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眠れない夜は眠らない僕と

普通の女の子になるより

はてなブログ特別お題キャンペーンで優秀賞を頂きました!

ありがとうございます😖💞

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 2019年3月、卒業しました!

 キラキラ学生✨というよりは自意識戦争みたいな3年間でした😂

 常日頃、「自分語りは創作者として好ましいものではない、小説/漫画書きなら作品で語れ」とは思っているのですが、卒業という特別な機会ということで、三年間を振り返って自分語りします。誰にも私は止められねぇ!

 

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 3年前、高校に入学したばかりの私は周囲の意識の高さに戦慄した。チャリティー活動に励む、ボランティア団体創設者。アメリカ帰りで英語を流暢に話す帰国子女。クラス全員とLINEを交換して「いつでも勉強教えてやる!」と豪語するアツい教師志望。そんな奴がゴロゴロいた。

 他方わたしには、胸を張って語れる信条などとくになかった。この高校を目指したのも、「家と近い」からにすぎない。

 

 一年生一学期の面談で、安定した生活が欲しいからそこそこ名のある大学に行って地方公務員になりたい、と言ったら、担任に一笑に付された。

「お前が本当にやりたいことはなんだ?どんな未来が見たいんだ?」

 公務員も立派な夢なのだが、安定したい、という私の姿勢が彼には物足りなかったらしい。おかしい。「現実を見ろ」「周囲に合わせろ」と言われ続けて、やっと自分を捨てて周囲に流されることができるようになった。誰にも話せない悩みの種とか、未来の自分への手紙なんて投げ捨てて、やっと量産型女子になれた。堅実安定、浮かないように、バカにされないように。

 

 なのに突然「夢を持て」「グローバルに生きろ」と叱咤激励され、意識の高い環境に流されることも、立ち上がることもできずに目を回しつづけていた。地方進学校の連呼するグローバル教育なんてたかがしれているだろうと思いながら。

 

 

 一年生のある日、「皆がキラキラしていて、自分がちっぽけに感じる」と学級日誌に書いてあるのを見つけた。書いたのは、同じクラスの男の子。坂口健太郎によく似ていて、ちょっと皮肉屋で辛辣な性格の子だ。

 細くていねいな字に、彼の懊悩が詰まっている気がした。この高校において、「自分」を見つけられずに立ちすくんでいるのは私だけではなかった。普通わかんないよな、自分なんて。みんなはどうして、やりたいことをまっすぐ語れるんだろう。みんなが抱えている夢は、いったいどこから持ってきたんだろう。

 

 

 くすぶる劣等感や焦りを、スタバの新作やKEMIOの動画で誤魔化す。

「ボーン!地球上のみなさんこんにちは!けーいーえむあいおー、けみおです!グッドモーニング・バルティモア〜」

 画面の中で笑顔をふりまくスーパーモデル。身長も美貌もトークスキルも、信念のもとに作られた自我の塊だ。羨ましい。羨ましいが心の中の砂時計にぽつぽつ溜まっていく。

 「アイアムアヒーロー」という漫画に、「せめて自分の人生くらい主役になりたいんだよ」という名言があった。それと似ている。誰かにちやほやされたいんじゃなく、自分はこういうところが素敵なんだと胸を張って言えるように、自分を認められるようになりたいだけだ。そして、そのほうが前者よりよっぽどむずかしい。

 

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 二年生になると世界史の授業が始まった。世界史の授業をいちばん楽しみにしていたのはたぶん私だと思う。

 そして、初めての世界史の授業にて。見慣れぬ初老の教師が登壇し、口を開いた。

「안녕하세요」

 クラスが水を打ったように静まり返った。私も例外ではない。ご存知の通り日本と韓国とは複雑な仲だし、うちの地元・島根は竹島問題を抱えている。

 不気味な沈黙の中、普段賑やかで明るい子が、張り詰めた声で切り出した。

「先生って在日の人ですか?」

「いいえ?」

 結局、その先生は海外旅行が大好きなトリリンガルだった。ただの英語の挨拶ではつまらないと考えたのだろう。

 でももし先生が切り出した挨拶が、例えばフランス語だったら、あの不気味な緊張感はなかったのかもしれない。そんなことをぼんやり考えていた。

 

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 高校三年間、色々な経験をした。部員が私含め三人きりの美術部、全国大会のために遠征し、欧州の田舎に留学してたったひとりのアジア人として孤軍奮闘し、新しい恋人もできた。勿論輝かしいことばかりではなく、人を傷つけてふがいない思いもした。一般的に想像される「高校生」っぽいことは、それなりにやったんじゃないかと思う。

 あんなに苦しい思いをしていたはずなのに、蘇るのは友達とのなつかしい日々ばかり。喉元過ぎれば熱さ忘れるとはこのことだ。

 

 今日の卒業式では、仲の良かった友達が答辞を読んだ。終わらせる勇気があるなら 続きを選ぶ恐怖にも勝てる、BUMPの歌詞を引用して夢を叶えると誓った。

 私はずっと彼女みたいになりたかった。彼女の夢は音楽教師。大層でなくとも自分なりの夢を持ち、そのために強く努力している。私も「自我」や「夢」みたいな、そういう青臭いものが欲しかった。

 けれど、三年間かけてやっと気づいたのは、未来予想図のパーツも、「自分」を組み立てるためのパーツも、最初から全部自分の手の中にあったということだ。

 

 好きなもの。海の深いところみたいなビリジアン。身を切るような冬、ひんやりした夜風と星空、朝焼けとコンクリート。穏やかで柔らかい絵。海辺、空港、図書館。文庫本。

 

 

 世界史の授業をいちばん楽しみにしていたのは私だと思う。自信がある。

 小学生の頃の将来の夢は途上国開発系の仕事につくことだった。社会の授業が好きで、人種や国籍による差別・格差をすこしでも是正したかった。それは、小学生の安い同情心からくる"妄想"だということにはうすうす気づいていたから、私は二十歳の自分への手紙に「将来は国際的な仕事についてほしい」と書いた。

 

 少年漫画で、諦めるな!と叫ぶ少年が主人公たりえるのは、その台詞を発するだけの度胸があるからだ。夢を持つ、目標を持つ、難しいが尊いことである。

 今回のお題の参加記事を見ても分かるように、何歳になっても新しい発見はあり、その気になれば青い夢も描ける。これから大学に入るような若造ならなおさらだ。

 たとえ瑞々しい情熱を忘れても、必ず取り戻せる。そう信じている。この高校に入って、信じられるようになった。

 

 未来予想図はまだ描けてはいない。ただ画材は揃った。

 私はやっと自分の未来を見据えて、ペンを握ったのだと思う。もう二度と離すまい。

 

 

POLA×はてなブログ特別お題キャンペーン #私の未来予想図

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