Lemonade #1 「Golden dreams」

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#1 「Golden dreams」
9月も終わり、更正プログラムの本格始動日。午後からのバディ発表を前に、ある受刑者は期待と不安を半々に抱えていた。

 すべて世はこともなし。そう言っていいほどに、今日のニューアトランティスはやけに穏やかだった。街路樹の葉はバターで薄く焼き上げたような淡い色に染まり、晴れやかな午後の日差しが人工芝の空き地に降り注いでいる。
 NAPD(ニューアトランティス市警)第二運動場、四方を建物に囲まれた運動場の中では、二十人ほどの男女が思い思いに寛いでいた。そのほとんどは制服を着込んだ警官で、マフラーに顔をうずめながら後輩と談笑するもの、休憩中をいいことに煙草をふかしているものもいる。
 ただただちらほらと、場に不似合いな、くだけた雰囲気の人間もいた。運動場の隅では、三人の男女が楓の木陰にこもっていた。「ミーティングまだあ? おれ、退屈で死にそ」へらへらと笑う黒髪の青年の隣で、黒人の少女が無表情でチョコバーを食んでいる。
 ジョーカー・リューはその集団のどちらに加わるでもなく、いつものようにぼんやり首をもたげながら、運動場の隅に座って空を眺めている。やや切れ長の瞳と彫りの浅い顔立ちが、彼の出自がアジア系であることを示していた。
 彼の眼前には白く清潔そうな本部棟がそびえ立っている。壁面に設置された大型サイネージでは、犯罪多発地域の注意喚起ムービーが流れていた。
 思想団体の勧誘に注意、最近自然公園で不審物が発見されていること、臓器ブローカーによる子供の誘拐が相次いでいるということ。大量に誘拐された子供たちは、船に積み込まれて中国へ売り飛ばされる。搾取されたり移植用臓器袋にされたり用途は様々だが、闇市場で取引されているのは確からしい。
 次に画面がぱっと切り替わり、ひときわ目立つフォントで『犯罪に注意!』というコピーが点滅しはじめた。
 「犯罪者に注意、って言われてもな……」
 画面上で点滅するコピーを見つめながら、ジョーカーはぽつりと声を漏らした。
 「掲示板が気になりますか、リューさん」
 「あ、セオドアさん……」
 ふいに名前を呼ばれ、ジョーカーは振り返る。セオドアと呼ばれた壮年の男性は淡い色の金髪を揺らして、端正な横顔に笑い皺を浮かべた。その温和な笑顔につられ、ジョーカーも微笑む。
 「ぼくたちにとっては皮肉ですね」
 セオドアがゆったりとした動作でジョーカーの隣に腰かける。賑やかな運動場の中で、彼の周囲にだけ静謐で落ち着いた空気が漂っているようだった。

 アメリカ・マンハッタン島。この土地は先の大戦で更地になった後、復興の願いをかけて古典ユートピア小説のタイトル――ニューアトランティスという名をつけられ、長い年月をかけて再び大都会へと返り咲いた。いまや理想郷、あらゆる夢がかなう街とまで呼ばれている。だが近年この街では、科学技術を悪用した犯罪が急激に増加し、警官の殉職も激増した。そこで対策人員の不足に悩むNAPDは、受刑囚と警官でバディを組んで事件解決にあたらせる更正プログラムを発足した。ここにいる十人の警官、十人の元受刑囚はその選抜メンバーである。セオドアとジョーカーもそのメンバーだった――元犯罪者としての。

 「一ヶ月いっぱいお勉強してきましたけど、今日からついにお仕事ですね。リューさんは、お昼ご飯はちゃんと食べましたか?」
 「ま、まあまあ食べました!デザートにチェリーパイとかあれば気分もよかったんスけど、あんまり贅沢は言えませんよね……」
 セオドアは目を細めた。
 「ふふ。じゃあ今日のお仕事をがんばった後、ご褒美に食べに行くのはどうですか? オフに楽しい予定を入れてモチベーションを保つのも大切ですからね。がんばりましょう」
 「オフのご褒美か……! はい。頑張ろう……あ、ですね!」
 セオドアに頷き返し、ジョーカーは一人ではにかんだ。

 やがて午後二時のアラームが鳴り、二人の意識を現実に引き戻す。その音を待ちかねていたかのように、ジャケットを着込んだ警官が本部棟から歩いてきた。ひとりはヒスパニック系の凛々しい身なりの男、もう一人は黒髪天然パーマの陰気な青年。このプログラムの上官であるリトートとシュヒだ。
 上官ふたりが運動場の奥を陣取ると、手狭な人工芝のあちこちでばらばらに寛いでいた男女がおもむろに集まってくる。ジョーカーもセオドアとともに集団に加わって、横目で周囲をちらと見やる。誰の表情にもどこか浮き立つような色が浮かんでいた。
 「レニーちゃん、髪をいじんないで。レナードくんもサングラスは外して、一応式典だ」
 シュヒのほうは細い身体を猫背に丸めて、蒼白な顔からのぞく黄色い瞳をぎろつかせている。一方注意された元受刑者たちは暖簾に腕押しのようで、笑み交じりの返事を返していた。
 「もーう。可愛い服着て可愛い髪型にしたらやる気も上がるんだから、ちょっとぐらい見逃してよねっ」
 全く意に介さない様子の部下を見てシュヒは無言でため息をついた。
 一方のリトートはネクタイを整え、二十人をしげしげと見回した。
 「さて、全員そろったな。まずは今期のプログラムに参加してくれてありがとう。このプログラムは、元受刑者が奉仕活動の一環として警官とともに事件解決にあたり、犯罪減少と更生をはかるものだ。こんな経緯で設立されたプログラムだから、NAPD内の俺たちは、ニューアトランティス市内で起こるさまざまな犯罪を担当する捨て身の始末屋と見なされている。もちろん俺は誰にも負傷も殉職もして欲しくないと思っている。だが決して楽な任務だけではないのは事実だ。こちらとしても当然それなりの対価を支払う」
 その話はもちろん知っている。プログラムを修了した暁には、警官には昇進とボーナス、元受刑者には早期釈放……らしい。ジョーカーは心の中でつぶやく。
 リトートは右腕を広げて雄弁に切り出す。
 「警官諸君。俺たちは様々な場で人生というものを学ぶ。ある者はママの腕の中で。ある者はハイスクールで。ある者はハーレムのうらぶれた路上で。そしてある者は刑務所で。俺たちがバディと過ごす時間は、彼らが人生を学びなおす時間だ。警官の俺たちも、違う人生を生きてきた人間と交流することで初めて見えてくることもあるだろう。市民を守る立場として、叱咤するでも支えるでも、全力で向き合っていってほしい」
 それから彼は、少し声のトーンを落とした。
 「そして、かつて道を違えた君たちへ。法を犯し、これまで関わってきた誰かを加害したという事実を実感してほしい。そうすることで、君たちははじめて自分の罪と置かれた立場を自覚できる。罪の自覚がないままプログラムに参加したところで、更生はおろか『無理やり警官に従わされている』という屈辱しか残らないだろう。そしてすでに贖罪の意志が芽生えているものは誠実に反省し、与えられた任務をこなしてつぐないを果たせばいい。二度と同じ過ちを犯してはならない。次は君たちが、人々を犯罪から守ってやる番だ。――生き方を改めるのは難しい」
 リトートは言葉を切った。そして全員の方を向き、笑みを作る。
 「茨の道へようこそ。歓迎しよう」
 そしてリトートは咳ばらいを一つした。
 「それじゃあ最後にお待ちかね、チームとバディの発表にうつろう。このプログラムでは10ペアを組み、二つの班に分かれてもらう。俺直属のフェニックス班には主に新人警官が集められている。逆に、シュヒ直属のロウ班はベテラン警官、後方支援技能に秀でているものが配属されている。まずは俺のチームからメンバーを発表しよう」
 その声に、周囲が固唾を飲んだ。
 「ベル=ソニアの担当は、ギルバート・ヴァレンティノ」
 最初に呼ばれた青年ペアは、名前を呼ばれた瞬間あからさまに身を固まらせた。
 「カイル・ベネットの担当は、レオナルド・E・アンブローズ。スタンリー・ヴィシネフスカヤ担当は、グレイ・I・ジンジャーブレッド」
 名前を呼ばれたらしい、顔に火傷跡のある青年と可愛らしい金髪の受刑者がわずかに目配せした。グレイと呼ばれた細身の青年は興味なさげにそっぽを向く。
 「 ガティ・ジルスタの担当はウェンズデー」
 ガティと呼ばれた女性警官は、自分のバディに緊張まじりの視線を送っている。
 「ファイン・M・アネモネ担当はランディ・パーカー。アネモネにはうちのチームの副チーフも兼任してもらう。フェニックス班、以上10名」
 口輪を嵌められた青年があからさまに舌打ちをする。アネモネはそれを一瞥しただけで微動だにしなかった。
 名前を呼び終わったリトートは自分のぶんのタブレットを軽く叩いて、シュヒに目配せした。色白な彼はため息をついて、やや上ずった一本調子で名簿を読み上げていく。
 「……次は僕の班だね。ヴァニタス・ハックくんとサイちゃん」
 「ふふ」
 名前を聞き、メイド服の女が薄く笑みを浮かべた。
 「クリス・ラドフォードくんとレナード・レインくん。アルベルト・ハーヴァーとアンデッドくん」
 「はあ!? おいふざけんな!」
 「ちょっと。静かにしてよね」
 受刑者の一人が怒声を上げたが、シュヒはそれを鋭く睨みつけて続きを読み上げる。
 「セス・ランドルフくん、セオドア・ジェンキンスくん――そして、ルイーズ・ロレンスちゃんとジョーカー・リューくん。以上10人。という訳で頑張ってね、新入りの皆」
 バディ発表が終わると、それぞれのチームごとに固まってミーティングをするように指示され、ジョーカーたちロウ班は楓の木の木陰に移動した。
 メンバーを見渡すと、義足の目立つ子供のような姿の囚人、メイド服姿の女、サングラスを手に暇そうに佇む色男――あれは確か元テレビ・スターじゃなかったか――とさまざまだ。フェニックス班は更生の意志などかけらもなさそうなメンバーばかりだったが、ジョーカーの配属されたロウ班は心なしか更生に前向きな人が多いように感じる。そういえばセオドアも同じチームだったと考えて、かれはひそかに安堵した。
 特に、自分のバディがルイーズでよかったと思う。彼女の名前が呼ばれた時、ジョーカーは自分の心臓がどくんと跳ねるのを感じた。彼女は少し離れたところで同僚と世間話をしていたが、ジョーカーは視線に気づいて手を振った。長いまつ毛に縁どられた大きい瞳、つややかな赤毛、気高い顔立ち、全身に満ちる聡明なかがやき。ジョーカーはぺこりと頷きを返しつつ、少しどぎまぎした。
 ……ただチーフはどうなのだろう? 運動場のほうに目をやると、シュヒが老人のように足を引き摺りながらよたよたと歩いてくるのが見えた。少しの時間を掛け、チームメンバーに追いついた彼はしかめ面で切り出す。
 「……改めて自己紹介しておくけどぼくはシュヒ・ロウ、こっちのチームのチーフ。うちの副チーフはアルベルト・ハーヴァーくんに任せることにしたから。いいね?」
 いきなり名前を呼ばれた青年のもとに視線が集まる。アルベルトは、豆鉄砲を食らったような鳩のような表情を浮かべていた。
 「もちろん、皆の任務を手伝うつもりだ! だが、俺を選んだ理由を聞いてもいいか?」
 「はっ、そのくらい自分で考えてよ。準備期間に『きみよりプログラムに熱意を持って参加してると自負している』って宣言してきたこと、忘れたの? 上官様に向かって偉そうに大口を叩いたからには、当然責任ある役職で結果を出せるんだよね?」
 シュヒはため息をついてから、やれやれといった表情で応える。アルベルトは数秒訝しげにしていたが、すぐに「ああ、望むところだ! 副チーフとして任務を手伝おう!」と答えた。
 準備期間から見ていたが、前向きな態度のリトートにくらべシュヒは犯罪者を毛嫌いするような振る舞いをする。頭悪い、馬鹿げてる、信頼できない。そう言いながら元受刑者たちを適当に躱し、睨めつけ、反抗すれば刑務所に戻すと恫喝する。多少の誹謗は気にせず、陰で部下に嫌われようがどうでもよさそうだ。もちろん犯罪者を甘やかす必要などないのだが、彼には立場がある。これでは更正プログラムの上官でありながら元受刑者達に期待していないようなものだ。前科者だからこういう扱いも当然だ、と軽蔑しているのだろうか。
 ジョーカーの視線に気づいたのか、シュヒの黄色い瞳と視線がかち合った。やせぎすの上官はジョーカーの顔を覗き込み、とぼとぼと近づいてきた。開口一番平坦な調子で、
 「……そういえば君とは話したことなかったね。きみがジョーカーくん?」
 「は、はい……ジョーカー・リュー……です……」
 ジョーカーは半歩後ずさりつつ、せめて失礼のないようにしなければ、とびくつきながら返事をする。案の定シュヒは片頬を上げて嘲笑を作った。
 「聞いたよ、必ず更生してここから出るって粋がってるんだって? 無理無理。一度大失敗して投獄された人間のくせに、どの面下げて自信満々に語ってるの。どうせまた失敗して皆に迷惑をかけて自分を責めるんだから、早くやめればいいのに……『どんなに失敗してもやり直せる』っていうのは本来まじめに努力してきた人のための言葉だ。君みたいに自堕落な生活を送って他人を傷つけてきて、その報いが跳ね返ってきて収監されてから改心しますなんて言っても、傷つけられた人間がはいそうですかって満足するわけないんだよ」
 「そ、それは」
 「ジョーカーくんは、どうして更生プログラムに来たの?」
 ジョーカーは表情を引きつらせて言い淀む。
 強盗致死傷罪。それが、彼の背負う罪名だった。
 いくら理想郷と称されるニューアトランティスでも差別の目はなくならない。アジア系のマイノリティとして生まれたジョーカーは、偏見に立ち向かうために暴力をふるってばかりいた。それをきっかけにはぐれ者が集う犯罪者集団に流れ着き、小さな窃盗を繰り返した末、行き着いた先が強盗殺人犯だったのだ。
 だが彼はたどたどしくも、しかしはっきりと切り出す。
 「……どれだけ更生の意志を固めていようが、俺は世間的には自分はただの犯罪者、じゃないスか。だから俺は、保証が欲しかった……自分はこれからまた真っ当に生きていけるって、自信をもって言える証が。更生するためのプログラムを無事通過して花丸貰えたら、さすがに世間も認めてくれるんじゃないかって」
 だがシュヒはその言葉を鼻で笑った。
 「はっ! そうだね、確かにこのプログラムに参加すれば立場は変わる。でも、きみ自身の根底は変われるの? プログラムで言われたことだけやって通過して上辺だけ反省してればそのまま釈放、なんて甘いこと思ってないよね。変わらなければ何を失うのか。変わるためには何が必要なのか……ちゃんと分かってる? それができない限り、真っ当に生きていける証なんて手にできないし、誰も認めてくれないよ」
 にべもない。そしてシュヒは軽蔑をあらわにして吐き捨てる。
 「もう言葉に詰まっちゃってるね。ああ……アジア系だから英語が苦手なのかな?」
 「あ゛!?」
 ジョーカーは反射的に上官の胸倉をつかみあげた。細い体は簡単に浮き上がる。彼は口か鼻の中を切ったらしく、血を垂れ流していた。白い顎に鮮血のあとを這わせながらも、シュヒの瞳はこちら側を睨みつけたままでいる。
 「アンタ腐っても更生を手伝う上官だろ、言っていいことと悪いことがあんだろ。このレイシストが! 仲間怒らせて楽しいかよ!」
 腹の底から声を張り上げた。周囲の人間は怪訝そうに二人を窺っている。その背後でセオドアはあたふたと不安げにしており、アルベルトはしきりに彼の名前を呼んでいた。
 ――よく考えろジョーカー! 自分はこいつを殴ることも蹴り殺すこともできるだろう、でも殴っちゃだめだ。せっかく得たチャンスをふいにしてすべての立場を失い刑務所に逆戻りだ。せまい独房で、また『あの時怒らなければ、軽率に行動しなければ』って悔やむことになる!
 分かってるんだよ! ジョーカーは内心で吠えた。それでも、こいつに一発食らわせなければ気が済まない。腕がわなわなと震えた。
 そこに割って入ったのは、女性の声だった。
 「――ジョーカー。君のクールなところ、私たちに見せて」
 張りのあるセクシーな声音。
 ルイーズのセリフでジョーカーは、上官の視線が自分の背中越しの何かを見つめていることにはじめて気づいた。その視線を追って振り返ると、本部棟二階の窓からスーツを着込んだ壮年の男女が自分たちをうかがっているのが見えた。
 上層部に試されている。
 「……っ、……すいません!」
 ジョーカーははっとして手を放した。
 いきなり襟から手を離された上官は勢い余って芝生に尻もちをつき、楓の木の幹に後頭部を打ち付けた。彼は何度かえづいて、頭を押さえてふらつきながら立ち上がり、涙目でジョーカーを睨みつける。
 「ふん……更生が聞いて呆れるね。さっきは僕が相手だったし手を出してないからいいけど、これから無関係な市民を殴らないって保証がどこにあるの。次こんなことしたら即消えてもらうから!」
 ジョーカーは大柄な体をきゅうと縮こまらせた。叱責がいたたまれずふいに視線を落とすと、古びてあちこちよれて窮屈なスニーカーが目に入った。そのぼろぼろの靴が自分と重なって、なんだか言いようのない羞恥で潰れそうだった。
 「ほら、シャキッとしなさい。私のバディに選ばれたからには、胸を張ってまっすぐ前を向いて。俯いていてはどうにもならないさ」
 「あ……そうっすね。ありがとう、ございます」
 ルイーズの吐息が耳朶にかかる。ジョーカーはルイーズのほうを見下ろして、口元にわずかな笑みを浮かべた。
  そしてルイーズはシュヒに向かって、
 「ジョーカー・リューの更生は私が責任を持って面倒を見ます。無闇に責め立てても人は変われない。あまりきつい言葉を使わないでください」
 「……はあ。どこかの受刑者のせいで調子が狂ったけど、続けます。今日の任務だけど、うちのチームはミッドタウン東地区の犯罪多発地帯のパトロールをしてもらおうと思う。現場での動きは各バディに任せます。ぼくはNAPD本部に残ってみんなの動きをモニタリングしてるから、何か起こればすぐに連絡して」
 「待ってくれ。シュヒは同行しないのか? チーフなのに?」
 アルベルトの質問に、シュヒは左手を握りしめてむっと眉を詰めた。
 「……行きません。犯罪者どもの集まりに成果が出せるわけないからね、着いて行くだけ無駄。じゃ、とっとと行ってらっしゃい」
 シュヒは悪意の見え透いた口調で告げ、ぷいときびすを返した。足を引き摺って本部棟に戻る背中を遠目に見ながら、同チームの赤髪の警官が口を開く。
 「ミッドタウンのパトロールか。手慣らし任務としては悪くない判断だ。まだ更生プログラムも序盤だからな、万一任務中に貴様ら犯罪者が脱走や犯罪を図っても、NAPD本部近郊ならすぐ対応できる」
 厳格そうな彼は灰色の瞳を瞬かせて、自分のバディを一瞥し、
 「先月の準備期間、貴様ら犯罪者に警官同伴での外出許可が降りていたのは何も開放感を与えて甘やかすためではない。俺たちが守る街の現在の治安と地理を把握するためだ。気を抜くな」
 一方副チーフを命じられたアルベルトはというと、支給品のスマートフォンを開き、地図を表示してパトロールのルートを検討していた。ミッドタウンの地図のあちこちに犯罪多発地域のアイコンが掲載されている。アルベルトの携帯画面を覗き込みながら、警官のひとりが、
 「アルベルト。レナードは戦闘が不得手だというから、オレたちは車でパトロールしてもいいか?」
 「もちろん構わない! でもあんまり道草食うなよ? それじゃあクリスたちは車でパトロール。徒歩組の俺たちとルイーズは42番通りから北の工場跡、ヴァニタスとセスのペアは南の繁華街を担当することにしよう!初日だから無理しないようにな」
 「了解。警戒していこう」
 ルイーズの言葉に頷いて、チームは散開する。ジョーカーはメンバーの後についてNAPDをあとにした。
 仰々しいゲートを抜けると、一筋の風がジョーカーの頬を撫でた。秋晴れを背にして立ち並ぶビル街と喧騒がふたりを迎え入れる。普段見慣れた子供のレモネードの屋台は今日は休んでいるらしかった。
 刑務所とは違う開放的な世界。バディという首輪付きで放たれた外の風景を見て、ジョーカーは緊張をあらたにした。

 ミッドタウン北側の路地は静まり返っていた。近くに住宅はなく、倉庫と廃工場以外の建物は見当たらない。工場跡からは木材チップのハムスターのケージのようなにおいが立ち込めていた。街角のラックが倒され、黴びた観光パンフレットが道に散乱しており、道路のタイルの合間を縫って蔦や雑草がうっそうと茂っている。
 ルイーズはそれらに目もくれず、軽やかな靴音を響かせながら歩く。ジョーカーもそれに並んでいた。
 「あっ、足元に気を付けてください」
 「ありがとう、ジョーカー」
 ルイーズが顔を上げて微笑みかけた。
 「このあたり、昔は下町の工場が立ち並ぶ地区だったんだけど、大手メーカーの台頭で工場が軒並み潰れちゃってね。今は見ての通り廃屋が立ち並んでいる。その空き家にギャングや浮浪者が住みついて犯罪多発地帯になっているんだ。日中はトラックがたくさん通るけど、こうやって日が落ちかけてくると人気がなくなる」
 「そうなんスね……」
 そういえば昔のやんちゃな友人もここで遊んでいた気がする、とジョーカーは記憶を辿った。不良のたまり場になっているのは事実らしく、あちこちの壁一面にラッカースプレーでグラフィティが描かれている。
 「あの……さっき、すいませんでした。バディ発表の直後だったのに、あんなに怒って取り乱しちゃって」
 「ああ」
 ルイーズは僅かに口元を綻ばせた。赤いリップの塗られた唇が半円を作る。
 「さっきのやり取りには驚いたけど、あんな言い方をされたら怒るのも当然だ。むしろ、今までみたいに怒りに任せて相手に暴力を振るうことにならなくてよかったと思ってる。ジョーカー、君は昔の出来事から生き方に迷ってしまったけど、過去の自分を反省し、罪を悔い、更生に前向きでいる姿勢を持ってる。私は君を応援するし、導いて行きたい。その気持ちは変わらないよ」
 「……ありがとう、ございます」
 「更生は長い道のりだ。さっきみたいに、君を蔑んだり恐れたりする人間もたくさんいるだろう」
 そこでルイーズは足を止めた。彼女はジョーカーの左胸にそっと手を添え、
 「でも、これからの人生で大事なのは君の意志なんだよ、ジョーカー。君のハートはどうしたいって言ってる?」

 「――俺は……」
 ルイーズの掌に触れられて、ジョーカーはふっと全身の力がぬけるような気がした。
 考えてみれば、今日は朝からずっと神経が張り詰めていたような気がする。セオドアももしかしたら、ジョーカーの様子を見かねて、緊張をほぐそうと話しかけてくれたのかもしれない。
 次の瞬間、穏やかな時間を千切るように、甲高い悲鳴が二人の耳をつんざいた。
 「だれか……!」
 工場のどこかから女児の声が聞こえる。とてとてと小さな足音が通り過ぎていった直後に、今度は数人の足音が聞こえた。
 「なんだ!? 今の声は……」
 「あっ……そういえば、本部棟の電光掲示板で誘拐事件について注意喚起されてました! ブローカーが子供を誘拐して、臓器を移植用に売りさばいてるとか……確かこの地区も犯罪多発地域なんスよね?」
 ジョーカーはミーティング開始前に本部で見た情報を伝えた。ルイーズは頷きを返し、
 「そうだ。あの子がブローカーに狙われてるならあまり時間がないな……杞憂ならそれでいい。向かおう」
 「はい!」
 二人は走るというより駆け抜けると形容したほうが近い速度で道を駆け抜け始めた。



 何かが崩落するような轟音ののち、ウェアラブルバイスから警報アラームが鳴り響く。アルベルトが慌てて振り向くと、遠くに霞んで見える旋盤工場からもくもくと黒い煙があがっているのが見えた。デバイスの生体反応を確認すると、ルイーズとジョーカーのバディが何かの事件に巻き込まれていることがわかる。
 「なっ……⁉ ルイーズとジョーカーが危ない。旋盤工場に向かうぞ!」
 アルベルトは焦りをあらわにして、街灯のそばに座り込んでさぼっていたバディを抱え上げる。少年のような姿の彼は大声で暴れながら、
 「なんだよ、あの女ならでけえのがついてんだから何とかやるだろ!」
 「何かあってからでは遅いからな! ええと、クリスがパトカー出してたはずだからそっちにも連絡しておくか……」
 「うるせえ、俺は休憩中なんだよ! おまわりさーんコイツ誘拐犯です!」
 「はは、残念だが俺がお巡りさんだ! 行くぞ!」

 叫び声を追って走っていたルイーズは、廃屋の合間の細道に入ろうとした足を止める。うらぶれた細道の突き当りに立っていたのは筋骨隆々の男だった。漆黒の肌にコーンロウ。男は顔を上げ、ぎらついた目で彼女を見やった。
 目を引いたのは彼の足元だった。返り血に染め上げられていたのだ。路地の突き当り――即ち男の傍らでは、金髪の女の子がくずおれて血溜まりを作り上げていた。
 「お、ねえさ……た、すけ」
 ルイーズに縋るような視線を向ける女児を、男が乱雑に蹴り飛ばした。女児は力ない悲鳴を上げて転がる。
 「NAPDだ。今すぐその子を解放しなさい」
 張りつめた空気の中、ルイーズは銃を構えて男と相対し、反応を伺っている。
 血の鉄臭い匂い。肉がナイフに擦れる不快な音程。早鐘を打つ相手と自分の心臓。純粋な赤ではなく黒みの混ざった朱。酸鼻きわまる暴力が、今まさに目の前で展開されていた。
 「てめえ、ポリ公か!?ああ、でも女ひとりかよ……」
 男はゆっくりとナイフをルイーズに向けてつきだした。ごつい装飾付きのジャックナイフ。その刃が、何かの光を反射したのか、ゆらりと怪しげに光った。すかさずルイーズは叫ぶ。
 「ジョーカー! 今だ!」
 「はい!」

 ――確かあの路地は行き止まりだ。二手に分かれて挟み撃ちにして追い詰めよう。私は表からまわって男の気を引く。ジョーカー、君は身体能力を生かして工場跡の屋根から通路に回り込んで女の子を保護して。
 ――わかりました。……でも、……本当にうまくいくんスか。俺は、自信が……。
 ――大丈夫。幸運の女神様ならここについてるだろう?
 先ほどのルイーズの台詞を反芻しつつ、屋根から階下をながめながら、ジョーカーは自分の意思のすべてを思い出していた。
 巷の人間は、「どんな生まれでも努力すれば幸せになれる」という。でも、マイノリティの貧しい家庭に生まれれば、アジア系だから、学がないからと軽蔑されることが多い。こちらがいくら仲良くなろうと思っていても、言葉を尽くして何を主張しても、そんなヤツらがジョーカーの考えを真に理解し共感してくれることはなかった。それどころか無視や侮蔑が返ってくることさえあった。そして社会に出てもアジア系とわかれば雇用してもらえない。教育にも職にも恵まれず犯罪者になったらもうそこから抜け出せない。最終地点は暴力だ。ジョーカーは「ニューアトランティス出身の人間ではない、危険な犯罪者予備軍」だから、暴力という鎧を纏わないと簡単に傷つけられる。どれほど耐えても、訴えても、傷つけられる。
 だからジョーカーはとにかく強くなって、自由を手にしたかった。それは嘘じゃない。――ただ、自由などどこにもなかった。彼は、他人に傷つけられないだけの強さを手にしても、他人を傷つけないほどの強さは手に入れられなかったのだ。手に入れた力で犯罪をはたらき、遂には殺人罪を言い渡された。
 それでも、とバディのことを思い出す。
 ルイーズさん。俺の枷であり、俺の命綱。彼女の善性を前にすると、「また犯罪者に逆戻りする」という前提を想像するだけで背筋が寒くなる。俺は他人を壊すために強くなったわけじゃなかった、みんなと対等になりたかったはずなんだと、幼いころの心を思い出す。
 『君のハートはどうしたいって言ってる?』。さっきは答えられなかった、でも今なら言える。もう迷わない!
 ――俺は、変わりたい!
 握りしめた拳が、のどが、震えた。それでもリューは強く男を睨みつける。その瞳は明快に澄み切っていた。
 「ジョーカー、今だ!」
 「はい!」
 ルイーズの合図に合わせ、ジョーカーは工場の屋根から飛び降りた。制服が風にひらめく。素早い身のこなしで女児の隣に降り立ち、大柄な体を盾のようにして立ち塞がる。
 「――助けに来たよ」
 「なっ……」
 後ろから響く声にあっけにとられ、振り返った男の足を、ルイーズの銃弾が掠める。男は激痛に顔をしかめた。
 「くそっ、どけクソアマ!」
 「させないよ」
 突き飛ばそうとして伸ばされた腕を、ルイーズはつかんだ。そしてぐいと引っ張り、重心移動を利用して男を地面にたたきつける。確認するまでもなく、男はそれでノックアウトされた。
 解放されたらしい女児は、おびえて泣きながら二人にしがみついた。
ルイーズは、腕から血を流してしゃくりあげる子供の頭を撫でて止血してやりながら、ジョーカーに微笑みかける。
 「よくやったね。君の気持ち、ちゃんと届いたよ」

 「あのねぇ……今回は運と機転が良かったから子供もきみらも無事だったけど、判断が間に合わず怪我でもしたらどうするつもりだったの! 軽率な行動は控えてよ!」
 女児を誘拐しようとしていた男はジョーカーとアルベルトたちに捕縛され、クリスの運転するパトカーで回収されていった。
 だが、そうして本部に戻ったメンバーを迎えたのはシュヒの大目玉だった。
 「なるほど! シュヒはそう思うんだな。それでも結果は出した。初めてのパトロールで、以前から問題になっていた誘拐犯を捕縛したんだ! これは彼らを信用するきっかけにはならないか? なあ、ルイーズ」
 アルベルトはそう言って、ルイーズたちを見やる。ジョーカーはおずおずと口を開いた。
 「……俺の考えが正しいかどうか、これから本当に更生できるかは、人生を賭けて証明します。善意と良心と、勇気をもって」
 「ぐっ……」
 シュヒはしばしの間、薄い唇をぎりぎりと噛みしめていたが、それから糸が切れたようにふうと一息をついた。ジョーカーを上目遣いに睨みつけながら、
 「……まあ、確かに…………侮ってた。……よくできました。今後もこの調子で励んでください。じゃあ今日は解散。反省点をまとめて明日の朝提出してよね」
 やや気まずそうに言い捨てて、シュヒはすごすごと本部棟に帰っていった。
 取り残されたジョーカーの隣に、ルイーズがそっと寄り添う。彼女が鮮やかな赤毛をかきあげると、ジャケットがずり落ちて白い肌に残る傷痕があらわになる。それすらもジョーカーにはまぶしかった。
 「お疲れ様。クールだったよ」
 その言葉に、ジョーカーはじわじわと頬が紅潮していくことに気づいた。
 もうとっくの昔に気づいていた。彼女と一緒にいるとき、自分の心はさわやかで甘酸っぱい何かに満たされていく。これまでにないほど凪いで、穏やかになっているのがわかる。
 ――ルイーズさんが好きだ。無事にプログラムを終えて、真っ当な自分になって、そしたらルイーズさんに好きって言いたい。
 照れくさいながらも帰り道の一歩を踏み出そうとして、ジョーカーはふと足元に違和感を覚えた。
 「……あ」
 スニーカーの裏地が丸ごと剥げかけている。そこでジョーカーは、ミーティングの時点でスニーカーがぼろぼろだったことを思い出した。もともと履き古しだったのを、さっきの肉弾戦で完全にダメにしてしまったのだろう。
 新しい靴は支給してもらえるのだろうか? 買いに行くにしても、更生プログラムで想定されているような激しい運動に耐えうるメーカーなどわからない。そこまで考えてジョーカーは、オフの日の同伴外出で服を見繕ってもらっている仲間のことをふと思い出した。
 ジョーカーはふとルイーズを見上げ、頬を紅潮させたまま問うた。
 「あの、ルイーズさん……よければ今度のオフ、新しい靴選びに付き合って貰えませんか……?」
 「もちろん。いつでも付き合うさ」
 ルイーズが微笑む。ジョーカーもつられて笑った。
 彼には密やかな夢があった。ムショから出たら自分には帰る家がある、その有難みを忘れてはいない。父さんと母さんに謝って、昔みたいにお腹いっぱいチェリーパイを食べたい。それに新しく、ルイーズとの未来の夢が加わった。
 そんなふたりの初々しい後ろ姿を、ニューアトランティスの夕日が照らし出している。

 「ああ、セオドアさん、お疲れ様っス。……うまくいきました、えへへ」
 「今日、オフに楽しい予定を入れるのも大事って、言ってくれましたよね」
 「……楽しんできます!」



→2話
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