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眠れない夜は眠らない僕と

犬謎二次創作SS『痛くて惨めで甘やかな』

高坂悠壱さんより、『犬も歩けば謎に当たる』二次創作SSを頂きました!

『犬謎』本編はこちらです。

※SSには一部アブノーマルな描写が含まれますのでご注意ください。

 

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『痛くて惨めで甘やかな』


 確かそれは、きららの夏服が出来上がった頃のことだったように思う。

 クラスメイトの男子に「バイト先で窃盗容疑を掛けられたので助けて欲しい」と懇願され、探偵と助手として彼のバイト先たるファミレスチェーンに向かった放課後。結局、事件は古株バイトが彼に濡れ衣を掛けるため起こしたもので、動機は「素直さと人当たりの良さでメンバーの信頼と人気を早々に得た彼に嫉妬した」という幼稚なものだった。
 クラスメイトは泣き出しそうな程に感謝し椎名が恐縮してしまう勢いで礼を述べていたが、「別にいいよ。じゃ、帰ろうか椎名」と踵を返したきらら。彼女の言葉はクラスメイトを気遣ったものでなく、謎が解決してしまったので興味を無くしたが故のそれだ。苦笑しつつ、何ともきらららしい態度だと思う。そんなことを考えつつ、椎名はその背中を追いかけた。

 外に出たところで、椎名は空を見上げた。日が疾うに暮れた空は、賑わう街の灯りを受けた藍色が支配している。そこに浮かぶ細い三日月。
 昼間はあれだけうるさかった蝉の声は微塵も聞こえず、耳朶を打つのは喧噪の声、或いは音楽だった。この辺りは人通りが多いこともあって、ストリートミュージシャン達がよく歌っていたり演奏をしており、夜はちょっとした賑わいを見せるのだ。空から視線を戻してみれば、案の定、今宵も幾人かの音楽家の卵がそれぞれの音を奏でている。

 ふと、椎名は傍らに在った気配が消えたことに気付く。

「きらら?」

 振り返ってみれば、少し後方で彼女は足を止めていた。彼女の側まで引き返しつつ「どうしたんだ?」と声を掛けると、きららは徐に開口。

「珍しいな、と思って」

 その視線の先を追えば、自分たちから三メートル程離れた場所に箱のようなものに跨がっている青年がいた。
 青年は端末から流している音楽に合わせ、箱を叩いている。その度に奏でられるのは、柔らかなビート。ドラムのような硬質な音でもなく、和太鼓のような迫力ある音でもなく、心地よい音が耳朶を打つ。

「何だあれ……楽器か?」

「そう。カホンだよ。跨がって演奏しているから、あれはキューバ式」

「へー」

 素直に感心してしまう。やることなすこと破天荒で、“ルールは破るために存在している”を体現しているかのようなきららだが、その知識量には屡々驚かされる。
 やっぱ凄えな……などと思っていると、きららは歩き出してしまう。相変わらずカホンの温かな音は紡ぎ続けられているが、彼女の中ではもう気が済んだのだろう。その自由さを少し眩しいだなんて思ってしまった。
 
 
 ◆◇◆
 
 
 「椎名、四つん這いになってよ」
 
 ――えっ、何だ!? どういう状況!?
 
 困惑しながらも、必死に思考を回す。きららに頼らず自己流の勉強法では赤点を叩き出してしまう頭だが、考えれば何かヒントが掴めるかもしれない。なんで自分は気がつけばきららの部屋にいたのかだとか、なんで自分は床に倒れ込んでいるのだとか、そういった事柄に対するヒントが。
 ぐるぐる混乱している椎名が動けずにいると、

「う、ッぐ!?」

 きららは急に襟首を掴み、椎名の無理矢理顔を上げさせた。
 美しい青を湛えた双眸が、椎名を見つめている。今この瞬間、椎名だけを見ているのだ。その事実を認識してしまった途端、首元の痛みや苦しみが酷く甘美な疼きに変わる。
 
「ぼくの言うことを聞けないなんて、悪いワンちゃんだね」

 至近距離で囁くように言われてしまっては、もう抗う道理などなかった。羞恥心を感じて呻きながらも、椎名はのそのそ言われた体勢になる。
 
「よしよし、良い子良い子~」

「う、うう――」

 まるでいつかの日のように、繊細な手にわしわしと頭を撫でられた。屈辱的な筈なのに、その褒美だけで何もかもどうでも良くなる程心地良い。
 いつから自分はこんなアンビバレンスな感情を抱えるようになってしまったのか。考えるまでもない、きららに出会ったとき――そして、きららと出会った所為だ。否、そもそも《抱えるようになった》というよりは《自覚させられてしまった》のか。

 そんなことを思案していると、ずし、と腰の辺りに重みが加わった。更に、温かさまで伝わってくる。彼女が自分の上に跨がったのだ。
 思わず「きらら!?」と戸惑いの声を漏らしてしまう。

「椎名は楽器なんだから、喋っちゃだめだよ」

 彼女はそう告げつつ。

 ぱんっ、と。

 椎名の臀部を打った。制服のスラックス越しに皮膚を打つ少しくぐもった音が室内に響く。
 躊躇のない一撃に思わず叫びそうになったが、自分は今楽器なのだ。喋ってはいけない。そんなもの守らなくても良いはずなのに、どうしてか必死に声を抑えてしまう。
 
「あはは! 椎名って、本当に良い子だね。この場合は『良い楽器』なのかな?」

 自分の背に馬乗りになっているきららの顔は見えない。けれどきっとその声音から、ケタケタ満足そうに笑っているのだろう。
 
「じゃあ、気合いを入れて演奏しないと――ね」

 言って、きららは更に白魚の手で椎名の筋肉質な尻を打った。激しく、強く、時には労るように優しく。
 
「ぐ! う、あ――」

 じんじんと灼かれるように痛い。けれど、やめないで欲しいと願ってしまう。きららが動く度に香る彼女の匂いに、くらくらと目眩が襲い来る。抗えない。
 その痛みに、刺激に、神経を直接愛撫されているかのような錯覚を覚えた。気がつけば下着の中が痛いほどに張り詰めて、つまるところ、
 
「気持ち良いんだ? 本当にマゾだね」

「ちが――!」

「楽器は喋らない」

「うう……」

 楽器云々以前に、違うと口にしても何も否定できないことに気付いて椎名は口を噤んでしまう。直に触れられることもなく、尻を叩かれて無様に愉悦を感じているようでは反駁するだけ虚しい。
 じわり、と目に涙が滲む、それは惨めさからなのか、快楽からなのか。もうどちらでも良かった。
 
「そうだ椎名。これでいつか文化祭に出るっていうのはどう? 人間カホンの演奏で」

 引き続き椎名の尻肉を嬲りながら、きららは宣う。でも、そんなことをしたら――。

「みんなに椎名がぼくにこんなことされて悦ぶ変態だってことが知られちゃうね。それとも、みんなに見られてもっと気持ちよくなるかも」

 観客席にいる友人や先生の困惑、軽蔑する声、汚らわしいものを見るような目。そして衆目の中、椎名を打ちつづけるきらら――。不意に想像して、胸が強く締め付けられる。それはもう、殊更に刺激的で艶やかなものだった。
 
 その途端、快感が津波のようにせり上がる。
 
「っき、らら! これ以上は、だ、だめだ!」

 椎名は形振り構わず必死に静止の声を上げた。だというのに、きららは「おかしいなあ。楽器から声が聞こえる筈ないからね。空耳空耳」と聞く耳を持ってくれない。

 辛うじて首を動かすと、彼女が腕を大きく振り上げたのを視界の端に認める。

 布地の下で赤く腫れているであろう自分の臀部目がけて振り下ろされるそれが、酷くスローに思えた。
 危惧と期待が綯い交ぜになった侭、椎名は喉を鳴らす。
 
 ――ああ。あの手に打たれたらたら、俺は、もう……。
 
 
 どすん。
 
 
 と、胃の辺りに衝撃が加わる。
 
「……え?」

 想定とは違う箇所に違う感触で与えられた衝撃に、椎名は半ば呆けたような声を発した。
 そして目を瞬かせつつゆるゆると起き上がり、周囲を見回す。視界に飛び込んできたのは、見慣れた自分の部屋。体に視線を移すと布団が掛かっていて、そして腹の上には、
 
「わふっ。わん!」

 シノがいた。椎名を起こしに来たらしい。椎名が目覚めたのを確認し、シノはぴょんと跳ねるようにベッドから床へと飛び降りた。
 
「……? ……。……! まさか!」

 バッと勢いよく布団を捲る。セーフだった。シノの面前、どうにか威厳は保たれたらしい。
 椎名は安堵で思わず盛大な溜息を吐いてしまう。
 
 ――何だ。夢かああ……。
 
 けれどもそこには、一片の口惜しさもあった。あれが全て、現実ではなかったなんて。

「……」

 いつか悪いことをしたら、仕置きとしてあんな風に叩いてはくれないだろうか。
 そんなことを思ってしまったことに気付き、椎名は掻き消すようにぶんぶんと頭を振る。
 行儀良く座ったシノが、不思議そうに首を傾げていた。


(了)

「※本SSは「夢のケツドラム」というあまりにもがすぎるタイトルから改題しました」by高坂さん

素敵なSSをありがとうございました!