しながら、低いうなりをあげてエンジンを停止した。アルベルトが合図すると、バスの中のメンバーがのびをしながら立ち上がる。酔い止めのおかげか乗り物酔いもいないらしい。ジャケットの保温性能は抜群といえど、寒さに弱いメンバーは雪だるまのように丸まっていた。

「みんな忘れ物をしないようにな!」

「う、うん……!」

 前方に座っていたヴァニタスが、毛布から顔を離して大きく頷く。そして、隣の席に座るバディのほうをちょっと見る。幼子のような微笑みを交わし、ゆったりと立ち上がった。

 バスのドアが開くと、肌を刺すような冷気がさっと流れ込んでくる。セオドアは小さくくしゃみをもらした。

 一面の山肌、そこにあつく積もる雪は、煩雑で煌びやかなニューアトランティス市街地とは全く別の世界のようだった。

 

 エントランスホールには真っ赤な絨毯が敷かれていた。ホテルは3階建ての吹き抜け構造になっておりカウンターの前には毛足の長いソファがずらりと並んでいた。置時計は十八時をさしている。落ち着いた雰囲気に馴染めず、あの調度品は売ったら幾らになるかなどと下らない戯言を交わしている元受刑者もいる。

 連絡を入れると、奥から年老いた夫妻がやって来た。杖をついた夫人がさっと身を折る。

「デアンハロップ・ホテルへようこそ。わたしどもは、この冬の間住み込みでホテルの管理を任されたものです。地下のスタッフルームにおりますので、御用があれば」

「こんにちは。今回はよろしくお願い致します。オーナーのご厚意に感謝します」

 管理人夫妻の挨拶に、チーフは握手で応えた。ゲレンデでの相次ぐ死体発見で風評被害が発生し、シーズン中にも関わらずこのスキー場は閉鎖を余儀なくされている。宿泊費はこちらが負担するから、何としても捜査協力したい――というのが、オーナーの意向らしい。

「気の抜けない旅でしょうが、ごゆっくりどうぞ。わたしどもは食事の用意をしております」

 ルームキーを渡し、夫妻は奥に引っ込んでいった。

 ロウ班には4つのスイートが与えられているらしい。部屋割りはセス&セオドア・クリス&レナードの1部屋、ヴァニタス・ジョーカー・アルベルト&アンデッドの1部屋、ルイーズ・サイの女性組、チーフの4部屋。これはセオドアにとっては僥倖だった。バディであるセス、刑務所からの知己であるレナードがついている。

 廊下には厚いカーペットが敷かれ、脇にシカの頭や大振りな斧が展示されている。部屋はスイートルーム。調度品もベッドもどれも一級品だったが、セオドアたちがそれを堪能する時間はあまりなかった。荷物を置いてすぐに通信が入り、荷物を置いたものからホールで夕食をと事づけられた。

 レストランも案の定客はいない。
「静かだな」
 セスが漏らす。煌びやかな内装に反して、すべての席が空いている光景は異様にも映った。

 夕食のメニューはサーモンのソテー、レモンとパンだった。付け合せにサラダとコーンスープが用意されている。

 セオドアは用意されたナイフとフォークを器用に扱い、サーモンの身を丁寧に切り分ける。アンデッドはそれを横目に見ながら、

「お上品だな」

 と茶々を入れた。セオドアは少し気まずそうに肩をすぼめる。かれが目をやれば、アンデッドやサイはさほど食事に口をつけていなかった。少食なのだろうか。

「……食事をしながら聞いて欲しい」

 賑やかな食卓の中で、チーフが切り出した。

「麻薬販売組織元締めからの情報、そして先日のクリスくんとレナードくんの尋問によって、ぼくらの目下の課題は『レツィンク』の正体を追う……というものに設定された。足取りを追ってここにやって来たけど、油断は禁物だ。 『ぼくらが情報を掴んだことを、向こうが知っている可能性』も考えなきゃいけない」

 アルベルトは大きな手でパンをちぎりながら、

「なんで急にそんなことを言うんだ?」

「……セントラルパークでの捜査中、犯人は一目見ただけでベルくんとギルバートくんが更生プログラム参加者だとわかったらしい。君たちを疑ってるわけじゃないけど、どこかから情報が流出しているかもしれない」

 彼は情報畑として、システム面でのデータ流出などを想定していたのだろう。だが、皆にはこう聞こえていた。長年汚職の蔓延る組織に所属し、闇社会と隣合わせに働いている警官。そしてこのチームの半分をしめる底辺を這いずってきた元受刑者。その中に一人ぐらい――レツィンク側について、現状のNAを破壊したい人間がいたっておかしくはない、と。

 その上ここはニューアトランティス市内とはいえ郊外。ロウ班メンバーにとってはアウェーだ。

「相手の正体と意図が読めない以上、いざと言う時の武力行使や警察権力はあてにできない。警戒を怠らず、頭を使って慎重に行こう……それがうちのチームのやり方だろ?」

 晩餐会の場は沈黙に包まれた。

「さあ、沢山食べよう! 今回の捜査は極寒の中だ。体力をつけないとな!」

 アルベルトはみなを気遣うように笑みを浮かべて、それぞれを鼓舞するのだった。

 

 

 夕食を終えると、既に二十時ごろになっていた。それぞれ就寝前の自由時間を気ままに過ごしていい、と言われる。

 レナード達は館内の巡回を任されたらしい。セスは不在だったため、セオドアは文庫本を開く。

 夜のしじまは、心地良い。セオドアは昔から繊細なたちで、他人の悪意や感情の機微を強く感じやすい人間だった。喧騒よりも静寂を好んだ。正直、人間と一緒にいるのは好きではない。そしてだからこそ、自分を『犯罪者』とみなして公平無私に接するセスや、同じく人心に聡いレナードとの空間はありがたいものだった。

 徐に、すみませーん、という可愛らしい声の後ノックの音が響いた。顔を出したのは、ヴァニタスとジョーカーだった。チョコレートの袋を持っている。

「どうぞ……! チョコレートです。セオドアさんもぜひ」

「ああ。ありがとうございます、ハックさん」

 セオドアは微笑んで、ヴァニタスからチョコレートを受け取る。読書のいいお供だろう。

「皆さんに配ってらっしゃるんですか?」

「はい! 寒い中の任務だし、皆元気が出ればいなって……! さっき、ドクターとクリスにも渡してきたんです」

 それぞれはチョコレートをついばみながらひかえめに照れ笑いする。ヴァニタスは同室であるジョーカーとも打ち解けているようだ。

 しかし、三人が談笑をはじめてしばらく経った頃だった。ばちんと音がして、セオドアの視界が急に黒に染まった――否、停電が起きたのだ。

「あれ? ブレーカーが落ちたんでしょうか……」

「どうなんスかね」
「ここを動かない方が良いでしょう」

 ヴァニタスが言い終わらないうちに、ドンドンと木扉が叩かれる音が聞こえた。

「おい!出てこい!」

 くぐもった声。ドアが軋む。ヴァニタスは怯えて半歩後ずさった。オレが出ますという小声の呟きを、セオドアが制した。

「……ここは私の部屋ですから。ど、どなたでしょう……!」

 次の瞬間。木扉がばきばきと鋭利な斧でたたき折られ、ひゅうと刃先が空を切った。直後、赤毛の男がぬっと顔を出し、

「貴様のバディだ」

「ひゃあああ!!」

 セオドアは悲鳴をあげて壁にすがりついた。ジョーカーはヒッと小さな呻きを漏らし、ヴァニタスに至ってはベッドの上に尻もちを着いている。

 セスは3人を睥睨し、貴様らの反応は全く理解不能といった口振りで続けた。

「出てこいと言っただろう」

「名乗って頂ければすぐに開けていました……」

「フン、まあいい。緊急事態だ。全員無事だな?廊下に出ろ」

 セスは3人を廊下に連れ出した。

 照明の落ちた廊下は真っ暗だった。集まっているのはセス、ルイーズとサイ、クリスとレナードだった。それぞれ懐中電灯を携えている。

 やがてぱちぱちと照明が復旧してから、セスが切り出した。

「率直に言う。先程、地下の部屋で管理人の遺体が発見された。管理人夫人は行方不明。チーフは停電のどさくさで左足を狙撃され、自前で手当して部屋に引きこもっている」

 隣で、ジョーカーがえっと声を漏らす。

「電話線は切断されていて、インターネットも繋がらず本部や麓に連絡できない。何とかできるか?」

 セスの言葉にヴァニタスはたじろいだ。ヴァニタスは愛用のノートパソコンを開き、キーボードを叩いては、沈んだ顔をしている。

「ええと……山だから元々通信状態が悪いのと、さっきからの吹雪で全く電波が入らないのとで、このホテルはスタンドアロン状態になってます……」

 セスは眦を釣り上げた。

「ホテルが立っていて何の問題があるんだ?説明しろ」

「はわわ……」

 詰め寄られ、ヴァニタスは冷や汗を滲ませる。セスは電子機器にすこぶる弱いのだった。不安顔のヴァニタスの隣に細身の女が寄り添った。

「大丈夫だよ」

「……うん。ありがとう、サイ……」

「おーい! 大丈夫そうか?」

 声とともに、暗い廊下の奥から懐中電灯の光が二つひらめく。アルベルトとアンデッドだ。アルベルトは頭と肩に粉雪をうっすら積もらせて、荒い息のまま切り出す。

「車庫の様子を見てきたんだけど……予想通りだ。車が燃やされていた」

「配線の方は問題ナシだが暖房が使えなくなった。電気はとりあえず予備電源で復旧したんだろうが、長くは持たねえだろうな」

 続く言葉に、クリスが皮肉を漏らす。

「まったくもって最高だな」

 誰もが理解していた。閉ざされた空間の中で停電、暖房もインターネットも使えない、車は燃やされ、管理人は死亡。間違いなく最悪の状況だと。

 ともあれ、これでロウ班のメンバーが全員集まった。アルベルトはみなを見回し切り出す。

「この状況だ、予定していた捜査はひとまず中止にしよう! 管理人はどこで亡くなっていたんだ?」

「地下の管理人室だ。俺とレナードが館を見回っている最中、階下からの異臭を確認しに行ったら見つけた」

 クリスが名乗り出る。

「じゃあ、第一発見者が犯人という線はないな」

「そんなに簡単に決めていいものかどうか」と傍らのセスが口を挟んだ。「先程内通者の存在が示唆されたばかりだ。貴様らの半分は凶悪犯、この中に管理人殺しがいるという可能性も十分にある」

 それを鼻で笑ったのはレナードだった。

「おいおい! 疑ってんのか? 考えすぎだぜ。オレたちは今となっては、世のため人のために戦うヒーローさ。誰も再犯なんかしない」

 隣でアルベルトが頷く。彼は堂々と、

「レナードの言う通りだ! 俺たちは警察官としてここに来た。ここには元犯罪者は5人いるが警官だって6人いる。皆で協力すれば解決できるだろう!」

 真っ直ぐな台詞ではあったが、切迫した状況においてその言葉は異様だ。瞳は何かに取り憑かれたような据わり方であった。

「それなら、俺達が一緒に地下の管理人室の検分を行う。異論はないな?」

 セスの言葉にみなが頷いた。ヴァニタスはおずおずと手を上げる。

「……俺、ホテルの通信手段が復旧できないか試したいです」

「わかった! じゃあヴァニタスとシュヒと俺はチーフの部屋で復旧を試そう! ジョーカー、ルイーズ、サイ、アンデッドは万が一に備えて食糧備蓄をチェックして、その後は待機して体力温存につとめてほしい。仕事が終わったらチーフの部屋に集合だ!」

 それぞれが頷いて、チームは解散した。

 

 セオドア達は、クリスたちの案内で地下室に向かった。部屋に一歩を踏み入れてすぐ、クリスは顔をしかめて口元を覆った。セオドアにもその理由がわかる。確かに何か臭いのだ。死臭とは違うむっとくる匂い。

 ベッドの上で死体が寝そべっている。外傷はなかった。周囲に血痕や着衣の乱れはなく、それどころか顔はサーモンピンク色で血色が良い。

 家具類は質素にまとまっていた。ベッドサイドテーブル、安そうなシンク、書き込みの残されたカレンダー。わずかな生活感はあるものの荒らされた形跡はない。変わったことといえば、隅に携帯発電機が置かれている程度だが、先程停電を経験した身としては大した異常とも思えなかった。セオドアは身をかがめ、目を細めて発電機を見る。

「いずれ検視にあてるならあまり現場を荒らさない方が良いだろう」

 セスの忠告をうけて、セオドアは立ち上がった。3人はただ部屋を見るのみにとどめて、ヴァニタスに監視カメラ映像をチェックしてもらおうということでまとまり部屋を出る。

 と、その時だった。金属がばちばちと打たれる音と共に、どこからか女の低い唸り声が聞こえてきた。

「……行方不明になっていた管理人夫人かもしれない。確認してくる。ここで待機していろ」

 セスは稲妻に打たれたように、その悲鳴の方へと向かって階段を駆け上っていった。

「セス……!」
 セオドアは呆然と声を漏らした。

 

 

 声を追って階段をかけのぼり1階へ到着。念の為銃を片手に、入り組んだ豪奢な廊下を巡る。角を曲がってエントランスにたどり着いてすぐ、人影を見つけたセスははっと立ち止まった。

 それは異様な光景だった。広いホールの中央に、老婆――管理人夫人がぽつねんと立って、杖に縋りながら立ち、奇声を上げていた。全身がぷるぷると震えている。

「ああああああああぁぁぁああああうあああああぁ」

「これは……?」

 夫人は明らかに正気でなかった。置時計が唸り、二十一時の鐘を鳴らす。

 低い不協和音をバックにしながら、夫人はゆっくりと首を回してこちらを見た。あうあうと呂律の回らない叫びを漏らした。そして、焦点の合わない目と覚束無い足取りでよたよたと迫ってきた。

 杖が振り下ろされる。セスにぶつかる!――そう予測した時、意図せずセスの前に影が立ち塞がった。
「っ、セオドア!」
 それは、着いてこないように言いつけたはずのセオドアの姿だった。

 杖に打たれ、鈍い痛みがセオドアの腕に訪れた。セスは反射的に銃を構えて夫人を見据える――だが、

「待て! 撃つな!」

 遅れてやってきたクリスの声だった。手早く老婆からステッキを奪い、拘束する。彼女はがくりとくずおれた。冬だというのに、老婆の風体はどう見ても薄着で、体のあちこちが雪に濡れている。肌は氷のようにつめたかった。

「完全にイカれてるな。そっちは大丈夫か?」

 壁にもたれかかって項垂れるセオドアを見て、セスはかぶりをふった。

「……本部の医務室並の手当は望めなくても、冷やすぐらいはしておきたいです」
「医療設備なら、チーフの部屋に一式揃ってるはずだぜ。足が悪いことに配慮して、部屋も1階すみにあるはずだ。早めに連れていった方がいい……この婆さんは意識が戻るまで暖かい所に連れて行ったほうがいいな。やけに薄着だし、このままじゃ凍え死んじまう」

「げ。それ、オレも手伝わなきゃダメか?」

「当たり前だ」

 力仕事を予感したレナードが笑う。そのやりとりをあとにして、セオドアはセスの肩を借りてチーフの部屋へ向かった。

 

 チーフの部屋では、彼にくわえ副チーフであるアルベルト・ヴァニタスがせめて通信設備を復旧させようと奮闘していた。怪我を見てアルベルトとヴァニタスは半狂乱だった。

 なんとか手当を施されてから、セオドアは呆然とベッドに座り込む。ふとその視界に見慣れた赤毛が入り込む。ベッドサイドにはバディが立っていた。セオドアは身を起こす。

「なぜ勝手に行動した」

「……セス」

「警察と行動を共にして何か勘違いしているようだが、貴様は多少訓練しただけの一般人にすぎない。自分の判断で戦闘の手助けをしようだなんて馬鹿げたことは考えるな。俺は優秀じゃないから、指示に背く人間の命の面倒まで見きれないぞ」

 セオドアにとっては、こんなホテルに不穏な状況の中で、セスだけを行かせる訳にはいかないという心配があった。実際、あそこでクリス達が駆けつけていなかったらどうなっていただろう。夫人はどうみても正気ではなかった。セスは夫人を殺していたかもしれないし、殺されていたかもしれない。

 しかし、口答えをする気は無い。彼の言葉はいつも正論だ。自分が独断先行で動いたことも反省していたし、説教ならしっかり聞く気でいる。ただセオドアは、ぽつりと漏らした。

「貴方が、死んでしまうのが、怖い……」

 まぎれもない本心だった。

「犯罪者の私が、被害者と遺族を生んだ私が、誰かに死んでほしくないだなんて言う資格がない。間違っているのは分かっているんです……それでも貴方が死んでしまうのは嫌だ。殉職の多い仕事であることも、貴方が警官として覚悟を持っていることも、分かってるんです」

 そっと目を伏せる。

「ただ、……お願いします……死なないでください。お願いします……」

 セオドアはそう言って、顔を覆った。

 だってセスのことが好きだから。バディとして以上に、愚かな恋をしているから。

「……殉職する覚悟があると分かった上でよく言えたな。俺は貴様が思っている以上に仕事に命をかけている。それなのに、よりにもよって犯罪者からそんなことを言われるなんてな。その考えは俺に対する侮辱だとは思わなかったのか?わざと言っているのなら見上げたものだが」

 冷たい目で見下ろされる。

「俺が求めているのは任務の遂行だ。死ぬ覚悟も死なせる覚悟も持てない甘ったれた人間は俺の隣に立つな」

 セオドアは、最初はセスを見上げて真面目に話を聞いていた。けれど彼の言葉が途切れた時、まるで何かが決壊したかのように、頬にあたたかい雫が伝うのがわかった。俯いて顔を覆う。人前で泣くなんて恥もいいところだけど、我慢できなかった。
「はい……ごめんなさい。…………分かりました」
 歯切れは悪いものの、返事をする。嗚咽の滲む言葉にセスは瞬きを一つした。

「貴様が何故そこまで俺に死んでほしくないのかは知らないが、俺たちはただのバディだ。それ以上でもそれ以下でもない。余計な感情は捨てろ」

 フン、とセスが鼻を鳴らす。
「もし本当に俺に死んで欲しくないのなら、それは俺のためではなくてただ自分が一人になりたくないから言ってるだけだろうが。ただのエゴに他人を巻き込むな。もし貴様のバディが俺以外の誰かでも、貴様はそいつに死んで欲しくないとほざくんだろうな」
 まぎれもない嘲笑だった。

 それからセスは、ふっと表情を消して、ベットの隅に座った。目線の高さが合ったことにどぎまぎする。

「一つ約束をしてくれないか?もし俺が行動不能になった場合、どんな状況であれ貴様は報告のために何がなんでも逃げろ。俺のことを庇おう、助けようだなんて馬鹿な真似は二度とするな」

 セスの身動ぎにあわせてベッドが軋んだ。青灰の瞳が、セオドアの魂を視線越しに射抜く。

「約束だぞ。俺のバディならこのくらい守れるよな、セオドア」

 ここぞとばかりに名前を呼ばれ、はっとして目を見開いた。

 セスはつづけた。こんな簡単なことにも従ってもらえないようであればそれは俺が自分のバディの手綱も握れない無能だっただけの話だ、と。その時は自分の力不足だったと上官に辞退を申し出ると。狡い。

「………はい。約束します、セス。必ず……」
 また泣きそうになったが、なんとか口を閉じて我慢した。

 セスの言葉の真意が汲み取れるからこそ、この約束は自分に対する信頼だと捉えられる。そして、その約束の内容が『バディを置いていく』なんてものだったことが、とても悔しい。そんな言葉聞きたくなかった。

 けれど、約束をしてくれるということは、まだ見捨てられていないことだ。わざわざ伝えはしないけど、この約束を守る使命感があるからこそ、守らないでいいように、どんな些細なことでも頑張りたい。それだけの覚悟がある。

「今回のことは一応礼を言う。ゆっくり休んで頭を冷やせ。……あと言っておくが、俺は覚悟があるだけでそう簡単に死ぬつもりは無い。あまり見くびるな」

 セオドアはこわごわと顔を上げた。正直、これ以上話をしたい気分ではない。けれど、これを伝えられるのは自分しかいないだろう。

「セス。隣の部屋にいらっしゃるハーヴァーさん、ハックさん、シュヒさんを呼んでいただけないでしょうか」

「……どういうつもりだ」

 怪訝そうなセスに、セオドアは切り出す。
「監視カメラの映像を見たいのです。先程の殺人事件と、奥さんの凶行。真相がわかるかもしれません」

 

 セオドアの懇願に、みなは素直に応じた。ヴァニタスの素早い手つきで監視カメラの映像をチェック。パソコンのモニターをテーブルにおいて、坐り込んだ。

 映像をざっと見渡すと、停電の影響か所々欠けや乱れがある。車庫など一部の映像は意図的に消去されているようだった。

 まずは管理人の映像。18時過ぎに夕食の用意を終えて、そのまま部屋に入り込む。その後沈黙が続き、早回しすると20時頃クリスとレナードが部屋に入ってくるのが見えた。次に夫人の足取りを追うと、同じく18時頃夕食の用意を終えて、その後電気設備の点検のために館を出て離れに向かい、数時間後エントランスに帰ってきたその足でセオドアたちと鉢合わせしたことが分かる。

 人為的なものでは無い。管理人は独りでに亡くなり、また正気を失っている。――セオドアの予想通りだった。かれは静かに切り出す。

「化学の知識と人体の構造には覚えがあります。さっき管理人さんのご遺体を調べましたが、立ち入った時にガスの匂いがしました。異様な血色の良さといい、一酸化炭素中毒での事故死でしょう」

「原因は老朽化した配管からのガス漏れとか?」

 チーフの問いに、セオドアは首を振って答えた。部屋の隅には携帯発電機があり、機体の説明には換気の良いところで使うようにと書いてあった。そんなものを狭い地下室で使用したため、排ガスが滞留し、一酸化炭素濃度が上昇して事故死に至ったのだろう。

「そして、奥さんの凶行は低体温症による精神異常でしょう。風雨に晒された後の奇声と矛盾脱衣……このような雪山登山ではよくある話です。ぼくたちが精神異常を起こさなかったのは、保温性の高いジャケットを着て屋内に残っていたこと、食事やハックさんが配っていたチョコレートで糖分補給していたこと……という要因が考えられます」

「あ……じゃ、じゃあ……殺人犯は、最初からどこにもいなかったってこと?」

「そうなります」

 ヴァニタスは脱力してベッドに座り込む。アルベルトはよかったと微笑んだ。

「わかった。ありがとう、セオドアくん……」

 しかし上官といえば落ち着かない様子のままだった。彼はしばし負傷した方の足をさすっていたが、やがて口をひらいた。
「……ぼくからお願いがある。この山荘での指揮権をセスくんとアルベルトくんに移譲したい」

「そうだな。シュヒは怪我をしているから、しばらくは安静にした方がいい」
「ごめんね、それもあるんだけど、まずぼくは正規の警察官じゃないんだ」

 シュヒはささやいた。その場が静まり返る。

「あ、袖章……」

 ヴァニタスが呟く。セオドアが目をやると、シュヒの制服にはリトートのそれとの差異があった。本来、左腕についているNAPDの袖章が見当たらないのだ。この目で確認したわけでもなかったのに、当然ついていると思いこんでいたから、すっかり見逃していたのだろう。それはつまり、

「ぼくは元死刑囚なんだ」

 黒い髪と白磁の肌に、柔和な表情は、存外よく似合っていた。いままでの険悪で高圧的な態度とは似てもつかない。
「罪状は?」

 セスの問いに、かれは淡々と答えた。

「それは話せない。上から箝口令を敷かれているから。でも、署に戻って調べれば記録が出てくると思う」

 話によれば、かれはスカウトされ5年間更生プログラムで働き、活動の成果がバディ・NAPDと法務局に認められて、現在は仮釈放猶予期間として後進の指導にあたっている身分らしい。

 セオドアは知っている。この更生プログラムは、『ごく最近始まった』ものだが、『一般から参加者を募って開催するのは今回が初めて』であることを。今期があるならば、前期が存在していてもおかしくはない。

「ええっと、きみの高圧的な態度がわざとというのはリトートから聞いていたが……」

「うん、ファインくんとアルベルトくんはそうだったね。ぼくとリトートさんは、色々なメンバーに対応できるようにと、皆を認めて前向きに受け入れる飴・友人役、強い言葉で発破をかけたり更生の度合いを試したりする鞭・敵役と、役割分担をしていた。いざと言う時リーダーについて行きたくないなんてことになっちゃまずいから、僕が後者を担当することになった」

 迂遠とはいえ、その選択は自然なものに思えた。

 声質や立ち居振る舞いのような外見から与える印象、それぞれの性格を鑑み、異なるアプローチで受刑者の信頼とやる気を引き出す。フェニックス班は更生意欲がない者メインで編成されており、前者は不良だらけのミドルスクールを束ねるように、まず彼らに心を開いてもらい罪悪感を芽生えさせるところから。ロウ班は更生意欲のあるジョーカーや模範囚だったサイなど、年齢が高く倫理観が出来上がっているだろう者を編成し、その価値観を作り替えることができるか圧力をかけ、社会復帰の上では避けられない非難の目に晒して、再犯しないか試していたのだろう。

 シュヒは自分の腿を掴む。

「でも、半分は演技でももう半分は本心なんだ。たまに恐ろしくなるんだよ。いつかぼくの心に悪意が芽生えて、誰かを裏切ったり、また誰かのことをめちゃめちゃに傷つけたりしたらどうしようって」

 その言葉をセオドア自身の立場に重ねて捉えた。そして、プログラムが始まってからずっと感じていた、彼の厭世的な雰囲気の根源が何だったのか、やっと掴んだ気がした。

 自分たちは法定刑を果たすべきだった。前科持ちがひと足早く自由の身になって、更に酷い事件を起こした例など探せばいくらでもある。だから、自分が誰のことも手にかけずにここまでやって来れたのは奇跡みたいなものだ。自分の本質はきっと、塀の中の凶悪犯と何も変わらない。

 セオドアは目を伏せたままでいたが、やがてぽつりと応えた。

「……かつて、同じようなことを、何度も何度も考えました」

 シュヒは小さくうなずいた。

 ――私たちがどれだけ更生に向き合っても、成果をあげたとしても、社会がそれを望んでいないんだとしたら。再犯のリスクがある人間を外に出さないことで、社会全体の不幸の総量を減らせるんだとしたら。

「一般市民や警官さんたちの安全に比べたら、再犯のリスクがつきまとう不発弾みたいな人間が『ありふれた幸福をふたたび継受する権利』なんて、遥かに傲慢でちっぽけなものにすぎない。存在自体が社会の害になりかねない人間は、誰ともかかわらずに一生檻の中で生きていた方が良い」

 シュヒの声音からは、普段の陰鬱さはすっかり取り払われていた。その穏やかな雰囲気はむしろ、幼子を諭す母親のようですらあった。

 かれはアルベルトたちの方を見た。

「アルベルトくん。きみはメンバーに慕われているし、事前準備期間の中ぼくが真っ当な警官であることをただひとり疑っていた。――これは、ぼくがきみを副チーフに推薦した理由でもある」

「あ、ああ」

 唐突に名前を呼ばれ、アルベルトが曖昧に頷く。

「そして、セスくんの元受刑者に対する姿勢ははっきりしてるよね。2人は十分経験を積んだ警察官で、怪我で動けない元死刑囚よりはよっぽど良い判断を下せるはず。だから君たちに、この山荘での指揮を任せたい。できる限り戦力を保って状況を打破するために」

 管理人の死亡原因は事故だったとしても、今も不穏な状況は続いている。誰かがシュヒを撃ったり電話線が切断されたり車が燃やされたりして、おまけに監視カメラの映像は意図的に消去されていた。

 セオドアは考えた。例えばセスがいなくなって、未来ある仲間を無事に導けと言われたとして、果たして自分は胸を張っていることができるだろうか?

 自分が有害な人間であること。セオドアは、自分が心を入れ替えたところで、死んだ人は帰って来ないことも、帰らぬ人を待ち続け遺族が悲しい人生を送ることも分かっている。そして自分の罪を誰かや何かに責任転嫁するようなことも、セオドア本人の倫理観は許さない。
 だから思った。犯罪者という烙印は消えないものだ。その烙印を背負ってどう生きていくか――すなわち『更生』ができるかどうかという答えを、このプログラム、はてはバディに賭けようと。

 シュヒはすっと目を細めた。

「セスくん、アルベルトくん、ヴァニタスくん。元受刑者(ぼくたち)のことを信用し過ぎてはだめだ。少なくともこのホテルの中では」

 セオドアは横目でセスを盗み見た。美しい朱色の髪の毛、色白のきつい顔立ち。渋い顔のまま微動だにしないかれに心で呼びかける。

 ねえセス。私たちはいつか、また道を踏み外して倫理を裏切ってしまうかもしれない。私はそれが恐ろしいのです。その時あわよくば、この穢れた手を取って、正気の側に引き戻してほしいから――。

 だからどうか、あなたは私を信じないで。そして信じないままで、隣で見守っていて。

 

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