フィンランドの教育制度ってほんまに凄いの?

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 教育は、国民が国に要求する重要な福祉のひとつだ。

 フィンランドは人口550万人に対してヨーロッパ最大級の国土面積をもち、ヨーロッパ内では人口密度が低い国の一つである。人口は国の南部の少数の都市に集中しており豊かな自然が広がっている。 そんなフィンランドの教育制度は世界的に認められており、経済開発協力機構(OECD)が行っている国際的な学習到達度調査(PISA)やOECD加盟国による共同研究プログラムでは、生徒の学力がたびたび上位に入っている。この国では教育が重視され、前向きな姿勢が取られている。

 では、そんなフィンランドと日本の教育にはどのような差異があるのだろう。学校教育を国際的に比較するのは難しいことだが、日本は何を学び取り、どこを改善していけばよいだろうか。

 

 フィンランドでは、義務教育は日本と同じように7歳から開始され、以降9年間続く。総合学校修了後は職業訓練校か高等学校に進学するのが一般的だ。フィンランドにはいくつかのポリテクカレッジ(応用科学大学。欧米では一般的)があり、実学的な内容を学んで学士をとることができる。約50パーセントの国民がこのポリテクに進学するという。またその上位教育機関として、より本質的な学問を学び修士をとれる14の国立大学および大学院がある。

 また、ホームスクールや通信制に対してフィンランドは寛容な姿勢をとっている。日本国民は「子に教育を受けさせる義務を負う」が、ともすればそれは「学校へ行かせる義務」と同一視されがちだ。日本では2016年度に教育機会確保法が成立したが、それは不登校児童への支援を目的とするものであり、子どもには依然として学校へ行く義務がある。この差には、フィンランド教育機関はほぼすべて国立か公立であり、偏差値が存在しないため、教育機関への信頼があると考察される。

 先進国として大まかな教育制度は似通っているが、日本は大学間で教育クオリティの差が激しいゆえの学歴主義ではなく学名主義・高校卒業から高等教育機関進学までのブランクが許容されない風潮・ポリテクカレッジが一般的でなく選択肢が狭い……など、画一的な構造がみてとれる。

 

 一方カリキュラム内容に目を当ててみると、二か所に大きな違いがみてとれる。

 一つは学校行事の少なさだ。フィンランドでは幼稚園から高校まで学校行事がとても少なく、日本では一般的な入学式、運動会、修学旅行、謝恩会などはない。このような行事では協調性・連帯感・責任感を学んで精神発達を奨励できるし、勉強が不得意な子供でも活躍して居場所を作ることができる。だがその行事のためには公立小学校でもたくさんの準備・出費が必要なので、貧困家庭や多忙な親、はては教師にも負担を強いる構造になっている。

 もう一つは道徳教育だ。フィンランドでは主体的な権利を行使する市民であることが期待され、宗教・あるいは多様な人生観の授業を通じて自己の価値観を内省する機会が多い。一方 日本では、特定の道徳を教えようとする傾向は2000年代初頭から始まっていたが、2018年度になって道徳は教科化された。日本の道徳教育は「履修させる」「考察させる」「理解を深めさせる」という使役動詞の形で「進んで義務を果たす」ものはあるが、自己の権利に関する内容を主体的に考えるものがない。形式主義的で、与えられたものを咀嚼していれば問題ないとされる内容であるため、自己の価値観を確立させる機会が少ないのだ。

 この道徳教育の差が色濃く反映されているのがいじめ問題への対応だ。フィンランドでもいじめは問題になっているが、いじめ対策は精神論ではなく、観察と研究に基づくこととして淡々と語られ、道徳的な問題としては扱われない。いじめは法的な問題であり、法に基づく処罰もありうることとして認識されている、

 一方、日本PTA全国評議会の『いじめ防止対策に関する保護者向けハンドブック』(2015年)では、解決策として「地域ぐるみでいじめをなくそう」などをあげているが、具体的にどう取り組むかの提案はない。岩竹(2019)は、このハンドブックは行政機関が親に指示するスタイルで書かれており、具体策・実証的な研究の文献や報告書の掲載もなく、主張の根拠が明らかにされていないと指摘している。

 教育制度の差異を振り返ると、日本の教育制度にはいくつかの問題点があることがわかる。ひとつは学名主義・高校卒業から高等教育機関進学までのブランクが許容されない風潮など、画一的な構造。もう一つは形式主義的な教育だ。

 こういった制度を現場レベルで改革できない理由の第一には、教師の待遇の差が大きいと思われる。フィンランドでも保育士1人当たりが見る園児の数が多いことや低賃金が問題になっているが、朝6時から夜8時まで働き、事務作業を持ち帰るということはこの国の常識ではありえない。部活・学校行事が少ないためクラスを受け持つ時間が少ないのだ。フィンランドでは教師の地位が高く、教員はみな教育に関する学士を持っているし、子供のなりたい職業1位にランクインするほどだ。

  日本では中学校教師の6割、小学校教師の3割が「過労死ライン」に達している。一日の勤務時間は平日1日あたり11時間半。部活の時間や会議が多いうえ、2008年の「脱ゆとり」指導要領改訂によって授業時間が増加。教員の時間外労働は法律などで限定されているが有名無実化している。また、日本の教員の給与は民間平均の八割ほどだ。2012年8月に教員を高度専門職として扱う方針が明言されたが、医者のように高度な自律性を認められた専門職ではないため立ち位置があいまいである。限られた財源の中で教育の質を上げるためには、まず教師の待遇をあげるべきだ。

 

 私は高校時代フィンランドへの留学経験があるが自由な校風であったことを覚えている。服装規定がないため生徒は私服、メイクやアクセサリーも可能。そんな自由な校風ながら居眠りしている生徒は一人もいなかった。一日の授業は四から五コマほどで、二十人ほどの少人数クラスでの指導だった。主体的に考える授業が多く、なぜ投票率が低いのか? というテーマを、お互いにとって母語でない英語で討論したこともある。ペーパーレスが徹底されており、ノートを持たない代わりにノートPCを一人一台持っていた。また教室の後方に立ち見席のようなものがあり、立って授業を受けることもできた。全体的に、日本の大学に近い雰囲気であった。

 フィンランドの教育を実体験したうえで、私は日本の教育は十分高水準だと思っている。ただ画一的で視野の狭い構造、形式主義的な日本的教育が問題になっている今必要なのは、何かを増やすことよりむしろ「日本の学校が負わされすぎている仕事を分担すること」だとではないだろうか。部活・学校行事などの廃止や外注化を進めることで、子供は学校というブラックボックスの外の世界を知ることができるし、現場の教員や親の過重労働も軽減できる。フィンランドの教育が凄いとよく聞く話だが、教育制度やカリキュラムばかりに目を向けず、あの国と日本における教職の地位待遇の差異について考えるべきだと思う。現場の教員に投資して十分な福祉を与えることこそが、巡り巡って子供や国民全体の福祉に繋がるのではないだろうか。

 

参考文献

岩竹美加子(2019)フィンランドの教育はなぜ世界一なのか 新潮新書

中野渉(2017)

過労死ライン、中学校教員の6割が基準越え 「脱ゆとり」で授業時間増加 | ハフポスト

フィンランド外務省コミュニケーション局(2017)This is finland

フィンランド外務省コミュニケーション局(2015)フィンランド基本情報

 

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