Lemonade #8「Insanity」

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クリスとレナードに言い渡された仕事は、先のセントラルパーク戦で捕縛された犯人への尋問だった。

 

「はい、これ。いつものお礼」

 ノックの後扉がわずかに開いて、二十代くらいの青年が顔を出す。ギルバートだ。サイは眼鏡をはずし、読み止しのペーパーバックの隣に置いた。

 彼の手にはマグが二つ。うっすらと湯気を立ち上らせるホットミルク。空調はきいているものの部屋は肌寒い。サイは礼を言ってマグを受け取り、ほんの少しだけ口をつけて机に置いた。

「もう死にたくなくなりましたか?」

「ごめんね……サイちゃん、色々迷惑かけちゃったね」

 ギルバートは照れくさそうに頬を掻いた。

「一緒についてるって言ってくれるヤツがいたんだ。だからおれもうちょっと頑張ってみるよ」

「それならよかった」

 彼女は眉を開いて穏やかに微笑む。

「私はいつだってギル様の味方でございます。また何かお申し付けがございましたら、どんなことでもお気軽にお声掛けくださいませ。ふふ」

 ギルバートは噛み締めるように少女の名前を口にした。サイちゃん。

「ありがとうね。ほんとに。アイツが側に居てくれる間はきっとおれ、頑張れる。ね、サイちゃん、前も言ったけどおれ、サイちゃんが大事なんだ。おれだってサイちゃんの味方だし、サイちゃんの為ならなんだってするよ。忘れないでね」

「そのお言葉だけでも嬉しいですわ。お恥ずかしながら、私にも困ったことがございましたらご相談させていただきますね」

 ドアの外からは、自動車の通り過ぎる音や、階下で馬鹿をやっている声が静けさに紛れて聞こえていた。彼女はいつもと変わらず整った笑みを浮かべている。しかし、彼女の瞳にわずかに影が差しているのを見咎めて、ギルバートはきょとんとした。いつも“空気を読んで”生きてきたからこそ、他人の機微には人一倍聡いという自負がある。

「サイちゃん、考え事あるの?」

 しれっと口に出された問いに、サイは表情を崩さぬまま応える。

「実は……ヴァニタス様のお誕生日なので、日頃の感謝も含めてお祝いをしたいと思っているんです。お恥ずかしながら、何を差し上げたら良いのかと……悩んでおりまして……」

「へえ! バディに誕プレあげるんだ、そこ仲良しでいいね」

「えぇ、ヴァニタス様はお優しいので良くしていただいております。私も別段警察や世間に対して何か思っているような受刑者でもございませんし……良好な関係と言えば、そうなのかもしれませんね」

「サイちゃんから貰ったらあ、男はなんでも嬉しいでしょー」

 あらお上手ですね、と相槌が挟まれる。

「無難なのは食べ物? ヴァニくん物欲なさそうだもんなーなにかな……あ、でもあれは? ヴァニくん本が好きって言ってたから、本……。パソコンのステッカー? 案外むず〜」

「……これは私のわがままのようなものなのですが、食べ物などの消えものではなく、何か形に残るものを差し上げたいと思っているんです」

 ギルバートは、しばし、かつての会話やしぐさを思い返していたが、そのうちはっと声をあげた。

「あ! ねえ、分かっちゃったよおれ。お揃いのあげたらどうよ!」

「……お揃い、ですか」

「サイちゃんとヴァニくん、仲良いんでしょ? バディだし。ほら、プログラムで出会った人らなんて半分運命みたいなもんじゃん? だからさ、この縁特別大事にすんのもいいかなって」

 そこで彼は言葉を切る。
「おれ、この前ね、バディが死ぬかもって思ったんだ。本当に怖かったし、サイちゃんの言ってる意味よく分かったよ。多分ああいう瞬間って誰のとこにも起きるから……出来るうちに楽しい思い出、沢山作らなきゃ」

「そう、ですね……親しい方が亡くなってしまうのはきっと悲しいことですね。ギル様はこれからも良い思い出をお作りください。私もそのお手伝いができれば幸いです」

「おれはもうサイちゃんから貰いすぎたって!」

 ギルバートが破顔する。

「ヴァニくんといい思い出、作れるといいね。大事な人のそーゆう手伝い出来てんならおれも楽しいし」

 言葉の後、ややあって彼女は切り出した。
「……あの、よろしければベル様に外出の同行をお願いしていただけないでしょうか? プレゼントを選ぶのにギル様のアドバイスもいただきたいので、ギル様のバディであるベル様に同行いただければと……。それに、ベル様はヴァニタス様と一緒にいらっしゃることも多いので、色々教えていただければ、安心ですので」

「聞いてみるよ! サイちゃんの事は好きそうだし、オッケーしてくれると思うよ。なんか楽しみだな~。ね、なんならさ、ヴァニくんも連れてけば? バディ同士で、つったらなんも違和感ないし。欲しいの何となく分かりそうじゃん!」

「その発想はありませんでした」

 サイは目を伏せる。侍女然とした柔らかな表情。彼女はこういったプレゼントというものは、サプライズが基本なのかと思い込んでいたらしい。

「しかしながら、よく考えましたらヴァニタス様では遠慮なされそうなので、やはりサプライズで押し付けようかと存じます。私、さり気なく聞き出すなど高等なこともできませんし」

 謙遜じみた言葉の後、サイは人差し指を立てて切り出す。

「つきましては、ベル様、ギル様、私の3人でお買い物へと参りましょう」

「そっか、じゃあおれらでヴァニくん喜ぶの見つけようぜ!」

 来たるプレゼント選びに向けて、ふたりはきらきらとした笑みを交わすのだった。

 

 

『グッドイブニング、ニューアトランティス!』

 ラジオから軽快な声が流れてくる。主婦は皿洗いの手を休めて、MCが告げるニュースに聞き入り始めた。

『最近ダウンタウンに感じのいいリストランテが出来たから行ってみたんだが、これが美味かった! ワインが絶品なんだ!』

『さて、今夜のテーマはニュー・ウェイヴ。ハッピーで楽しくて、でもちょっとだけ退屈なニューアトランティスに、イカしたブルーノートを届けるぜ』

『――それではNA放送局より、レナード・レインがお送りしました』

 涼やかで愉快なトーク。主婦は機嫌の良い笑みを浮かべながら、水切り籠にオーバル皿をのせる。この放送から数年も経たないうちに、DJをつとめるテレビ・スターが殺人の容疑で逮捕されるとは、巷のほとんどが予想だにしなかった。

 時は流れ数年後。今や元受刑者たるレナード・レインは今、NA更生プログラムに在籍している。美人も皮を剥げばただの肉とはよく言ったもので、かつてのテレビスターは違法賭博の経営や偉いさんへの賄賂、芸能界要人の謀殺で捕まった。今ではいまいちやる気のない警官・クリスとともに、日々のパトロールや任務をこなしたり、こなさなかったりする毎日だった。

 今日は新しい仕事だとかで上官に呼び出しを食らい、二人で執務室に赴く手はずになっていた。ちょうど部屋から出たところらしいアルベルトが、燦々とした笑みを二人に向ける。レナードはすかさず華やかな笑みを纏った。

「レナード、クリス! これから用事か?」

「ああ、任務だ。あんたは?」
「ここ数日取り組んでた任務が終わって早上がりするところなんだ! 二人も頑張ってくれー!」
 ぶんぶんと手を振るアルベルト。その後ろでは、小柄な元受刑者がちょこんと立って二人を見つめている。レナードはその風景を見渡して、微笑みながらふたりを見送っていった。

 執務室へ入ると、中では上官ふたりが待ち構えていた。リトートはいつも通りの溌剌とした笑みでディスプレイを指す。

「やあ、掛けてくれ。早速だが仕事の話だ。概要は送っておいただろ? ってお〜い、嫌そうな顔するなって!」
「なんだ、仕事ならちゃんとしてるだろ?」
 クリスがふわっと欠伸を漏らした。

 応接用名目で置いてあるソファに座ると、そっとコーヒーが出された。
シュヒはそのままリトートの隣に腰掛けて、手に持った端末に目を落としながら、

「……ティレシアちゃんの義肢を見分してみたんだけど……案の定、ヴァニタスくんやぼくにも見覚えのないものだった。こっちの整備班や大学時代の同僚に聞いても同じ答え。本当にすごいよ、あれ」

 字面こそ堅かったが、口調からは好奇心と興奮が滲み出ている。

 瞬間的に組み上がって変形して衝撃を放つ生体義肢なんて、現行の技術では作るのはむずかしい。軍事用ドローン、精巧な機械義肢、大量の爆弾製造の知識。どれも街の学生の気まぐれで手に入れられるものじゃない。

「出どころを聞き出さなければならない」

 口にしたのはリトートだった。

「俺は借りをきっちり返すタイプだし、その逆も然りだ。あの少女にも、公園を破壊し市民を傷つけた分の代償は払ってもらう」

「取り調べか」

 クリスが問う。

「ま、俺たち管轄の案件の後始末だし、ただでさえ人手不足のNAPDにとってこのプログラムは地雷案件の最終処分場だしな。丸投げってわけにはいかないんだろ」

「と、いうのも理由の一つだが――きみたちには教えておこう。ニューアトランティス市警はもちろん人権を尊重している。被疑者の同意なく脳をスキャンして記憶を読み取ることはしないし、暴力的な自白強要もしない。取り調べの模様はすべて録画されており、要請があれば開示される。ただし……」

 赤茶色の瞳が、クリスたちを交互にみつめる。

「取り調べ前後、『偶然』被疑者が『原因不明の体調不良』に陥ることが、非常に、よくある」

 その場にいるすべての人間がすぐに気付いた。NA市警の一部の尋問において自白剤や電子ドラッグの使用、あるいは拷問が常態化していることを示唆している。

「また取調べの録画データが『壊れる』だの、情報開示請求を行うと黒塗りの書類が返されるだのは珍しくない。別部署に回した場合、あの犯人はこういう待遇を受け、情報が引き出しづらくなる恐れがある」

「おっかないことで」

「俺は自分の作戦指揮下で扱う人間にはそういう扱いはしたくない。”世に露見したら後始末が面倒”なのはもちろん、非人道的な行為だからだ」

 リトートは続ける。

「そんなわけできみたちにティレシアの尋問を命じる。ラドフォード――君には調書の作成と尋問の大まかな流れを任せよう」

「子供のお守りか」

「ベビーシッターは荷が重いか?」

「まさか。適任さ」

 クリスはふっと憂いのある笑みを浮かべた。

「そしてレイン。俺はきみの心理テクニックについては評価している。だからこそ、それは正しい目的で使え」

「もちろん歓迎だ、ボス。ただ一つ訂正をしたい。オレが行うのは尋問じゃない。『インタビュー』さ」

「――ちょっと待ってください! やっぱりダメです!」

 そこで三人を制したのはシュヒだった。

「クリスくんは兎も角、レナードくんにこの仕事は相応しいとは思えません」

 嫌味ったらしい発言の後、シュヒは右手でびっとレナードを指差してみせた。

「信用できやしない元受刑者に、彼女の身柄を任せていいとは思えません。確かに彼は芸能界や学位で人間心理に精通してるかもしれない。でもどれだけ技量があるか功績を上げてきたかなんて、有罪判決を受けた後では関係無いことだ!」

 シュヒは警戒を隠しもせずレナードをみつめる。

「だいたい、きみ、本当に更正する気なんかあるの?」
 対する彼は口を開いた。

「ところでオレも前から聞きたかったんだが、あんた嘘をつくときに左手を握り締めるのは癖なのか?」

 言葉の直後、シュヒの白磁のような肌にさっと赤みがさした。

「ハハッ、ただのジョークだ。何でもないよ」

 レナードはそういってヒラヒラと手を振った。金の瞳が震えている。リトートはその隣で、

「ま、お前の懸念ももっともだ。ちゃんと音声・動画記録も取るし、別室で俺がモニタリングする。お前じゃなくて、俺が」

 送られた資料には既に採取したDNAについて、彼女の公的書類情報や聞き込みから分かった情報などが記されている。末尾には尋問のテクニックについて付記されていた――リード・テクニックや、良い警官・悪い警官。

 なんでも、メイクアップアーティストの学校に通いトレンドに敏感だった彼女は、レナードのこともばっちり認知していたらしい。 かれはそれを見て得意げにサングラスを押し上げた。

「まあ任せてくれよ。オレにいわせれば、ヤクや暴力で他人に言うこと聞かせるなんてのは二流のやることだ」

 

 クリスは入口ドアの開閉センサーに手をかけて、それからレナードを横目で眺め――呟いた。

「よく聞け、クソ野郎」

 今まで他人に聞かせたこともないような低い声だった。クリスは自分のジャケットをとつと示し、

「今回の任務は犯罪者を相手にした取り調べだ。でも少しでも怪しい動きをしてみろ、その時は俺のオートマで耳の穴を増やしてやるからな」

「おお怖い。オレのバディがお怒りだ~」

「黙れ」

 一方のレナードはひらひらと手を振って茶々を入れる。彼は元受刑者なので戦闘任務以外での銃の携行は許されていない。

 ――クリス・ラドフォードは。このプログラムが始まる以前から、『テレビ・スター』レナードの周辺で起こる謎の殺人事件を追っていた。だが決定的な証拠がなく、レナードの仕業だと立証できないことを悩んでいるうちに、別件で逮捕されてしまったのだった。そんな男がプログラムに参加して、自分のバディとして宛てがわれた――。参加者の中でも、クリスの警戒は並みのものではなかった。パトロールがあれば口実を作って車に乗せて、不用意に一般人と接触する事が無いようにした。セントラルパークでの作戦行動中は常に目の届くところで監視した。

 ご立派なことで。クリスの内心が散々に荒れているだろうとせせら笑いながら、レナードは部屋の中に入って行くのだった。

 尋問用に与えられたのは無機質な部屋だった。四方を真っ白な壁に囲まれて、重いドアから僅かに外の景色がうかがえる。部屋の中心の安っぽい椅子には、見覚えのあるピンクブロンドの少女が座らされていた。問題のティレシアは、アジアふうの入院着を纏って、不機嫌そうな表情を浮かべている。さしたる拘束は必要ないらしかった――なにしろ、機械義肢をはずされた彼女は四肢欠損状態だったからだ。動きようがない。

 クリスは尋問の定型句を述べた。今から取り調べを始める、あなたには黙秘権がある。あなたの供述は法廷で不利な証拠として利用される可能性がある――そこまで述べたところで、ティレシアが金切り声で吠えた。

「うるさい! どうでもいい! ほら、さっさと死刑にしなさいよ。引っ込んで!」

「ティレシア・ジョーンズ。NA出身、20歳で間違いないか?」

「別人に見える? だったら相当目が悪いのね、クソおまわり」

 こりゃ難儀するわけだ、とレナードは心中で呟く。

「あんたは17年前のテロで四肢を失い、以後義肢を使って生活してきた。だが2年前、高校を卒業したあたりから健康省認可外機械義肢の私用を始める。同時期、公的書類の登録住所を虚偽のデータに改竄した。そしてあんたは、今年9月の終わりごろから、セントラルパークに爆弾の試作品を仕掛けてテストを始めた。11月、出どころ不明の軍事用ドローンと機械義肢を駆使してセントラルパークを強襲。警官を含め負傷者35人、死亡者1人という多大な損害をもたらした。これに関して何か言いたいことはあるか?」

「死ね!」

「なぜこんなことをした」

「死ね! 死ね!」

 会話が成立しない。手足のない体でもがく様は、皮肉にも、悪辣な彼女が罵倒に用いていた芋虫のようだった。

「やれやれ。オレに任せろよ、クリス」

 レナードはおもむろに立ち上がる。制止しようとしたクリスに、危ないことはしない、と一言を添えた。悠々と近づき、右手で少女の顎を持ち上げる。

「プラムちゃん。オレとお話しようぜ」

「っ……なによ……」

 ティレシアが身をよじる。だがサングラスの奥の顔立ちを見て、彼女ははっと目を見開いた。

「オレはレナード・レイン。あんた、オレのファンだったんだって? 会えてうれしいよ」

「え……? なんで芸能人がここにいるのよ……っていうか逮捕されたんじゃないの?」

「ハッハッハッ! そうだな、逮捕はされた。でも今はここであんたの話を聞く仕事をしてる」

 ティレシアは虚を突かれたようだった。先ほど暴れていたのが嘘のように、年相応の女の子のように大人しく素直になっている。

「あんたは17年前のNAモール爆破事件に巻き込まれ、両手足と家族を失った。不自由な体でひとりぼっちで生きるのは寂しくて、辛かっただろう。公的組織が許せなくて、あんなテロを仕掛けるのもしょうがない――。そう、オレはあんたの憎むサツじゃない。元・犯罪者だ」

 堂々と机に座り込み、情感たっぷりの演説。
 背後のクリスは渋い顔で調書を取っている。上からストップがかけられるそぶりもない。レナードが暴力や道具に訴えているわけでもない。ただ話しているだけだ。

「……だから何よ?」

「考え方を変えるんだ、ティレシア。警察に取り調べをされていると思わなくていい。アンタがテロを仕掛けてまでも伝えたかったメッセージ、それをオレに聞かせてほしい。――プラムちゃん、あんた、気が強そうに見えるけれど本当は繊細なんだろう? それを伝えるのが苦手なだけで」

 アンビバレンス。かれの声色は、控えめで極端で、人が惹きつけられやすいようなそんな色に満ちていた。意識したわけではないが、資料にあった取り調べのテクニックを実行している形になっている。

「あんたにとって、あの行動は正義だったんだろう」

「――あたしは」

 彼女がゆらりと身を折る。

「……好きでこんな体になったわけじゃないのに、一生誰かの哀れみのおこぼれにあずかって生かされるなんてそんなのごめんだった……」

レナードはわざとらしく悲しそうな表情を作っている。

「でも、この街は失敗作や弱いヤツには冷たい。親も死んだ、親戚からは腫れ物扱い、友人だって所詮はいつか離れる他人よ。誰も頼ることができない中で、反体制に身をやつしてでも自分らしくおのれの力で強く生きていきたいと願うことの、どこがいけないの」

「そうか。それはつらかったな……」

「それであたしは思ったの、望みを何も叶えてくれない秩序なんか、こんな街なんか、メチャクチャにした方がマシだわ!」

 感情が昂って大声を上げるティレシア。レナードが細い背中をさする。

「よしよし、落ち着くんだ」

 顔を上げたティレシアからは毒気が薄まっていた。どこか目がとろんとしているようにも見える。クリスは訝しげに目を細めた。

「……何が更生プログラムよ。あんたらとあたしの違いは、泥中で手を取ってくれたのが罪深い悪魔だったか神の使徒だったか、たったそれだけじゃない……」

「『罪深い悪魔』か。その正体が、この女に武器を供給したヤツだろうな」クリスはそういった。

「なあ、教えてくれ。アンタにとっての悪魔ってのは、誰だったんだ?」

「……『レツィンク』」

 聞き慣れない単語に、クリスの手が止まる。そこで上官からの指示が届いた。その組織について掘り下げろ!

「何だそりゃ?」

「――街の名前……。WW2後、旧ソ連ヨシフ・スターリンの命令で核兵器開発計画を始めて、国内の辺境に閉鎖都市を建てた。重要な戦略施設がおかれ厳重な警備で隔離された、地図には載らない街」

 調べてみれば、その話自体は真実であることが分かる。特別な許可証がなければ都市に立ち入ることはできない閉鎖都市。オジョルスクやサロフに並ぶ、スターリン落胤。クリスはディスプレイに地図を表示して、世界地図を拡大してみた。

「ロシアの秘密都市ねえ。ウラル山脈のあたりか?」

「違うわよ。何も知らないのね、おばかさん」

 レナードがかまをかけると、ティレシアはまんまとそれに乗せられて、水色の目を細める。眉毛を読まれたことにも気づいていないようだ。

「所在地はフィンランドとロシアの国境あたりかしら。ソ連崩壊とフィンランドとの国境紛争に伴って今は政権の監視下にはおかれていない治外法権よ……ここでは今も、反西側諸国の武装シンパが集って兵器開発や破壊工作を行っている」

 話を聞いて、レナードは振り返った。

「驚いた。今の聞いたか?」

「ああ、俺も驚いたよ。アンタがこんな陰謀論を信じたことにな」

「おいおい、オレの能力を疑うのか? 彼女の義手を前にしてはそうも切り捨てられないだろう、続きを聞こうぜ。なあ、ピンクのプラムちゃん。レツィンクの目的はなんだ。どうしてアンタに武器を与えたんだ?」

「――数年前からのニューアトランティスでの犯罪の激増には、この組織が噛んでる。彼らはいま、FBIやCIAの追求を密かに逃れ、貧困層や過激派宗教団体に武器を与えてアメリカ国内でのテロを指導しているの……」

 レナードはふと、過激宗教団体のハイジャックした飛行機がビルに突っ込んだことや、中東でテロリストを教育して母国内に送り返し欧米でテロを拡散させているという話を思い出した。もう何十年前のニュースだかは忘れてしまったが。

「最近だと人間愛護団体やティアドロップね……どんどん治安は悪化して、大勢の警官が殉職してるでしょ。そうやって治安維持の地盤を脆弱にしたところで、一気に叩いて……都市機能を麻痺させようというコンセプト」

「ティレシア。それはアンタの予想や想像なのか、それともレツィンクのエージェントから聞かせられた確かな話なのか、どちらなんだ」

「……後者ね……」

「らしいぜ、クリス。このプラムちゃんが偽の情報を与えられて信じ込んでる可能性もあるが……レツィンクの詳細や最近オレたちが取り組んだ任務についてこんなに詳しいんだ。信憑性は高いんじゃないか?」

 クリスはNAPDの資料を辿る。上官によれば、レツィンクについては二人が全く関与していない別の筋からも存在が匂わされているので、レナードが彼女をコントロールして虚言を吐かせたというわけでもなさそうだ。

 しかし、ティレシアの証言を信じるならば。それは、NAに危機が迫っているということだ。他国に勢いを抜かれているとはいえ、アメリカは未だ旧西側諸国のドン、世界の警察を気取っている。ワシントンDCがアメリカの脳ならニューアトランティスは心臓。レツィンクは、本気でニューアトランティスを攻撃するつもりなのだろうか? 最悪国家間の対立にまで発展しかねない。

「真実だとしたら狂気の沙汰だぜ」

 クリスは切り捨てる。しかし彼女がそう証言している以上、調書には記録を取るしかなかった。

 

 

 元受刑者寮のせせこましい部屋。薄暗くなった部屋の中で、二人の男が息をひそめて何やら話し合っていた。テーブルの上には湯気を立てるコーヒー、茶請けらしいチョコレートが二つずつ置かれている。

「……ありがとうございます。付き合ってもらって」

「ハッハッハッ! 気にするなって。青少年の悩みを聞くのも大人のつとめだからな」

 青年――ヴァニタスは照れくさそうにしていたが、レナード自身にとっては大した仕事でもない。声をひそめて対話をかさねる。

 ――かつては元テレビ・スターとして活躍し、一部に熱狂的なファンを抱えるレナードだが、何も『誰の心でも簡単に見透かします』という超能力者などではない。ただ彼は幼少期より、ことばの使い方、自分という役者の演出方法をよく熟知していた。愛と呪いは紙一重。愛にあふれる言葉で人の心を救えるように、呪いの言葉で人の心を殺すこともできる。それに恵まれた容貌や愛嬌や心理知識・相手の背景・場のライティングなどを組み合わせることで、『彼に強い好感を抱いている人間にのみ』マインドコントロールを仕掛けられるようになった。

 あの任務にしろ、ティレシアがレナードのことを強く認知していなければ無駄足だったろう――そのあたり、上官が意図的に采配を振ったのかどうかは分からないが。

 ――そうして。他愛もない話を重ねながらヴァニタスの頭を軽く撫でると、彼はうめき声をあげて頭痛を訴え始めた。
「痛い……!痛い!痛い!」
 ヴァニタスは手を払い除けて、いつもの穏やかさが嘘のように低く唸り始めた。
それをレナードが興味深そうにみつめる傍で、部屋のドアが開く。

 ヴァニタスは扉からのぞく人影を見て目を見開いた。かれにとっての義父であるクリス・ラドフォードだった。

「……お前、何をやってる」
「クリス……?」

「……お前がここで何かよからぬことを企んでるのは薄々気づいていた。けどマジで警官に手を出すとはな――ヴァニタスを離せ」

 オートマの銃口がこちらを向いている。レナードはそれを完全に無視して、コーヒーカップを手に取り一口すすった。真面目に話を聞く気などいっさいなさそうだ。

「クリスじゃないか。どうしてここが分かった」

「アンタに言う必要はない」

「はっ、そう来たか! いいねえ、じゃあ『親子の絆』ってことにしておこうか。それでいいだろ?」

 すっかり蚊帳の外のヴァニタスは狼狽えていた。

「や、やめてよ! やめてったら! どうして銃なんか出すんだよ、何か誤解してるよ。ドクターにひどいことしないで!」

「ドクター。へえ、レナード、アンタはいつ藪医者業を始めたんだ?」

 クリスが挑戦的に言う。

「お、俺が頼んだんだ……忘れちゃった小さい頃の記憶を思い出すために、カウンセリングをして欲しいって。人間心理に詳しいレナードさんなら、思い出させてくれるんじゃないかって」

 それを聞いて、クリスの瞳が僅かに曇る。

「俺は、ヘタレな役立たずだけど……いつまでもクリス達に心配かけてばかりなのは、嫌だったから」

 クリスは閉口する。沈黙し、大きく息を吐きだした。そして、

「オーケー、ヴァニタス。オレが10数えるうちに部屋を出て、ベルと一緒にまっすぐお家に帰るんだ。あとで電話する」

「う、うん……でも、ドクターに酷いことしないでね……」

「ああ、しないさベイビー。大丈夫だ――それから、もう一人で元受刑者寮には来るな。二度とだ」

 ヴァニタスは向かい合う二人を見比べながらも、おずおずと部屋を出ていくのだった。

「……あーあ、行っちまった。可愛い可愛いオレの手駒ちゃん」

 部屋を出たあと、レナードがぼやく。クリスは剣呑な雰囲気で睨みつける。

「おおっと、そんな目で見るなよ? オレにとっては遊びとはいえ、あくまでヴァニタスの希望で付き合ってたんだぜ。危ないことはなあーんにもしてないさ。隣人を愛し、持てる能力で人助け。このプログラムの趣旨に反してないだろ? だからそう危ないもん向けなさんな」

 レナードが笑みを深くした。

「自分が何してるのか分かってるのか。アンタが思い出させようとしている記憶が、ヴァニタスにとって良くないものだとしたら?」

「ハッ。だとしたら最高じゃないか」

 レナードはほくそ笑んだ。

「あんたこそ、自分の立場が分かってんのかね」

 飄々と両腕を広げるのだった。

 

 レナード・レインにはもう一つ秘密がある。
 彼は、生まれながらに性悪だった。両親に始まり同級生や恋人、親しい人間たちをコントロールし不和を起こしては愉快な気持ちになっていた。いわば、現実に生まれ落ちたジョン・ポール。更正プログラムに来たのも、ここで他人をいがみ合わせたりして面白いことが出来るだろう――と踏んだからにすぎなかった。

 さて、更生プログラムに来てまず熱心に声を掛けてきたのは、クリスの友人であるアルベルトだった。「自分が精神的に追い詰められていた時、きみが出演していた刑事ドラマに救われたのだ」と語った。レナードは彼を自分の作品として愛し、彼からの愛を継受した。

 そしてヴァニタス。かれは、幼少から青年期までの記憶がすっかり抜け落ちているらしかった。医者にかかっても思うような答えは得られず、藁をも掴む思いで「カウンセリングをして欲しい」とレナードを頼ってきたのだ。

 しばらくはアルベルトからの畏敬で満足していた。記憶喪失で生きる意味を見出せないヴァニタスとの対話は心地よかった。だが次第にまた悪意が心臓を蝕み始めた――他人の人生を壊したい! こんどの標的に選ばれたのはクリスだった。レナードは、自分を慕う二人を人質に取って、クリスを脅迫することにしたのだ。オレと道連れに死んでくれ、このプログラムをぶっ壊して後味最悪にしようぜ、と。

 レナードは哄笑する。

「今更俺にどうこうしたって無駄だ! アルベルトはオレを崇拝してる、ヴァニタスはじきにすべてを思い出す。オレは指図ひとつで、二人を殺したり盾にしたりできるんだぜ。そのときあんたは、正気でいられるのかね?あんたの大切なものを奪ったら、あんたはどういう表情をするんだろうか。さあ、絶望した顔を見せてくれ!」

「アンタには一生見せてやらない」
 歪んだ笑顔だった。

「アンタの考えは理解できないことが多すぎる。 悲しいだの苦しいだの以上に呆れるね。お前は、マジで、クソ野郎だ」
「正当な評価をどうも」

 レナードは微笑む。

 なあ、オレにはわかるぜ、クリス・ラドフォード。あんたはずっとヴァニタスを守ろうとしてる。家族を、親友を、同僚を、オレの手から。でもその理由は、ヴァニタスたちが愛おしいからじゃない。あんた自身の中身が空虚だから、自分の生きる理由をヴァニタスに押し付けてるだけなんだ。醜い人間だよ、あんたは!

 こんなプログラム、ネットも無ければ華やかな賭け事もなし、そうなりゃ人間で遊ぶしかないだろ? もう一生まともな生活もまともな仕事もさせない。どんな幸福な時間でも必ずオレがお前の人生に影をさす。

 さあ、オレの楽しい人生、唾棄すべき平穏の、鮮やかな幕引きを手伝ってくれよ。

「狂っちまえばいいのさ。クリス、オレと一緒に死んでくれ」

 

 

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