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【感想】偶然にも最悪な少年の萌え語り

 先日、グ・スーヨン著 ティーンエージャーヤケクソロードムービー・「偶然にも最悪な少年」を読み返した時の感想です。ネタバレを含むため未読者は閲覧注意。

偶然にも最悪な少年 (ハルキ文庫)

偶然にも最悪な少年 (ハルキ文庫)

 

あらすじ

日本人と在日朝鮮人の両方からイジメを受けている在日韓国人の男子中学生・ヒデノリは、自殺した姉・ナナコの死体を韓国まで運ぼうと、エキセントリックな女子高生・由美と渋谷のチーマー・タローさんを巻き込んで、車で東京から小倉、博多、下関へと向かう。しかし、行く先々でヒデノリは事件や騒動を起こし…。

偶然にも最悪な少年 - Wikipedia

 この作品に最初に出会ったのは、中学時代の図書室でした。まばゆいイエローのハードカバー、毒々しい響きのタイトルに心臓を刺され、ふと手に取ってみました。話や主人公の持つ、00年代前半作品らしく退廃的でスレてる雰囲気・退廃的で冷静な雰囲気に惹かれ、長らくタイトルを覚えていました。

 現実世界の雑踏の雰囲気、刹那的に必死に生きる少年少女と隣り合わせにある具象としての死、海を渡る逃避行へのあこがれ、社会通念には抗いきれない、かといって常識に縋りすぎると社会が与えた災厄に殺される(タローさん) 、軽い気持ちで女をキズもの(物理)にして軽々しく「一生責任取ります」っていう男女カップル。今でも好きな要素がほとんど詰め込まれていて、読めば読むほど愛情が募ります。

 カネシロや由美の全てを理解出来たとはとうてい思えないけれど、今主人公カネシロに対して感じていること、「彼ははたして壊れているのか」のいう思考をここに書きます。

 

 

カネシロヒデノリは壊れているのか?

 主人公カネシロヒデノリは、突き出されたナイフを素手で握り「壊れている」と評され、女子高生にコーラをぶちまけ「あんたおかしいんじゃないの!?」と激昂される。けれど本人は、「壊れてないすよ、壊したいだけ」と宣います。

 ではそもそも作中に出てくる「壊れた」とはどういう状態をさすのでしょう。

 アリストテレスが「人間は社会的動物」とも評したように、人間は社会を構築せずには生きていかれない。「壊れた」状態とは、社会から脱した状態≒他人と正常な関係を築けず、社会規範から逸脱した状態なのだと仮定します。

 カネシロは渋谷を中心にチーマーやシャブ中の友人とつるみ、家出もしばしば、万引きばかりしているスレた少年。不謹慎なムードを好み、実姉にも「あんたっていっつも失礼よね、昔から」と評される、「いい人」が大嫌いな不良少年です。

 カネシロは幼い頃から在日朝鮮人であることを理由にいじめられてきました。小学生のころに両親は離婚し、母親は姉を引き取り、現在カネシロは理屈っぽくて自己顕示欲の強い父親と生活しています。通う中学校でも他校(朝鮮中)相手にもいじめられてカーストは最底辺。つるむ不良にも実は愛想笑いで相手しており、唾を吐いてバカにしています。

 この点だけでみれば確かにカネシロヒデノリは壊れています。一般的な社会規範に適合できていないのですから。

 

 ここで壊れていると評される理由は、

・共感性に欠ける

・不謹慎を好み反社会的

この二つに分けられます。

 彼の人格形成は、「在日朝鮮人」というアイデンティティ、それが原因で受けたいじめ、それに対する親の対応に拠るところが大きいでしょう。彼の経歴と人格の関連について考えてみます。

 

共感性の低さ

 まずは前者、感情の希薄さと共感性の低さについて。

 カネシロは元々冷めた子供だったわけではないようです。家族を「お父さん、お母さん」と呼んでおり時折それが「オヤジ」に変わるところ、タローたちに幸福論の話を吹っかけるところなど、中学生らしい、年相応の幼さも見えてきます。

 幼いヒデノリはいじめられて泣かされて帰っており、本人も回想するように「ここで感情を抑える方法を覚えた」のです。そして母親に、「ホントのこと言われて、何がそんなに悲しいの?」「そんな奴らはぶっ飛ばしてやりなさい」と叱り飛ばされます。カネシロはそんな母をかっこいいと感じました。

 作中、中学生たちに暴行を受けるシーンがあるが、「痛いけど痛くない」「いじめられてるけどいじめられてない」と、カネシロは執拗に自分の感情を否定しようとしています。感情は報われない、余計なことで傷つきたくない、壊れたオモチャを抱えてメソメソするやつなんてちっとも面白くないと何度も強調しているのです。

 暴行を受ける中で、「こんなくだらないことで傷つかないやり方を覚えたから」とカネシロは呟きます。乖離状態でみずからの感情を否定することは、カネシロにとっていじめから心を守る手段でした。

 フラフラしてて危なっかしくて「家族なんてヤクザと同じ」と言い切り、いじめられて居場所がない中でも自分のルーツを「最終兵器」って大切に携えて、お姉ちゃんの亡骸を連れて韓国行こうとする皮肉な構図が胸に刺さります。

 

反社会的

 不謹慎さについても同じことが言えます。日本人にも韓国人にもなれず、排斥されどこにも居場所のないカネシロは、スレた価値観とあきらめを身につけざるをえませんでした。

 カネシロが善人を嫌うのは、彼らに「差別者」としての欺瞞性を感じているからです。佐々木先生に慰められていた時も「ボクのことを自分と同類だと思ってるからこんなことを言う」「偉そうにしてるくせに片手落ち」と感じている。自己顕示欲と虚栄を「見て見て病」と名付け、極端に嫌う彼は、悪意こそが人間の本性に近いと考えていたのでしょう。

 

歪みが壊れる瞬間

 このように、カネシロの人格と経歴はきれいにつながっています。壊れるべくして壊れた人間を、誰が責められるでしょう。「壊れている」というより、「歪んでいる」という表現のほうがより彼の本性に近いのです。

 歪んでいたカネシロは中盤から完全に、「イカレて」しまいます。

 カネシロは友人が痴話喧嘩で刺されたのを見て、「遂に血を見てしまいましたね。なにがなんだかわかんないけど、イッちゃってるのは確かだな」と評していました。

 その直後、膨らみ続けた『在日朝鮮人』としてのアイデンティティが、姉の死をきっかけに彼を下関へ走らせます。カネシロは幼少期に母親と離別していますが、姉ナナコとは気丈な姉が、在日韓国人であることに耐えられず、手首を切って自殺した。

 カネシロは道中、姉の死体を盗み出し、博多で人を刺し、小倉で強盗をはたらき、タローさんにも「もっと頭いいと思ってた」と呆れられるほどに、到底理屈に見合わない行動をとります。刺した相手にお辞儀をして「なんだか愉快になった」と言って、口答えしなかった父親の電話を切り、「やっちゃう(いじめに仕返しするために暴力を使う)ってどんなことかわかんなかったけど、今なら分かる」と宣う。この時点でタローら部外者と読者にとって、カネシロこそが「なにがなんだかわかんないけど、イッちゃってるのは確か」な存在になってしまうのです。

 

偶然にも最悪だった少年

 壊れてないすよ、壊したいけど。このセリフはずっと「カネシロが他人を壊したい」という意味なのだと思っていました。でもカネシロは、歪みきった自己の人格を完全に壊したいと渇望していたのではないでしょうか。

 序盤のカネシロヒデノリは、環境に苛まれて歪んでいました。その歪みからいろんなものを吐き出しながら、ぎりぎりのラインで人格を保っていたのです。その歪みが、突如もたらされた姉の死をきっかけに爆発したのです。

 正気と狂気は紙一重です。たとえば筆者が民族性を理由にいじめを受けず、苦しみゆえに感情を切り捨てずとも生きてこられたのは、運が良かったからにすぎません。差別の根付いた環境、離婚による家庭崩壊、姉の死。カネシロは偶然にも最悪な方向へ舵をきらざるを得なかった、壊れてしまった少年でした。

 

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